|
矢野
|
僕が朝日新聞時代に担当していた夕刊コラム「ねっとアゴラ」に、「情報倫理の行方」という原稿を書いていただいたことがありましたが、その中に「『情報倫理』という言葉はむなしい。ただし確実なことがある。それは野放図な悪戯はかならずどこかに被害者を作っているということだ」というくだりがあります。
|
|
名和
|
学生などによるインターネット上の悪戯もドンドン"進化"して、教師や専門家の目も行き届かなくなった。そのため倫理教育も右往左往せざるを得ないという面がありますね。情報処理学会の倫理綱領には、米国計算機学会(ACM:Association for Computing Machinery)の規約にもないような、時代を先取りした文言を加えました。それはインターネットを視野に入れたもので、今後はさまざまな世界観や価値観をもった人びとが登場してくるから、倫理も多様性を配慮すべきだということでした。この倫理綱領は1996年施行ですから、当時としては先を見すえた内容で、それだけは自慢できますね。
個人としての倫理もさることながら、会社としてはどうするのか。一応、社内教育の重要性などは指摘しましたが、要するに経営者が情報処理学会の会員になってもらうことが最も有効ではないかということになりました(笑)。ただし仮に問題が起きても、医者や弁護士のコミュニティとちがって学会の権威が法的に裏付けられていないから、追放されても仕事はできます。この問題はいまも残っています。
|
|
矢野
|
それで情報処理学会員は増えているのですか。
|
|
名和
|
情報処理会社は増える一方ですが、学会員は減っており、当初のもくろみ通りには進んでいません。情報処理の世界も国際化の波にさらされ、日本の学会に入るよりもACMや米国電気電子技術者学会(IEEE=Institute of Electrical and Electronics Engineers)に入会した方が、論文なども国際的に流通しやすいからです。
|
|
矢野
|
なるほど。
|
|
名和
|
もう一つ、議論になったのはまさに「倫理とは何か」ということです。一般的には法律の周辺で守るべき慣行といった程度の認識でしょうが、哲学者も入れて議論したところ、「悪法も法」という言葉があるように、ときには法律と倫理が衝突するというわけです。それは困ったことだが、ありうる話でしょうし、結論は出ませんでした。
|
|
矢野
|
情報倫理に関する名和さんの基本的なお考えは?
|
|
名和
|
「情報倫理」という言葉は、1990年代なかばのインターネット商用化後にさかんに使われるようになりました。情報倫理には次の3つのパターンがあるといえます。
 |
1. |
ネチケット |
……レイマン型倫理 |
2. |
ハッカー倫理 |
……ハッカー型倫理 |
3. |
専門家責任 |
……専門家型倫理 |
ネチケット、すなわちネット上のエチケットは、インターネット上のさまざまな迷惑行為をユーザー、つまり市民や消費者などごく一般の人(レイマン=lay-man)が協力して抑止しようという趣旨です。
ハッカー倫理は、インターネットを自律的かつ公正な人間交流の場にしようというネットの伝統的な考え方で、ある種の破壊活動が正当化されることもありますが、基本的にはエリートとしての自律性と公正さを追求するものです。
3つ目の専門家責任とは、ソフトウエア生産に関わるシステム技術者の職業的な倫理ですね。
当時はインターネットの世界も、まだ専門家たる技術者の倫理でコントロールできるという気分、あるいは希望があったのですが、それがもはや崩れてしまった。これほどに一般の人、レイマンが使うようになると、技術者だけがいくら頑張っても難しいですね。
|
|
矢野
|
ねっとアゴラの記事の中では、「この綱領が役に立つかどうかを日常的にチェックしようということで研究会を設けた」とお書きになっていますが、技術者だけのコントロールには限界があることを予見されていたんですね。この研究会というのは今もあるんですか。
|
|
名和
|
今でも続いております。年に数回、会合を開き、情報倫理や現実のインターネットのさまざまな問題を議論しています。現在でも法律家が参加するなど、この手の研究会では珍しい構成です。ただ、幹事の交替もあり、今は技術サイドの話が中心になっているようです。昔はインターネットに対して多少批判的な面もあったのですが、現在はe-Japan戦略の発想なのか、何とか前へ進めようというムードが強いようですね。
|