最近足の骨を折る機会があって、体の一部が不自由だということが実際どういうことなのか、まさに身をもって体験することができた。
足先の骨を一本折ったというだけでどれだけ行動が制限されるものか、元気な時には想像できない。例えばテーピングした足で履ける靴がない。街中バリアだらけで車椅子は使い物にならない。気の利いた杖一本見つからない。それこそ都市環境から靴のひもまで、けがをしたり病気をしたり、年を取ったり幼かったり、妊娠していたり荷物を持っていたり、あるいは何かしらの障害を持っていたりという、人間の多様性を想定せずにデザインされている事がよく分かった。
けがをした足の爪を切りたいと思っただけでも思案に暮れる。それでなくても体が硬くておなか周りの貧弱でない人にとって、自分で自分の足の爪を切るというのは骨の折れる仕事であるのに、文字通り骨が折れていていつものように足を動かせないとなると、これはもう、如何ともしがたい。 |