
バスの車内で携帯電話を使用する男性。携帯電話を口に当て「わしがこう言ってるんだから、とにかくやってくれ!」と一方的な会話を続ける。その間、相手がどう答えているかはまったく問題ではないらしい。ちなみにペルーでは、バスの車内での携帯電話使用は野放しだ。
おしゃべり好きが多いペルー人。家族はもとより、恋人や気の置けない仲間との会話は尽きることがなく、とにかくよくしゃべり続ける。日本では女が3人寄ればおしゃべりに花が咲くと言われるが、ペルーでは男2人でもかしましい。友人も「俺、しゃべるのが好きなんだよね」と自らカシマシ男であることを認めている。
なぜペルー人はこんなによくしゃべるのだろう。ペルーの学校ではディベート(討論)の授業があり、幼い頃から自分の意見や好き嫌いをきちんと述べるよう育てられる。黙っていると逆に「あの人はcallado(カジャード/無口)だ」と言われ、意見のない人と判断されてしまうことが多い。「沈黙は金なり」などという格言はあろうはずもなく「しゃべっていくら」の世界なのだ。心に浮かんだことをすべて相手に伝えようとする勢いが余って、ついつい会話がはずんでしまうのかもしれない。
この「しゃべっていくら」を体現しているなと常々感心するのが、携帯電話を操るシーンだ。携帯電話は本体を耳に当てた状態で話し手の声がきちんと拾える、なんてことは日本人に説明する必要はないだろう。耳元から口元へ、口元から耳元へとその都度移動する必要がないのは、言わずもがな。
しかしながら、ペルーにはそのような動作で通話する人がとても多い。相手の話を聞く時は耳に当てるが、自分が話す時は携帯をマイクのように自分の口元へ持っていく。当然自分がしゃべっている間の相手の声は聞こえない。「お前の意見は後から聞いてやる。でもまずは俺の話を聞け」と言わんばかりの使い方なのだ。もちろん携帯電話の中にはトランシーバー機能を備えた機種もある。しかし明らかに一般的な携帯電話であるにもかかわらず、耳元と口元の間をひっきりなしに往復させているさまを見ると「あれでよく会話が成立するものだ」と思わず見入ってしまう。
さてこの「しゃべっていくら」は、家族や友人間だけではない。彼らは外国人に対しても見境なく話しかけてくる。特にリマの人々はその垣根が低いように思う。
散歩や買い物途中にたびたび声をかけられるが、それは外国人としての私に興味があるのではなく、ただ自分が知りたいことを尋ねるためだ。相手がスペイン語を話せるかどうかなど気にもとめず「○○通りってどこか知ってる?」とか、「ねえ、その野菜、どうやって調理するの?」など、自分の知りたいことを率直に聞いてくる。こちらが答えられればよし、分からないというと「あ、そ」と次のターゲットを探す。
日本人なら、道を尋ねるのに、外国人と思しき人には声をかけないだろう。「きっと知らないだろう」「日本語が分からないかもしれない」など、先にあれこれと気に病んでしまうからだ。しかしペルーは移民の多い国。特にリマには中国系や日系人も多く暮らしているため、観光地でもない一般の住宅街を歩いている「外国人」は、彼らにとって「外国人」ではないのかもしれない。そこに持ち前の人懐っこさとおしゃべり好きが加わると、相手が外国人だろうがスペイン語が怪しかろうが、どうでもよくなってしまうのだろうか。
そんなリマっ子たちは逆に何かを聞かれても嫌がらないし、不審にも思わないようだ。おかげで私も気軽に声がかけられる。道を尋ねるのも、珍しい野菜の調理法を聞くのも、食べごろのパパイヤを選んでもらうのにも躊躇しなくなった。私はおしゃべりが目的な訳ではないが、知りたいことを気軽に聞けるのはありがたいことだと思う。
以前日本に一時帰国した際のこと。いつもの調子で周りの人になんでも聞いてしまう私は、友人から「変な感じ」とからかわれた。そういえば子供の頃、見知らぬ人には注意しろと教えられたが…。一方的に話しかけられて煩わしい思いをすることもあるリマ暮らしだが、彼らのおしゃべり好きは人と人との距離を縮めてくれる意外と心地良いものであることに、その時気づいたのだった。
原田慶子(はらだ・けいこ)
2006年よりペルー・リマ在住。フリーライターとしてペルーの観光情報からエコやグルメな話題など幅広く執筆、NHKを始め地方のラジオ番組にも出演。自身のブログでリマの日常を発信中。http://www.keikoharada.com/