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ニッポン・ロングセラー考 日本発売40周年を迎えるちり紙文化を変えた功労者 クリネックスティシュー

元はアメリカ生まれの使い捨て「クリーム落とし」だった

雑誌広告
アメリカにおけるクリネックスティシュー発売当時の雑誌広告。"Remove Cold Cream"(コールドクリーム落とし)と明確に謳われていた。
 
パッケージ
1925(大正14)年頃のアメリカ版クリネックスティシューのパッケージ。この頃はまだ1枚1枚折らずに箱に入れられていた。
 
会社設立当時の取締役
十條キンバリー設立当時の取締役会。左端背中が高柳武夫社長、右端がアメリカ式のマーケティング手法を持ち込んだR.N.クリスチャンセン氏。

ティシューペーパーといえば、誰もがすぐに思い浮かべるのが「クリネックスティシュー」だろう。実はこれ、日本オリジナルの製品ではない。生まれはアメリカのキンバリー・クラーク社。時は1924(大正13)年、第一次世界大戦後まもなくのことだ。
大戦中、同社は米国陸軍省と赤十字社の要請により、コットンに代わる素材"セルコットン"を開発した。この技術を転用し、女性が化粧に使うコールドクリームを落とすための使い捨てハンカチとして発売したのが、クリネックスティシューだった。
当時のアメリカ女性は化粧落としの際にタオルや布を使っていたため、非衛生的で、洗うのを面倒に感じていた。使い捨てにできるクリネックスティシューの登場は、女性にとって願ってもない朗報だったわけだ。

クリネックス(Kleenex)とは、清潔を意味する"Clean"の頭文字を"K"に変え、語感の良さを出すために末尾を"ex"にした造語。製品の用途を連想させる優れたネーミングだった。
最初のクリネックスティシューは1枚1枚が折らずに箱に入ったものだったが、29(昭和4)年、現在のように次の1枚が箱から出てくるポップアップ方式が登場。発売当初はハンカチ代わりに繰り返し使う女性が多かったが、広告面で「使い捨てのできるハンカチ」を強調した結果、その後は売り上げが飛躍的に伸びたという。

一方、日本の各家庭では1960年代半ばまで、主にちり紙(白ちり、黒ちり)や京花紙など、伝統的な生活用紙が使われていた。これらは古紙や雑パルプを原料としていたため、低コストで生産できるというメリットがあったが、生産性が低く、品質も安定しないという問題を抱えていた。
状況が変化したきっかけは、62(昭和37)年から始まった、紙パルプにおける政府の貿易自由化政策。市況低迷のさなか、いきなり国際競争にさらされることになった日本の製紙メーカーは、そろって新しい事業分野への進出に力を入れ出した。

未開拓の日本市場に目を付けたキンバリー・クラーク社が、業界大手だった十條製紙に接触したのもちょうどこの頃。思惑が一致した両社の話はとんとん拍子に進み、63(昭和38)年4月、折半出資による合弁会社、十條キンバリーが設立された。キンバリー・クラーク社からは、副社長としてR.N.クリスチャンセン氏が送り込まれた。

64(昭和39)年6月、名古屋のレストランシアターで、クリネックスティシュー発売についての発表会が盛大に行われた。東京ではなく名古屋が選ばれた理由は、当時の名古屋が保守的で新製品の販売が難しいとされていたから。「名古屋で成功すれば全国を制覇できる」――チャレンジャー精神にあふれた新しい会社は、あえて困難な道を選択したのだった。

初出荷された製品は、クリネックスティシューのレギュラー(100組200枚、100円)を始め3種類。レギュラーには最初からホワイト、ピンク、イエロー、アクアブルーの4色が用意された。
今に続くパッケージの有名な"波模様"デザインは、博報堂の女性デザイナーの手によるもの。クリスチャンセン氏はこのデザインを指して「尾形光琳の『流水文』を連想させる」と語ったという。

初の製品 記念すべき日本初のクリネックスティシュー。1964(昭和39)年発売。薄く見えるのは100組200枚入りのボックスだから。このパッケージをご記憶の方も多いのではないか。
地道な営業とアメリカ式マーケティング手法の勝利
 

セールス報告書
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発売当初のセールス日報。多くの小売店を訪問しながらも、契約数は微々たるもの。当時の営業マンの苦労が伝わってくる。

MD協約書
最初のマーチャンダイジング協約書。日本の流通業の変革期をうまく捉えたMDで、異業種にも大きな影響を与えた。発案者は当時のキャメロン副社長。
商談中の営業社員
スーパーで商談中の営業マン(71年頃)。この頃から、ティシューペーパーはスーパーや小売店の目玉商品になっていった。

鳴り物入りで発売されたクリネックスティシューだったが、名古屋での当初の販売は困難を極めた。考えてみれば当たり前である。ちり紙文化に慣れた日本人には、クリネックスティシューは"値段の高い箱入り西洋ちり紙"にしか見えなかったはずだ。
それでも入社したばかりの営業部員7人は、設備もろくに整ってないような寮に泊まり込み、粘り強く営業活動を続けた。ようやく受注できてもせいぜい6箱から12箱程度のバラ注文。1ケース(36箱入り)での受注はほとんどなかったという。

スタート時の状況は厳しかったが、事態は間もなく好転し始めた。クリスチャンセン氏の下で行われたアメリカ式のマーケティング手法が、功を奏し始めたのである。具体的には、代理店や小売店に対する徹底した指導援助、大量の商品を流すために必要な広告・宣伝など。加えて社員が代理店セールスとの同行販売や小売店への飛び込み営業に力を入れた結果、早くも65(昭和40)年末までには全国での販売体制が整った。

順調に販売量を伸ばしていったクリネックスティシューだったが、ライバルが存在しなかったわけではない。ほぼ同時期に「スコッティ」を発売した山陽スコットを始め、消費が拡大し続けた60年代後半から70年代前半にかけては、ホクシー、日清紡績、王子ティッシュ販売など、大手メーカーを筆頭に多数の中小メーカーが続々と業界に参入。競争は激化の一途を辿っていった。

それでも十條キンバリーのクリネックスティシューは、69(昭和44)年から73(昭和48)年にかけて、毎年対前年比で150%近い販売量の伸びを記録した。理由のひとつとして、同社が実施したスーパーマーケットに対するマーチャンダイジング(MD)協約があげられる。
その内容は、この頃急激にチェーンストア化していったスーパーにインセンティブを与える代わりに、定番スペースの確保、大量陳列による店頭露出、チラシ広告による消費者の購買促進を約束させるというもの。今でこそ珍しくないMDだが、これは当時としては画期的な手法だった。以来現在に至るまでずっと、ティシューペーパーはスーパーの特売セールのには欠かせない商品になっている。


巧みな宣伝戦略により、早くからブランドを確立

  ラインダンスCM
最初に放映されたTVCM「ラインダンス編」。ワイドショーの生CMとともに、クリネックスティシューの名を広めた。
夫婦編CM
「Gentle Life」キャンペーン時代のTVCM「浮気・佐川満男・伊東ゆかり編」。夫婦間の愛情がテーマだった。
 
天使編CM
日本のTVCM史に残る傑作とされる「天使編」は、77〜79(昭和52〜54)年まで続いた。クリネックスティシューは価格競争から脱却し、ブランドイメージを高めることに成功。

地道な営業、アメリカ式のMDに加え、巧みな宣伝戦略を展開したことも、クリネックスティシュー成功の大きな要因だろう。発売当初からTVCMは放映されていたが、最初に強力なバックアップとなったのが、発売年の11月から開始した主婦向けテレビ情報番組「木島則夫モーニングショー」(NET:日本教育テレビ=現テレビ朝日)への提供だった。十條キンバリーは番組の中で、フィルムCMとスタジオでの生CMを実施した。
当時怒濤のような勢いで普及しつつあったテレビによる宣伝は、今以上に大きな効果があったに違いない。柔らかさ、強さ、便利さといった製品の特徴は直接主婦層に伝わり、それはそのまま小売店でのセールスにつながった。

販売量が急速に伸びた60年代後半から70年代初めにかけては、「Gentle Life」キャンペーンを展開。テレビや雑誌で"Gentle"という言葉を前面に打ち出し、クリネックスティシューの品質と機能を訴求した。商品の特性を直接説明するのではなく、"愛"や"優しさ"という概念と商品を結びつけるイメージ戦略を取ったのである。

73年10月末に起こったオイルショック以降、家庭紙業界は成長性の高いティシューペーパー市場への参入がさらに増え、価格競争はさらに激化することとなった。
この時期、十條キンバリーはインフレを逆手に取った「1年間らくらくクイズ」というプレゼントキャンペーンを実施。消費者の希望に沿った形で家計を助けるというこのキャンペーンは、社会的にも大きな反響を呼んだ。
また、77(昭和52)年には、可愛らしい天使が無心にクリネックスティシューと戯れるTVCM「天使編」を放映。このCMは世界三大広告賞のひとつである「国際放送広告賞」を受賞し、クリネックスティシューのブランドイメージをさらに高めることとなった。


細かな改良を加え、消費者ニーズに対応

製品に細かな改良を加えたことも、クリネックスティシュー成功の要因にあげられるだろう。
発売翌年の65年には、早くも「クリネックスティシュー・エコノミーサイズ」(200組400枚、180円)を発売している。この商品は需要の拡大を背景に急激に販売量を伸ばし、翌年には年間販売ケース数でレギュラーサイズを抜いてしまうほど売れた。

71(昭和46)年には、取り出し口に現在では一般化している"ポリウィンド"を付けた製品を出荷。ティシューを取り出すときの不快な音が軽減され、箱の中に埃が入ることもなくなった。
これもまた、「消費者がどんな商品を求めているかを常に調査する」という、同社のマーケティングが生み出した改良点に他ならない。

需要が頭打ちとなった80年代以降、ティシューペーパー業界は低成長期に入った。市場価格は下がり続け、1ボックス90円前後にまで下落。
81(昭和56)年、クリネックスティシューはクオリティを重視した「ニュー・クリネックスティシュー」を発売し、競合する他社製品との差別化を図った。「安売り競争に与せず、高品質な製品を消費者に届ける」という発売当時からのポリシーは、激化する低価格競争の中でもしっかり守られたのである。

以降も、85(昭和60)年の5箱パック、97(平成9)年の5箱パックコンパクト、01(平成13)年の5箱パックスリムなど、クリネックスティシューは時代の消費者ニーズに合わせた商品を送り出してきた。02(平成14)年には、スリム化することによって犠牲になった品質を改善するため、再び紙厚を上げることまでしている。箱の高さは50mmから62mmになったが、ひとクラス上の柔らかさと上質感は、やはりクリネックスティシューならではのものだ。

クリネックスティシューの発売から今年で40年。ティシューペーパー市場は年間1100億円もの巨大市場に成長した。が、各メーカーのシェア争いによって価格競争はますます激化し、ともすれば品質が犠牲になってきた面は否定できない。そうした中でも、ブランドで勝負できる製品を作り続けてきたクリネックスティシューは、やはり特筆すべき存在といえるだろう。
長らく維持してきたトップシェアは80年代半ばに他社に奪われたが、クリネックスティシューのブランド・ロイヤリティーにはいささかの揺るぎもない。そう、パッケージの"波模様"が40年にわたって変わらなかったように。

エコノミーサイズ   5箱パックコンパクト   5箱パックスリム   現在の5箱パック
レギュラーに代わってメイン商品となった「クリネックスティシュー・エコノミーサイズ」。写真は67(昭和42)年にデザイン変更されたもの。同年、エコノミーとレギュラーの比率は9:1になった。   97(平成9)年に発売された5箱パックコンパクト。持ち運び・収納の利便性を考えて開発されたパッケージで、多くのメーカーがほぼ同時にコンパクト化を図った。ロゴはアルファベット表記に変更された。   01(平成13)年発売の5箱パックスリム。スリム化は21世紀に入っての大きなトレンドとなったが、紙を薄くせざるを得ないため、メーカーによっては品質が犠牲になるケースもあった。   03(平成15)年発売の現行5箱パック。クリネックスティシューのブランドを守るため、再び品質をアップ。箱は大きくなったが、消費者の反応は良好だという。
             

取材協力:株式会社クレシア(http://www.crecia.co.jp/index.html

クリネックスティシューとスコッティは親戚?

日本で最初に箱入りティシューペーパーとして登場したのは、実はクリネックスティシューではなく、山陽スコットの「スコッティ」だった。といっても発売時期は64(昭和39)年2月。クリネックスティシュー発売のわずか4ヶ月前の話だ。山陽スコットもまた、日本の山陽パルプとアメリカのスコットペーパー社が折半出資した合弁会社だった。
86(昭和61)年、十條キンバリーは十條製紙の100%出資会社となり、91(平成3)年には山陽スコット(93年に社名をクレシアに変更)もまた、山陽国策パルプの100%出資会社となった。両社共にアメリカ資本から独立した形になったわけである。
そして93(平成5)年、十條製紙と山陽国策パルプが合併して日本製紙が誕生。95(平成7)年、キンバリークラーク社とスコットペーパー社が合併。96(平成8)年には十條キンバリーとクレシアが合併し、新生クレシアとなった。なんともややこしい話だが、ここ数年の市況低迷からの脱却を目指し、製紙業界は合併・統合が相次いでいるのだ。
誕生から32年を経て、クリネックスティシューとスコッティは正式に同じ会社の製品となった。高級イメージで訴求するクリネックスティシューに対し、スコッティは手頃なプライスでアピール。両製品はうまく住み分けているのである。

スコッティ5箱パックスリム
スコッティも01(平成13)年5月、クリネックスティシューと同時にスリム化。こちらは50oの高さに200組400枚を収めている。

撮影/海野惶世(メイン、プレゼント) Top of the page

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