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シヤチハタ Xスタンパー
ニッポン・ロングセラー考 累計販売本数1億4,000万本!社名で呼ばれる浸透印の代名詞

インキが蒸発しにくい「萬年スタンプ台」が出発点

現役時代は常に研究に打ち込んでいた創業者の舟橋高次。新製品を開発しても「社員全員の功績」と語り、決して自慢しなかったという。

   
 

名古屋市西区に建てられた旧シヤチハタ本社。

シヤチハタと聞いて、それが社名だと分かる人がどれだけいるだろうか。ほとんどの人は、シヤチハタ=“スタンプ台のいらない便利なハンコ”と連想するはずだ。
「えっ、シヤチハタって商品名じゃなかったの?」そう思われるのも無理はない。それ程、この製品はシヤチハタという名称が有名になっている。でも、本当の商品名は「Xスタンパー」。会社や自宅にあるネーム印をよく見て下さい。ほら、ちゃんとサグリの部分に「Xstamper」と書いてあるでしょう。
それにしても、どうして社名の方が有名になってしまったのだろう。

今から80年以上も昔の話。シヤチハタの創業者・舟橋高次は薬問屋に勤めていた。仕事柄、一日に何度も薬袋にスタンプを押さなければならない。これが面倒だった。当時のスタンプ台は水性のインキを使用していたため、すぐに蒸発してしまう。何度か押せば、すぐにインキを補充しなければならなかった。
「これでは効率が悪い。いつでもすぐに使えるスタンプ台ができないものか」。
研究熱心だった舟橋は、そんな思いから試作に取りかかった。試行錯誤を繰り返した末、空気中の水分を吸収するグリセリンを使ったスタンプ台を開発。独立して会社を興し、1925(大正14)年に「日の丸印の萬年スタンプ台」として発売した。

ところが、周囲から「日本の国旗を商標にするとは何事か」と指摘され、急遽商標を変更することに。悩んだ末に舟橋が思い付いたのは、出身地である名古屋のシンボル“金の鯱”だった。
これを日の丸の籏の中に収め、製品名を「鯱籏印の萬年スタンプ台」に変更。
そこには「この名古屋から日本一のスタンプ台メーカーになるぞ」という、舟橋の熱い想いが込められていたのだろう。

萬年スタンプ台は人気を博し、鯱籏印は徐々に全国に浸透していった。
その後、会社は持てるインキの技術を活かし、油性ペンや工業用のスタンプインキを製造。東京や大阪に販路を広げ、1960(昭和35)年には名古屋に新社屋を建てるまでに成長した。
普通の経営者ならこの時点で守りの姿勢に入ってもおかしくない。が、舟橋は違った。密かに、誰もがあっと驚くような事を考えていたのである。

 

インキの補充回数を劇的に減らした「萬年スタンプ台」。この製品がシヤチハタの基礎を築いた。


事務の合理化に貢献した画期的な浸透印「Xスタンパー」

 

ビジネス用Xスタンパーの解剖図。独自のアイデアに満ちた画期的な商品だった。同社は数多くの特許を申請して製品を保護した。

 

シヤチハタ・ネーム(図はネーム9)の構造。特殊耐油性ゴムでできた印字体は、穴の小さな印面と、それより大きな部分(灰色の部分)の二重構造。赤い部分はインキを内蔵する吸蔵体で、無数の連続気孔を有する特殊スポンジ体でできている

 

1950〜60年代の高度経済成長期、産業界では事務能率の向上が求められていた。事務職の会社員は、日々何枚もの書類にハンコを押さなければならない。誰もがビジネス用のゴム印や三文判を酷使していた。萬年スタンプ台のおかげでインキの補充回数は劇的に減ったが、それでも毎回スタンプ台を使うわけだから効率は悪い。舟橋はスタンプ台の将来に危機感を感じていた。
「そうか。スタンプ台がいらないスタンプを作れば良いんだ」
それは、スタンプ台で経営を支えてきた会社の存在自体を否定する大胆な発想だった。

仕組みは簡単。ゴム自体にインキを含ませ、押したときにインキが印面に滲み出てくるようにすれば良い。ただしそのためには、インキが通るようゴムに細かいスポンジ状の穴を開けなければならない。これが難しかった。第一、当時のシヤチハタにはゴムを練る機械すらなかったのだ。舟橋ら開発陣は地元の工業研究所から設備を借りて、ゴムの練り方から研究を始めた。数年後、ゴムを練る際に水溶性の粒状物質を混ぜ、後からその物質を水に溶かして穴を開ける方法を考案。ただしゴムをプレス成型するときに熱が加わるから、耐熱性がある物質でなければならない。

さまざまな試験を繰り返した結果、開発陣が辿り着いた物質は塩だった。塩の粒の大きさを均一にすれば、穴の大きさを調節できる。穴の大きさを調節できれば、流れるインキの量を調節することができる。塩の選定や配合に時間はかかったが、要になる多孔質のゴムは目途が付いた。
次はインキだが、こちらは元々シヤチハタの専門分野。開発陣はゴムの中でも固まらず、印字したらすぐに乾く染料インキを開発した。世界初となる“スタンプ台不要のスタンプ”は、こうして完成した。

1965(昭和40)年、シヤチハタはビジネス用の「Xスタンパー」を発売。“X”は、誰も見たことがない未知のものという意味。自信にあふれたネーミングだった。
自信を持って出したXスタンパーだったが、ユーザーからは「スタンプ台で事足りる」という反応が多く、ほとんど売れなかった。
同社はPR不足を認識し、当時人気の「てんぷくトリオ」をCMに起用。評判は次第に上がり、売れ行きは順調に伸びていった。
その3年後の68(昭和43)年、シヤチハタは満を持してネーム印の「Xスタンパー(シヤチハタ・ネーム)」を発売。登録印は無理でも事務印なら問題はないし、マーケットは絶対にあるはずという判断だった。
印判店からの反発はあったが、シヤチハタの営業マンは「Xスタンパーはあくまでも事務印。高価な印章とは競合しない。印章業界発展のためにも扱ってほしい」と説得して回った。価格は1本450円。認め印や三文判より高かったが、スタンプ台がいらない利便性が勝っていた。
シヤチハタ・ネームは順調な滑り出しを見せた。が、その先には思わぬ落とし穴が待ちかまえていた。

     
 

発売当時のXスタンパー。ビジネス用は1995(平成7)年の「エルゴグリップ」登場までこの形だった。

 

シヤチハタ・ネームの組み立て風景。発売当時はまだまだ手作業に負うところが多かった。


爆発的普及のきっかけになった大阪万国博覧会

 

大阪万国博覧会でシヤチハタは自社のパビリオンを設置。Xスタンパーの魅力を現場で伝えていった。

   
 

発売当時のネームタワー。Xスタンパーの名はどこにも書かれていない。現在は製品の種類に合わせ、数多くのタワーが用意されている。


シヤチハタ・ネームの発売後間もなく「使っているうちにインキが薄くなる」「押した時は良いが、数日するとインキが薄れてしまう」というクレームが次々と寄せられるようになった。事態は回収騒ぎにまで発展。同社は対応に追われた。
思いがけないクレームだったが、開発陣は熱心にひとつひとつの問題を解決していった。
使っているうちにインキが薄くなるのは、ゴムの中でインキが詰まってしまうため。これはゴムの穴の大きさを再検討することで解決した。また、押した後にインキが薄れるのは、染料インキ特有の耐光性の低さによるもの。これはインキの性質自体を改良することで解決した。

決して順調とはいかなかったシヤチハタ・ネームの販売だったが、幸運にも、そんな状況を打開するイベントが開催された。1970(昭和45)年の大阪万国博覧会である。
シヤチハタは生活産業館に出展、Xスタンパーのコーナーを設置し、大々的なデモンストレーションを実施。同時に他のパビリオンの来場記念スタンプを作り、さまざまなデザインのXスタンパーを置いてもらった。中には2色、3色のスタンプもあり、来場者はこぞってスタンプ集めに熱中。シヤチハタのスタッフは開場近くにマンションを借り、会期中5人の社員が対応した。
シヤチハタの名は、この国際イベントで一気に全国に浸透することとなった。

シヤチハタの名を広めたのはイベントばかりではなかった。同社は文具店、印章店、デパートなど全国の取引先にネーム印のディスプレイケース(ネームタワーという)を設置。インパクトの強い黄色と黒の箱に約500個のシヤチハタ・ネームを収納し、消費者が購入しやすいよう工夫を凝らした。
また、てんぷくトリオや大野しげひさなど、著名なタレントを起用したテレビCMや雑誌広告などを積極的に展開し、店頭とメディアの両方から認知度を高めていった。

当時のネームタワーや宣伝資料を見ると、なぜXスタンパーではなくシヤチハタの名が浸透していったのかがよく分かる。そこにはほとんどと言って良いくらい、Xスタンパーの名がないのだ。
シヤチハタの名ばかりが目立つのである。
広報の説明によると、これは当時の宣伝戦略だったらしい。今までにない全く新しいタイプの製品だから、まずはどこの製品であるかを強くアピールする必要がある。黒と黄色のネームのタワーは、どこから見ても、とにかく目立つ。ひと目でネームとシヤチハタがわかるようにデザインされており、いきおい、横文字のXstamperは影に隠れるようになってしまったのだ。


       

取引先向けの会社案内から。CMに起用した大野しげひさは、ドラマやバラエティで活躍するマルチタレントだった。


 
浸透印のニーズは実用性から個性化・ファッション性へ
 

日本で最も愛用されている浸透印「ネーム9」(1,522円)。既製品は2,100氏名、取り寄せになる準既製品は860氏名ある。オーダーメードで4色のパステルカラーもチョイス可能(Aタイプ2,257円/Bタイプ2,572円)。

玄関先やデスクにぴったりの卓上ネーム印「スタンディングネーム」(1,260円)。印字はインターネットやメールで申し込む仕組みだ。

 

なごみ系のカラーがお洒落な携帯ハンコ「ジャポン」(1,155円)。スタンディングネーム同様、印字はインターネットやメールで申し込む。

 
 

実際の販売面でXスタンパーの売れ行きを大きく後押ししたのは、銀行や大手メーカーなど大口の顧客だった。特に全国に多くの支店を持つ銀行の存在は大きく、シヤチハタは銀行員の声に注意深く耳を傾けていたという。
なかでも最も多かったのが、捺印したインキの耐光性に関するものだった。銀行では書類の長期保存が必要なため、耐光性のあるインキの開発が求められた。

開発陣は、それまで使っていた染料インキから顔料インキの開発を迫られた。染料インキは粒子が細かく紙への浸透性と連続捺印性に優れていたが、耐光性が低い。一方の顔料インキは溶剤の中に顔料の粒子が浮遊しているため、滲みが少なく鮮やかに捺印でき、耐光性や耐水性にも優れている。ただ顔料インキは粒子の粒が大きいので、ゴムの材質や穴の数、大きさを再検討しなければならなかった。

長年の研究開発の末、1978(昭和53)年に顔料インキを使った第2のネーム印「ブラック11」を発売。ボディは精悍なブラック、印面サイズの直径は11m/mで、役職者にふさわしい商品だった。また、1986(昭和61)年に顔料インキを使った第2世代のシヤチハタ・ネームとも言える「ネーム9」を発売。ネーム9は再びベストセラーとなり、今も同社の主力製品であり続けている。
一方のビジネス印も95(平成10)年にリニューアルした。グリップ部分にソフトな感触の素材を採用し、握りやすさと手にしたときの心地よさを両立。昔の製品に比べると、随分明るいイメージになっている。

機能と実用性という点において、シヤチハタの浸透印はもう十分に完成されていると言えるだろう。新たなニーズは、どうやら製品の個性化とファッション性にあるようだ。
事実、最近のオフィスでは会社から与えられた黒いネーム9ではなく、自分で購入したカラフルなネーム9や、ペンとネーム印が一体になった同社の「ネームペン」を使っている女性社員が珍しくない。
シヤチハタもデザイン性にこだわった「スタンディングネーム」や、お洒落な携帯ハンコ「ジャポン」を発売し、女性を中心にした新たなニーズに対応している。

現在、浸透印におけるシヤチハタの市場シェアは約80%にもなるという。もちろん、そこまで成長したのはXスタンパーがあったからこそ。累計販売本数はなんと1億4,000万本に達する。
思えばXスタンパーは、自社のドル箱だったスタンプ台を否定するところから誕生した製品だった。開発者の舟橋は、消えゆくものと未来あるものを明確に見極めていたのだろう。
その根底には、日本伝統の印章文化を守りながらも時代に即した製品を作るという、常識に捕らわれない柔軟な発想がある。
次世代のシヤチハタは、どんな姿で登場するのだろうか。

 
取材協力/シヤチハタ株式会社(http://www.shachihata.co.jp

スタンプ台から浸透印へ、そしてデジタルスタンプへ
1995年、シヤチハタは電子印鑑システム「パソコン決裁」を発売している。 これは、電子文書の中に印鑑を捺すことができるソフトウェア。パソコンを使って文書を作成しても、承認印のためにわざわざ文書を印刷するケースがよくある。そんな無駄をなくすために開発された製品だ。例えば、ソフトをインストールした後、パソコンで書類を作って「パソコン決裁」で捺印し、メールで上司に送信する。受け取った上司もパソコン上で内容を確認し、捺印するという使い方ができる。承認文書をデジタル文書として作成できることにより、書棚が不要になったり、公開や検索が容易になるといったデジタルのメリットを活かせるのだ。さらに電子証明書(PKI)にも対応しているので、文書のセキュリティも守られる。
現在、「パソコン決裁」の法人ユーザーは約5,000社。18万人が日常的に利用しているという。Xスタンパーはスタンプ台を否定するところから生まれた。そしてパソコン決裁は、将来的にそのXスタンパーを不要のものにするかもしれない。
過去の製品に執着せず、常に未来あるものに目を向ける──シヤチハタの強さはここにある。
 
21世紀の捺印文化とも言える「パソコン決裁」。オフィスのペーパーレス化に大いに寄与している。詳細情報はインターネットから。

撮影/海野惶世(タイトル部)、ジオラマ制作/小湊好治 Top of the page

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