寒くなってくると温かい紅茶が飲みたくなる。本当はポットでいれたお茶の香りと味を楽しみたいところだけど、その手間を考えるとおっくうでついついティーバッグを使うことになってしまう。特に、自分一人だと、カップとポットを用意してテーブルに運び、お茶の葉を入れて熱い湯を注ぎ、頃合を見計らってポットのふたを持ち上げて中をのぞき込み、色で出具合を確認してカップに注ぐというプロセス、更には飲み終わった後、ポットに残った茶殻を捨ててポットを洗い、カップも洗って食器棚に戻す。頭の中でなぞってみるその長い一連の動作は、一人で紅茶をいれて飲みたいというささやかな希望をくじくのに十分な説得力を持ってティーバッグの簡便性を弁護するのである。忠実な給仕が控えている英国貴族ならずとも、その優雅な習慣にあこがれて、せめて週末の午後、家族団らんの席に手作りの焼き菓子を添えて、とっておきの紅茶を淹れる誇り高き御仁ならともかく、残念ながらその身分にない人が、私も含め大多数。日々の生活に追われて忙しく暮らす日本の多くの庶民にとっては、磁器のポットからティーカップに注がれる香り高いアッサムティーなどというものは、小説やテレビドラマで見慣れた光景であっても現実にはめったに起こらない。ましてや、身軽に動き回るというわけにゆかない場合、訳あって準備や後片付けを人に頼まなければならない場合などは遠慮が先立ってしまうのが人情でもある。
このbodumのマグと茶漉しのセットは、ティーカップにティーポットを兼ねさせるという発想で紅茶をいれるプロセスを簡略化させ、本格的なリーフティの味と香りを手軽に楽しむことができる。使い方は簡単で何の説明も必要ない。湯を注いでから飲み頃の濃さになるまで徐々に赤みを増す紅茶の色彩の変化を観察しながら豊かな時間を味わうのは良いものだ。ちょっとしたクッキーを添えて、読みかけの文庫本とお気に入りの音楽があって、穏やかな陽光がこぼれる窓辺であれば、一人で味わうお茶は実に良いものだ。 |