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ニッポン・ロングセラー考 Vol.64 カネヨ石けん カネヨクレンザー 頑固な汚れもすっきり落とす元祖粉末クレンザー

商品をリヤカーに積み、委託販売で販路を開拓

創業者・鈴木治作

創業者の鈴木治作。

昔も今も、主婦にとって台所まわりの汚れは頭痛のタネ。食器やシンク周辺の油汚れなら専用の合成洗剤でも落とせるが、鍋の焦げ付きやガスレンジの五徳にこびりついた汚れなどは、専用洗剤でもそう簡単には落とせない。そこで登場するのがクレンザー。現在主流になっている液体クレンザーには、洗剤成分に約十数ミクロンという微細な研磨剤が配合されている。この研磨剤が、しつこい汚れを削り落としてくれるわけだ。
昔はどの家庭にも必ずと言っていいほどクレンザーが常備されていた。毎日使わないとしても、なくては困る台所の必需品だったのである。その代表的な存在が、カネヨ石鹸の「カネヨクレンザー」。と聞いて赤い箱と青い箱に入った粉末クレンザーを思い出す読者は、台所に立ってウン十年というベテラン主婦かもしれない。粉末クレンザーは知らなくても、「白いボトルに赤いキャップの『カネヨン』なら知っている」という読者は多いはず。クレンザーは他社からも発売されているけれど、知名度となるとやはりカネヨクレンザーが一番ではないだろうか。

クレンザーが登場したのは大正時代に入ってから。それまで、日本では鍋や釜を洗うために、砂や火山灰を原料とする「磨き砂」が使われていた。各家庭では小さな木の箱や桶に磨き砂を入れておき、タワシやヘチマにつけて磨き洗いを行っていたのである。細かな砂粒で汚れを削り取るわけだから、きれいにはなるが傷も付く。そこに登場したのがクレンザーだった。大正時代にもアメリカ製のクレンザーが細々と輸入されてはいたが、一般に知られるようになったのは、1932(昭和7)年に、日本のあるメーカーが自社開発のクレンザーを発売してから。磨き砂同様クレンザーも研磨剤が主成分だが、研磨剤の粒が小さいので傷が付きにくく、石けんを配合しているので磨き砂より汚れがよく落ちた。

初期のパッケージ

初期のパッケージ。イラストの女性は現在のエプロン姿ではなく、割烹着を着ている。

ちょうどこの頃、東京の池袋にもクレンザーを売り出そうとしている男がいた。名前は鈴木治作。札幌の雑貨販売問屋で頭角を現し、石けん部門を任されるほどのやり手だった。治作は一国一城の主を夢見て独立し、1933(昭和8)年に「鈴木山陽堂」(後のカネヨ石鹸)を興す。きっかけは創業の数年前、洋行帰りのある歯磨きメーカーの重役から聞いたこんな話だった。「アメリカではクレンザーが大人気で、たいそう売れている。日本でも売れるんじゃないか」。
クレンザーの開発に全力を注いだ治作は山形県から火山灰の一種である白土を入手し、札幌時代に身に付けた石けん製造のノウハウを活かしてオリジナルのクレンザーを完成させた。創業したその年にカネヨクレンザーを発売。375g入りの角函で価格は10銭だった。ちなみにカネヨとは、矩印「┐」と鈴木陽右衛門(義父)の「ヨ」の字から作った商標に由来する。


研磨力の強さと安全性が評価され、台所の必需品に

カネヨクレンザー広告
イラストを使った広告。1950〜60年代、新聞や雑誌に数多く露出していた。
カネヨクレンザー広告

カネヨ製品の新聞・雑誌広告。高品質であることをアピールしている。

商売人としての再起をかけて発売したカネヨクレンザーだったが、高めの値付けと商品の新規性が仇となり、発売当初はなかなか思うように売れなかった。
毎日足を棒にして問屋を回っても、一個も見本を引き取ってもらえない日々が続いた。そんなある日、治作は遂に腹を決める。札幌時代に自身が考案して実践した“鈴木式リヤカー商法”を再びやろうというのだ。リヤカーにカネヨクレンザーを積み込み、部下と二人で問屋を訪問する。商品をリヤカーから降ろして問屋に運び込み、リヤカーをちょっと離れた先に停めておく。商談がうまくいかなくても、「リヤカーが先に帰ってしまったので商品を持ち帰れません。戻って来るまで置かせて下さい」と頼み込み、そのまま帰る。商品が気になる問屋は電話をかけてくるが、その日は取りに行かず、明くる日再び出向いて交渉する。こうすると、たいていの問屋は治作のしぶとさに根負けして商品を置いてくれるのだった。
果たして、カネヨクレンザーは徐々に売れるようになっていく。ブームがやって来たのは、戦後になってからだった。

戦後の高度経済成長期、クレンザー市場は右肩上がりに伸びていった。背景には、日本人の食生活が大きく変わったという事情がある。食の欧米化が進み、油を使う料理が多くなったのだ。台所用の合成洗剤が登場するのは1950年代半ば。それまではクレンザーが台所用洗剤の主役だったのである。
クレンザーが支持された大きな理由として、その優れた洗浄力がある。当時広く使われていたアルマイトの弁当箱を洗うのに、クレンザーほど便利なものはなかった。また、主成分が白土という自然物であるという点も、主婦には評判が良かったという。つい最近まで磨き砂や米の研ぎ汁で食器を洗っていたわけだから、合成洗剤に抵抗がある主婦も多かったのである。
1950年代後半から60年代前半にかけては、大小様々なメーカーがクレンザー市場に参入し、業界は激しい競争時代に入った。最盛期には100種類を越えたと言われているから、相当大きな市場だったのだろう。

そんな厳しい市場の中で、カネヨクレンザーが抜きん出る存在になれたのはなぜか? その大きな理由は、巧みな宣伝力と地道な営業力にあった。
治作は早くからマスメディアの効果に注目しており、1949(昭和24)年にはラジオCMを流してカネヨクレンザーを宣伝している。また、新聞や主婦向け雑誌への広告出稿も頻繁に行った。消費者向けのプレゼントキャンペーンはもちろん、当時東京の蔵前にあった国技館を借り切って特売会を行うなど、直接消費者にアプローチする宣伝方法を積極的に取り入れていたのである。
同時に、治作は販売拠点作りにも力を入れた。40〜50年代にかけて、関東圏を中心にカネヨ会と呼ばれる問屋グループを組織。クレンザーの需要が伸びることを見越して、大手メーカーと互角に戦えるような販売網をしっかりと作り上げたのである。

現行カネヨクレンザー
現行カネヨソフトクレンザー
昔のカネヨソフトクレンザー

現行のカネヨクレンザー。350g入り。90円(税抜)。

現行のカネヨソフトクレンザー。350g入り。90円(税抜)。

発売当時のカネヨソフトクレンザー。細部が少し違うが、ほとんど同じデザイン。

赤い箱に入ったカネヨクレンザーは、「赤函」という愛称で庶民に親しまれた。1957(昭和32)年には、クレンザー第2弾となる「カネヨソフトクレンザー」を発売。こちらは中身に界面活性剤を加え、より傷が付きにくく、滑らかに汚れが落とせるのが特徴だ。青と白のシンプルなパッケージは「青函」と呼ばれ、赤函と並んでカネヨ石鹸の主力製品となっていく。
この赤函と青函は、せいぜいパッケージの商品コピーを変更したくらいで、現在もそのパッケージデザインをほとんど変えていない。赤函のアール・デコ調イラストやロゴタイプは今もプロのデザイナーから高く評価されているし、青函のパッケージはシンプルデザインの極致と言ってもいいだろう。

 


日本初の液体クレンザー「カネヨン」で市場を拡大

現行のカネヨン

現行のカネヨン。白いボトルに赤いキャップは発売当時から不変。550g入りの(S)で220円(税抜)。

カネヨンの広告

カネヨンの広告。ボトルやラベルは同じだが、キャップの形が少し違う。

カネヨンの広告

こちらの広告では、台所用途だけでなく、日常で幅広く使える事を訴求している。

1960年代の半ばに入ると、さしものクレンザー市場にも陰りが見え始める。合成洗剤の普及が進み、食器洗いに関してはクレンザーの出番が徐々に少なくなってきた。しかしながら、クレンザーはカネヨ石鹸にとって生命線。市場を守るためには全く新しい商品が必要だった。そこで開発したのが、1971(昭和46)年に発売した日本初の液体クレンザー「カネヨン」。「粉が飛んで使いにくい」という粉末クレンザーの欠点を解消した画期的な商品だった。
カネヨンの特徴は、クレンザーと合成洗剤の良さを併せ持っている点にある。その成分は合成洗剤に研磨剤を約50%配合したもの。研磨剤成分が底に沈殿しないよう、成分が微妙に調整されている。その研磨力は粉末クレンザーに及ばないが、液体の合成洗剤に比べると大きな差があった。フライパンや鍋にこびりついた油汚れを落とすには、カネヨンが一番効果的で使いやすかったのである。

カネヨンもまた、消費者の支持を得て販売量が伸びていく。売れ行きに拍車をかけたのは、やはりマスメディアを利用した大量の宣伝だった。最も有名なのは、カネヨンが発売と同時に放送を開始した、笠置シヅ子によるテレビCM「カネヨンでっせ!」。笠置シヅ子は「ブギの女王」として一世を風靡した、昭和を代表する歌手の一人。CMに登場した頃は俳優として映画やテレビで活躍していた。そのCMは、元気の良いおばさんがコテコテの関西弁でカネヨンを宣伝するという直球そのものの内容。これが非常に好印象で、カネヨ石鹸は以降も長くCMに起用し続けることになる。

更にカネヨ石鹸は、カネヨンの新しい用途をアピールして販路拡大に努めた。ピカピカに磨けるのは鍋やフライパンばかりではない。研磨剤を含んでいるので、壁やドアの落書き落としやタイル磨き、軽いサビ落としなど、日常の磨き用途に幅広く使えるという事を盛んに宣伝したのである。今でこそ液状の研磨剤はホームセンターで山のように売られているが、カネヨンが発売された頃は、日曜大工の世界でも研磨剤は粉末タイプが主流だった。
カネヨンは“台所の必需品”というポジションを守りながら、自らのフィールドを飛び出すことによって、更に売れ行きを伸ばしていったのである。


 
母から子へ、子から孫へ──世襲型商品へと成長

ブーケクレンザー
サッサクレンザー
カネヨンプラス
粉石けんを配合した「ブーケクレンザー」。滑らかなタッチで洗える。400g入り。100円(税抜)。

豊かな泡立ちが特徴の「サッサクレンザー」。400g入り。95円(税抜)。

「カネヨンプラス」は高い洗浄力とオーバルボトルが特徴。550g入り。240円(税抜)。

カネヨ石鹸の現在のクレンザーラインナップは、容量や容器の違いを除けば、粉末クレンザーが「カネヨクレンザー赤函」「カネヨクレンザー青函」「ブーケクレンザー」「サッサクレンザー」「赤丸筒クレンザー」の5種類。液体クレンザーが「カネヨン」「カネヨンプラス」「スーパーカネヨン」「ちびっ子」「ステンライト クリームクレンザー」「ステンライト クリームクレンザー オレンジ」の6種類。クレンザーだけでこれほど多様な商品を取り揃えているメーカーは他にない。

近年の環境意識の高まりを考えれば、カネヨクレンザーはもっと評価されていいのではないだろうか。原材料の大半が白土という自然物なので、使用後も河川を汚すことがない。パッケージも紙包装なので、使い終わった後は完全焼却でき、リサイクルの問題も残らない。時代は移り変わり、台所用洗剤もいろいろな製品が開発されてきたけれど、洗浄効果の高さと価格の安さ、そして環境への負荷が極めて少ないという点で、今もカネヨクレンザーの右に出るものはないように思う。
近年、環境意識の高い主婦は再びカネヨクレンザーに注目しているという。雑誌のエコ企画でよく採り上げられるようになり、エコライフやロハスをテーマにしたブログで言及される機会も増えた。また学校や公民館のような公的施設では、昔から赤函や青函がよく使われている。

登場以来、カネヨクレンザー赤函はもう75年、青函は51年、カネヨンは37年になる。ユーザーの中には、赤函や青函を、祖母・母・娘の三代に渡って使い続けている家庭も少なくない。数多い台所洗剤の中で、カネヨクレンザーほど世代を超えて愛されている製品は他にないかもしれない。祖母の世代はその新しさと汚れの落ち具合に感激し、母親の世代は経済性に助けられた。そして今は、エコに目覚めた娘世代が積極的に使い出している。
その頻度はともかく、これからもカネヨクレンザーは台所の必需品であり続けるだろう。少なくとも粉末クレンザーの分野に目立った競合製品はない。赤函のパッケージに描かれたエプロン姿の主婦は、まさか自分が70年以上も台所に立ち続けるとは夢にも思っていなかっただろうけれど。

 
取材協力:カネヨ石鹸株式会社(http://www.kaneyo.com/
     
運動靴とふきんはおまかせ!──カネヨクレンザー以外の基幹商品
現行商品「シーチキンPLUS」3種類
現行商品「シーチキンPLUS」3種類
スニーカーのドロ汚れに最適な「ちびっ子」。450g入り。220円(税抜)。
「フキンソープ」。135g入り。140円(税抜)。

現在、カネヨンに続く基幹商品になっているのが、運動靴やスニーカーを洗うのに最適な液体クレンザー「ちびっ子」。天然シリカのミクロ粒子と界面活性剤の相乗効果で、頑固なドロ汚れをしっかり落とす効果がある。
もうひとつの基幹商品は、台所用石けんの「フキンソープ」。台所の衛生を守るには、まずふきんをきれいに洗うことが大切という考えから開発された。成分は純石けん分98%。香料や着色料など余計な添加物を一切含んでいないので、人の口に直に触れるふきんや食器を洗うのに適している。台所用石けんは他社からも発売されているが、中でもフキンソープは定番的存在。「そう言えばうちのふきんはいつも清潔だなあ」と思った読者の皆さん、奥さんが毎日フキンソープで丹念に洗ってくれてるのかもしれませんよ。

 
タイトル部撮影/海野惶世 タイトル部撮影ディレクション/小湊好治 取材編集/バーズネスト Top of the page

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