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                      | マルシンフーズ創業者の新川有一。マルシンハンバーグは彼の閃きから生まれた。 |   
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                      | 1970年代当時の本社外観。 |   
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                      | 1970年に建設された滋賀工場。 |   
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                      | ハンバーグ製造工場は1970(昭和45)年頃から機械化された。発売当初は手作りだったという。 |  「マールシン、マールシン、ハンバーグ♪──テレビCMは思い出せないけれど、あのメロディーはよく覚えてるなあ」「そう言えばお弁当によく入ってたっけ」
 「うちは晩御飯に週1回は食べてたよ」
 50歳前後の中年層にマルシンハンバーグの話題を振ると、いろんな声が返ってくる。しかもそのほとんどが、セピア色に彩られた子供の頃の記憶。一家全員でテーブルを囲み、幼い自分がマルシンハンバーグを美味しそうに食べている、といったような。
 この世代で「マルシンハンバーグを一度も食べたことがない」という人は少数ではないだろうか。今はもうハンバーグ自体あまり食べなくなってしまったけれど、ハンバーグと言えば、まずはマルシンハンバーグを思い出す──そんな読者も少なくないかもしれない。
 今から約50年前、東京・築地の魚市場で、新川有一という若者が働いていた。魚商売を充分に経験した新川は、1960(昭和35)年に自分の会社を興して独立し、マグロの切り身やイカのもろみ漬け、煮凝り(にこごり)などの水産加工品を扱うようになる。普通に考えれば、まずは加工品の商売を軌道に乗せていくところだろう。ところが新川は違っていた。あまりにも進取の気風に富んでいたため、水産加工品とは全く関係のないものに目が向いてしまったのである。
 それがハンバーグだった。1960年代前半と言えば、そろそろ食の欧米化が進んできた時期。街のレストランにはスパゲティーやカレー、シチューなどがメニューに並ぶようになっていた。詳細は不明だが、新川はその頃まだ珍しかったハンバーグを食べ、いたく感銘を受けたらしい。「これは美味しい。家庭で簡単に食べられるようになれば大ヒットするはずだ」と。それは、商売の神様が舞い降りた瞬間だった。新川は日本初となる調理加工されたハンバーグの製造に乗り出した。
 まず、どんな肉を使うか。牛肉は値段が高く、供給量も少ないので使えない。新川は鯨肉、豚肉、マグロの肉を選んだ。次なる問題は、鮮度をどうやって保つか。1960年代始めは、やっと電気冷蔵庫が普及し始めた頃。木製の箱に氷を入れた保冷箱を使っている家庭もまだ残っていた。もちろん、冷凍食品が登場するのはもう少し後の話。目標としては、10度以下の温度で15日くらいは鮮度を維持したい。鮮度維持と並ぶもうひとつの問題が、どうやって調理の手間を減らすか。買った後に手をかける必要があるなら、主婦は買ってくれない。更には製造コストの問題もあった。こうした問題を同時にクリアする方法はないものか。新川は技術者たちと共に研究に取り組み、ついに画期的な調理技術を開発した。
 それが、当時“食の革命”とまで呼ばれた独自の「油脂コーティング」。加熱処理したハンバーグ全体に、ラードを薄く塗布加工する技術である。コーティングしているので、保冷程度の温度で鮮度を保持できる。もちろん、調理時はコーティングしてある油が溶け出すので、フライパンに油を引く必要がない。製造コストも驚くほど低く抑えることができた。新川は油脂コーティングに関する特許を取得し、ついに念願の調理ハンバーグ製造に乗り出した。
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