まずは起業の動機を伺えますか?

私は10代からファミコンがあるデジタル世代ですから。アイドルになるというのも一つ夢で したが、インターネットやデジタルに関わることがやりたいという強い意思が自分の中に常にありました。それで20歳で契約が切れたときに、独立して会社を設立しました。ただ、今までアイドルとしての私を育ててきてくれた周囲の大人達の生活を一変させてしまうことになるわけですから、それは悩みました。けれど、何かを捨てないと何かは始まりませんし。多くのものを失いましたが、IT業界、デジタル業界の先輩や大学の先生など第一人者たちが手を広げて待ってくれているという温かさもありましたから、怖くはなかったです。そういう方々のアドバイスと応援で、色々勉強して、今年でようやく設立7年になりました。
IT業界がモデルとなる若い女性を求めていたということでしょうか?

そういう面もあります。今の時代、パソコンのインストラクターやWEBデザイナーはたくさんいますが、カウンターカルチャーとしてデジタルを捉える、という視点で分かりやすく話せる女の子がいませんでしたから。それで、講演やイベントの出演依頼もかなりの数になりました。でも、自分も勉強になりました。
最初にチェリーベイブでなさったことは?

1996年にSFCの村井純先生が委員長を務めたインターネットワールドエキスポの出展です。若者向けのコンテンツが全然ないから東京で何かして欲しいということになって。私は自分が好きな洋服をモデルに着せて原宿の街を歩かせたりラフォーレでショーをしたりして、その様子をインターネットで全世界に流したんです。それで賞を頂きました。それが企画から携わった最初の仕事です。
ITバブル崩壊の影響はありませんでしたか?

渋谷ビットバレーの崩壊で、回りのベンチャー起業家にも負債を抱えて破産してしまったなんて人がいました。でも私はちょうどその時出産して育児休暇のために、いったん事業を縮小していたんです。従ってその波はあまり受けてないんです。ラッキーだったでしょ(笑)。時代が私を守ってくれてると思っています。


設立から7年経って、改めて会社経営をどのように考えておられますか?

今は信用のおける愛するスタッフ達と仕事をしているということが本当に幸せです。彼等と一緒に沈没するなら沈没する、成功したらそれもみんなで分かち合うというのが楽しいです。こういうことを言うと怒られちゃうかもしれませんが、会社経営というよりは、SIM(シム)会社経営というようなノリがあります。ある種、私達の会社は今までの会社の枠組みを越えていますから。必要なときは顔を合わせますし、会議のときも必死で議論しますが、こういう時代ですから横浜にいようが湘南にいようが、データのやり取りで済むこともたくさんありますし、そこは考え方とかやり方次第です。
そうした経営方法が可能なのは、会社の規模や経営者の年齢などにも関係があると思われますか?

そうですね。今、スタッフは6人ですが、社員が15人の時は無理でした。当時22歳の私には一人一人をきちんと見ることができなかったので、仕事がうまく回り切らないんです。会社の経営に若い若くないは関係ないかもしれませんが、器が足りなかったんでしょう。だから今は15人雇おうという気持ちはありません。自分が30歳、40歳になった時にそれなりの器があれば、人はついてきてくれると思いますけれど、今は本当に自然に考えています。気持ちいいですよ。本当に自分と愛し合えるスタッフしか残っていませんから。
そこまでに至る成功の秘訣は何でしょう?

何でしょうね? 「愛」じゃないですか?「ちょっとがっかり」という人達とも仕事をしましたけど、それを乗り越えてきたからこそ、今はもう「オール・ハッピー・ミラクル・ラブ」って感じです!(笑)。


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