まずは御社の設立の経緯をお話いただけますか?

設立は96年の12月で、現在7年目です。デジタルイメージングの時代を見越して写真プリントのチェーンをやっているプラザクリエイトと、アメリカとイスラエルに開発拠点をおくピクチャービジョン社というソフトウェアハウスの合弁企業として設立されました。私は97年5月に現在のジグノシステムジャパンの前身であるフォトネットジャパン株式会社に入社しました。

御社は当初の売り上げ数百万円程度を6年後には40億円に伸ばすという成長を遂げられました。ご自身で振り返って成功の秘訣はなんだったのでしょう?

いきなり急成長したわけではなくて、売り上げが800万円でも、最初に1億円くらいの赤字を出しました(笑)。
 秘訣というのはありませんが、強いて言うならデジタルイメージングという方向性が間違っていなかったのと、携帯電話に限らずインターネット周辺でマーケットが広がっていたので、その中で真面目にやれば何とかなるんじゃないかと思っていました。やってみたら思ったほど楽ではありませんでしたが。


社長に就任される前の経歴がちょっとユニークでいらっしゃいます。

大学卒業後、最初は大手の石油会社に入りました。丸4年勤めて、よく働いたので1回辞めて、1年くらい無職でおりました。その後商社に入って辞めたのが96年の終わりくらいで、また半年くらい無職でした。

これだけの実績を上げる方が「よく働いたから」会社を辞めて、無職でいらしたというのは、周りから見ると興味深いお話ですね。

キャリア志向がなくて、どちらかというと美学追求型なんです。自分自身のキャリアをどう積み上げていこうというよりも、その時に美しい仕事をやりたいと思うんですね。

飯田さんのお仕事のキーワードは「美しい仕事」のようですね。具体的にどういう意味でしょうか?

完璧なエコシステムでもそうですが、滞らずに循環しているということでしょうか? 社員みんなが幸せで、仕事が上手に回っていること、プロジェクト単位で言えば当社も関係先もみんながバランスよく充実して前に進める感じです。
 例えば当社は支払いが圧倒的にいいんです。よく気前が良すぎると怒られるのですが、我々の会社を儲けさせるために頑張る人はいません。誰しも自分が儲けようと思って頑張るわけで、そういう人たちが集まって前向きなエネルギーを持っている方がプロジェクトは進みます。
 逆に言うと、一カ所だけに負荷がかかりすぎていたり、一カ所だけが儲かりすぎていたり、そういうアンバランスなものは長くは続かないんです。それがつまり企業で言えば、契約条件や、予算の仕切り方、業務的な役割分担ということになりますね。
 頑張ったら自分たちも大きくなれると思えるからこそ頑張るんで、そのバランスを取りながら、キレイな枠組みを作るのが、私は好きですね。


監督ですね。

全員に全体を見回して判断しろというのは無理ですから、上手に人を配置してうまく全体を組む人間がいます。私は、そういうフォーメーションや戦略を作るのが楽しいんですね。


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