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かしこい生き方を考える COMZINE BACK NUMBER
カルピス ニッポン・ロングセラー考 〜おいしい想い出を作って84年

ふるさとはチンギス・ハーンの国モンゴル

毎年1000近い新製品が発売され、翌年までブランドを継続・展開できるのは
数パーセントと言われる清涼飲料業界。
数多くの商品が生まれては 消えてゆく中で、
80年以上確固たる地位を守り続けているブランドがある。
日本初の乳酸菌飲料として、1919(大正8)年に誕生した「カルピス」だ。

1902(明治35)年、カルピスの創業者・三島海雲は大きな夢を胸に中国に渡った。
数々の事業を手がけモンゴルまで足を延ばした彼は、
当地の貴族にカメの中に貯えられた酸っぱい乳(酸乳)と発酵クリームを毎日ふるまわれる。
するとどうだろう、小さい頃から胃腸が弱く病気がちだった
彼の体調がみるみる良くなったのだ。
「これこそ、モンゴル民族の活力源に違いない!」

帰国後、海雲はモンゴルで飲んだ酸乳をヒントに、製品開発に取り組む。
まず作ったのが、発酵クリーム「醍醐味」。
これは牛乳から取れるクリーム分が少なく大量生産できないために、やむなく販売中止。
余った脱脂乳の処理も問題だった。
次に脱脂乳に乳酸菌を加えた「醍醐素」を発売するが、売れない。
それなら、生きた乳酸菌が入った「ラクトーキャラメル」はどうだ!・・・夏場に入ると溶けてしまった。

四度目の正直でカルピス誕生
カルピス
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試行錯誤を繰り返す中で、「カルピス」は偶然生まれた。ある日、醍醐素に砂糖を加えて一昼夜置いておいた。飲んでみると、うまい。さらに2〜3日置くと、もっとおいしくなっている。空気中の酵母が入り、自然発酵したのだ。
「しめた!これでいこう」

ただ、それだけでは商品価値に乏しいと、当時日本人の食生活に不足していると指摘されていたカルシウムを添加。「カルピス」という名前は、カルシウムの「カル」と、サンスクリット語のサルピス(熟酥=じゅくそ)の「ピス」から命名された。
仏教の世界で、最も高位とされているのは「サルピルマンダ(醍醐味)」、次位がサルピス。本来なら「サルピル」としたかったところだが、海雲は響きのいい「カルピス」を選んだ。

発売されたカルピスは400ml入で1本1円60銭。当時、ラムネが8銭、サイダー22銭、牛乳10銭ということから、随分と高級な飲み物だったことが分かる。

※現在のカルピスには、カルシウムは添加されていませんが、牛乳由来のカルシウムは含まれています。
  もともと、着色料・保存料などの合成添加物は一切含まれていません。

カルピス新聞
「初恋の味」と「水玉模様」はブランドの資産

「カルピス」というブランドを語る上で、切っても切れないものがある。
それが、「初恋の味」というキャッチフレーズと「水玉模様」の包装紙だ。

「カルピスは初恋の味」というコピーを考え出したのは、海雲の学校時代の後輩。
このコピー、1922(大正11)年に初めて新聞広告に載ると、封建的な当時の風潮が偲ばれるが、大正ロマン主義、自由思想の台頭と相まって、瞬く間に全国に浸透していったという。

同じ年に、水玉模様の包装もスタート。「水玉模様」は、カルピスが発売された7月7日の七夕にちなんで、天の河、銀河の群星をイメージしている。
当時は青地に白の水玉だったが、戦後、現在の白地に青の水玉に変わった。
ネーミング、キャッチフレーズ、そしてパッケージ。発売から3年にして、「カルピス」のブランドとしてのアイデンティティが確立されたと言えるだろう。



カルピスカルピス
変わらないもの、変えていくもの
カルピス
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昭和30年代までは、「カルピス」はお祝い事やお客様が来た時の“特別な飲み物”という印象が強く、贈答用に使われることも多かった。
一般家庭で普通に飲まれるようになったのは昭和40年代。1964(昭和39)〜1973(昭和48)年の10年間価格を据え置いたこと、また1969(昭和44)年から始まったTV番組「カルピス劇場」などの影響もあって家庭に普及し、ファミリーイメージが定着。『ムーミン』や『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』といったアニメを覚えている人も多いだろう。

「カルピス」は、「フルーツカルピス」をはじめ、ストレート飲料の「カルピスウォーター」、特定保健用食品「アミールS・カロリーオフ」、アミノ酸配合の「アミノカルピス」と、商品ラインナップを充実させてきた。また、パッケージも時代に合わせて少しずつ変えてきている。

しかし、どんなに時代が変わっても、“変わらないもの”がある。
水玉模様、初恋の味、作ってあげる喜び……。「私は薄めがスキ!」「キミんちのカルピス、濃いね。贅沢してるなぁ〜」。家によって少しずつ濃さが違っているのも、何だか楽しい。
お母さんに作ってもらったうれしさ、氷を回した時のカランという音、そして甘酸っぱい味と香り。一つひとつの想い出とともに、心にもおいしい「カルピス」が出来上がる。




取材協力:カルピス株式会社
http://www.calpis.co.jp/
「カルピス」は、カルピス株式会社の登録商標です。



大胆かつ豪快な「カルピス」のPR活動

創業者・三島海雲は、企業の宣伝活動にも積極的であった。
第一次大戦後の1919(大正8)年には、深刻なインフレで困窮するドイツの画家たちを助けるために、ドイツ・フランス・イタリアで、「カルピス」をテーマにしたポスターを募集。1等500ドル、2等200ドル、3等100ドルの賞金を設けるとともに、応募者の作品を日本で公開入札。売れた代金を応募者に贈るというものだ。あの時代に、国際コンペをするとは、さすが明治の人はスケールが大きい。
このほかにも、1920(大正9)年に動物愛護会とのタイアップで開催した伝書鳩レース、1926(昭和元)年の日比谷公園での囲碁大会、宮城道雄の琴の独奏会など、独創的なアイデアで、今でいうところの企業広告、PR活動を大胆に展開した。

*伝書鳩レース:富士山頂から日比谷公園まで100羽の伝書鳩を飛ばし、その所要時間を当てるクイズ。
*囲碁大会:日比谷公園に五間四方の大きな盤面を作り、有段者の模範手合わせを、解説を交えながら、その大盤に再現。

大正13年 画家:伊原 大正15年 画家:伊原

海雲は芸術方面にも造詣が深く、当代きっての洋画家・伊原宇三郎氏に「カルピス」のポスターを発注。写真左は1924(大正13)年、写真右は1926(大正15)年のもの。

撮影/海野惶世(メイン) Top of the page

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