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矢野
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大切なご指摘ですね。僕が提唱している「サイバーリテラシー」も下田さんのお考えとよく似ています。これからの世の中を健全なものにするためには、だれもが新しい情報空間、サイバースペースの特性を理解しなければなりません。親の世代が「ITはわからないから」と敬遠していると、子どもたちは現実世界(リアルスペース)のマナーや振る舞い方も知らずにネットの世界に入り浸ってしまっても、親は指導することができないわけです。
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下田
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大人の社会的責任能力とは、他者に害を与えたら法律で罰せられる、そして賠償責任を負うということです。その前提として、善悪の判断能力を求められるわけです。義務教育の期間は学力だけでなく、こうした判断能力を身につけていくためのものですから、逆にいえば、子どもには自己責任のとりようがありません。
インターネットは、いわば法の力のおよばぬ自己責任の世界ですから、本来は判断能力をもった大人しか入ってはいけないはず。子どもは大人の指導のもとで利用すべきです。実際、欧米ではそうした扱い方をしていますが、日本は大人と子どもの線引きをせず、あいまいなまま、ただ面白い便利な道具として利用を促進してきた。それをきちんと整理したいというのが僕の基本的な考えです。
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矢野
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昔は村の長老がさまざまなことを知っていて、地震があれば、津波を避けるためにあの山に逃げろとか、的確に指導したわけですね。地域の賢者ですね。ところが新しい情報空間については賢者がいない。子どもは理屈を知らないまま、親の関与もなく、ただそれを使いこなすようになる。ケータイが「ハーメルンの笛吹男」の笛のように、子どもたちをどこか別の世界へ連れていってしまうような感じですね。
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下田
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やはり親が賢者にならないといけないのではないでしょうか。
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矢野
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子どもは親を含めた地域社会とのきずなを失いつつあるように思えます。電話を取り次ぐこともないため、親は子どもが誰と付き合っているのかもわからず、子どもは子どもだけの世界を拡張している。もっとも、その先に別の大人がいたりするわけですが……。
信濃毎日新聞のコラムにお書きになっていましたが、アメリカのメディア研究者から「なぜ日本の親はウエブケータイを競って子どもに買い与えるのか」と質問されてお困りになったそうですね。
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下田
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もっというと、彼は「モンキーにマシンガンを持たせるようなものじゃないか」と言ったんですよ。つまり、大人のような判断能力を持たない子どもにとって、ウエブケータイはマシンガンと同じほど危険だというわけです。
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矢野
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アメリカではウエブケータイの子どもへの普及はどうなんですか。
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下田
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僕が知っている限り、アメリカではウエブケータイを子どもに持たせるというのは聞いたことがないですね。北欧でもケータイは15歳頃から持たせるようですが、ウエブケータイは与えません。
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