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矢野直明プロフィールへ インターネット社会の新しいルールを作る「ねちずん村」村長:下田博次さん 下田博次プロフィールへ

下田博次さんは、経済、労働、政治などの分野でジャーナリストとして活躍したあと群馬大学社会情報学部教授に就任、市民やコミュニティ主導型の情報社会のあり方を模索してきた。その活動を通じて、無防備にインターネットにさらされている子どもたちの危険な状態を痛感し、NPO活動の一環としてホームページ「ねちずん村」を設立したという。その村長として、研究者として、リテラシー教育のための講習会活動を実践している下田さんに、ケータイと子どもたちの危うい関係について聞いた。

index
Part1 インターネットは自己責任が原則

 ケータイは「ハーメルンの笛吹き男」の笛?

Part2 子どもを管理する道具としてのケータイ

 放ったらかしにされる子どもたち
 新しい社会秩序構築は市民コミュニティで

Part3 誰もがハッピーになる知恵を身につけるために

 大人と子どもが考え、議論する場が必要
 一人ひとりが生き方を考えなおす時代

Part1 インターネットは自己責任が原則

矢野

下田さんは、出会い系サイトを利用した援助交際や集団自殺、薬物の購入など、子どもも巻き込まれる可能性の強い、インターネットとケータイをめぐるさまざまな問題について、子どもや親、学校の先生などにその危険性を伝える講習会を開いておられるようですね。

下田

じつは昨日も群馬県赤城村の教育委員会に呼ばれて、「携帯電話の落とし穴」という話をしてきました。講習会には3つのパターンがあります。まず親に対してケータイを通じて子どもたちがインターネットにつながる危険性を理解してもらうパターン。次に中学校や高校の子どもたちに対して危険性を具体的に指摘し、ケータイの使い方を見直してもらうパターン。最後が、子どもたちに直接話し掛ける様子を親にも聞いてもらうパターンです。赤城村は3番目のパターンでしたが、参加した子どもの数が少なくて、ちょっと期待はずれでした。今回のように教育委員会に招かれるケースはまれで、通常は中学校や高校、地域の団体などに呼ばれることが多いですね。
 以前は講演だけだったのですが、言い放しでは効果がないことがだんだんわかってきて、現在では講演後にワークショップを開くようにしています。子どもたちに対して、「未成年者はインターネットにつながるケータイを持つ必要はないと僕は思うが、みなさんはどう思うか」と問いかけて、グループディスカッションをしてもらいます。すると、子どもたちの意見は賛成、反対、あるいは条件付き賛成に分かれる。その意見をまとめて僕に送ってもらい、それを集計し、意見をつけて、また子どもたちにフィードバックし話し合ってもらう。
 親に対してはアンケートに答えてもらい、その集計も戻します。こうしたワークショップのサイクルが、子どもと親にケータイとインターネットの問題を考えてもらうきっかけになれば、IT時代の賢い受発信者を生み出す土壌にもなるのではないかと考えているのです。

矢野

下田さんが市民のみなさんと一緒に設立されたNPO団体「ねちずん村」の活動方針には、「子どもたちがインターネットを利用してより良く成長できるように活動する」「ネット犯罪から子どもを守るため活動する」などと書かれています。下田さんは子どもにはインターネットに接続できるケータイ(以下、ウエブケータイと表記)は持たせない方がいいとお考えですか。

下田

そうではありません。「子どもは使うな」とか、「我々が子どもを有害情報から守る」などといっているわけではないのです。IT時代には、子どもたち自身が自分を守る力を身につけなければなりません。仮に小学生でも、情報の価値判断ができるのならケータイを持たせてかまわないが、一般的には、持たせるための条件を大人が整える必要があるのです。ケータイ事業者との契約は、子どもではなく親がするわけで、それならば親の責任として子どもにケータイの情報の良し悪しを教え、使うためのルールを決めなければなりません。ところが親がケータイの危険性に対する何の認識もないため、子どもにせがまれて無条件で買い与えてしまうケースが多いのです。
 インターネットの世界は自己責任が原則で、コミュニティのリーダーや賢者が導いてくれるわけではありません。大人と未成年者の区別もなく、自分で判断し、自分で責任をとらなければなりません。

ケータイは「ハーメルンの笛吹き男」の笛?

矢野

大切なご指摘ですね。僕が提唱している「サイバーリテラシー」も下田さんのお考えとよく似ています。これからの世の中を健全なものにするためには、だれもが新しい情報空間、サイバースペースの特性を理解しなければなりません。親の世代が「ITはわからないから」と敬遠していると、子どもたちは現実世界(リアルスペース)のマナーや振る舞い方も知らずにネットの世界に入り浸ってしまっても、親は指導することができないわけです。

下田

大人の社会的責任能力とは、他者に害を与えたら法律で罰せられる、そして賠償責任を負うということです。その前提として、善悪の判断能力を求められるわけです。義務教育の期間は学力だけでなく、こうした判断能力を身につけていくためのものですから、逆にいえば、子どもには自己責任のとりようがありません。
 インターネットは、いわば法の力のおよばぬ自己責任の世界ですから、本来は判断能力をもった大人しか入ってはいけないはず。子どもは大人の指導のもとで利用すべきです。実際、欧米ではそうした扱い方をしていますが、日本は大人と子どもの線引きをせず、あいまいなまま、ただ面白い便利な道具として利用を促進してきた。それをきちんと整理したいというのが僕の基本的な考えです。

矢野

昔は村の長老がさまざまなことを知っていて、地震があれば、津波を避けるためにあの山に逃げろとか、的確に指導したわけですね。地域の賢者ですね。ところが新しい情報空間については賢者がいない。子どもは理屈を知らないまま、親の関与もなく、ただそれを使いこなすようになる。ケータイが「ハーメルンの笛吹男」の笛のように、子どもたちをどこか別の世界へ連れていってしまうような感じですね。

下田

やはり親が賢者にならないといけないのではないでしょうか。

矢野

子どもは親を含めた地域社会とのきずなを失いつつあるように思えます。電話を取り次ぐこともないため、親は子どもが誰と付き合っているのかもわからず、子どもは子どもだけの世界を拡張している。もっとも、その先に別の大人がいたりするわけですが……。
 信濃毎日新聞のコラムにお書きになっていましたが、アメリカのメディア研究者から「なぜ日本の親はウエブケータイを競って子どもに買い与えるのか」と質問されてお困りになったそうですね。

下田

もっというと、彼は「モンキーにマシンガンを持たせるようなものじゃないか」と言ったんですよ。つまり、大人のような判断能力を持たない子どもにとって、ウエブケータイはマシンガンと同じほど危険だというわけです。

矢野

アメリカではウエブケータイの子どもへの普及はどうなんですか。

下田

僕が知っている限り、アメリカではウエブケータイを子どもに持たせるというのは聞いたことがないですね。北欧でもケータイは15歳頃から持たせるようですが、ウエブケータイは与えません。

Part2 「子どもを管理する道具としてのケータイ」
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