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ニッポン・ロングセラー考 累計1,000万個以上を売ったボードゲームの代名詞 人生ゲーム

盤上に再現された”アメリカン・ドリーム”

人生ゲームの原型となった「THE CHECKERD GAME OF LIFE」。ポイントが稼げる「善行のマス」と1回休み等になってしまう「悪行のマス」がある、聖書の教えをベースにしたゲームだった。
   
 
人生ゲームのオリジンが、この「THE GAME OF LIFE」。ミルトン・ブラッドレー社が創業100周年を記念して発売したゲームで、世界21言語に翻訳され、世界30ヵ国で発売されている。
   
 
スタンダードな人生ゲームの最新版「人生ゲームRD(レインボードリーム)」。ベーシックとエクストラ、2種類のステージで遊べる。ラッキー&ハッピーがテーマ。2004年7月発売。3,780円。

タカラの「人生ゲーム」─── 戦後の高度成長期に育った現在40代の世代にとって、このゲームほど思い出深いゲームは他にないような気がする。ほら、すぐに思い出せるでしょう。ボード上に作られた立体的な山や建物を。カラカラと音を立てて回転したルーレットを。そして、人形のピンを刺した自動車型の小さなコマを。
多くの家庭に人生ゲームがあった。自分の家にはなくても、誰か友だちの家には必ずあった。学校から帰ったら友だちの家に集まり、みんなでワイワイ言いながら人生ゲームで遊ぶ─── そんな経験は、この世代ならおそらく誰にでもあるように思う。

遊びながら不思議に思っていたことがひとつある。「なぜ円ではなくドル紙幣を使うんだろう?」
そう、人生ゲームはアメリカ生まれのゲームだったのだ。
1860(安政7)年、マサチューセッツ州で印刷業を営んでいたミルトン・ブラッドレーという若者が考案した、「THE CHECKERD GAME OF LIFE」というボードゲームがそのルーツ。これは古くからあるチェッカーのボードに実際の人生で起こる出来事を盛り込んだもので、1年で45,000セットを売るほどのヒット商品となった。

その後彼は会社を起こし、同社の創業100周年事業として1960(昭和35)年に記念商品を企画。その時に誕生したのが、人生ゲームのオリジナルとなる「THE GAME OF LIFE」だった。
この「THE GAME OF LIFE」、驚くべきことにゲームの基本部分は現在の人生ゲームとほぼ同じ。ルーレットを回してコマを進めるという基本ルール、山や建物などの立体的な造形、マス上に設けられた様々な人生イベントなどの要素は、ゲームが誕生したとき既に完成していたことになる。
ちなみに60年代のアメリカといえば、成長神話に彩られた黄金の時代。大金を掴んで人生に勝利するという内容の「THE GAME OF LIFE」は、まさにアメリカン・ドリームを象徴するゲームだった。

その頃タカラは、「タカラのアメリカン・ゲームシリーズ」と銘打ち、アメリカ生まれの「手さぐりゲーム」や「レーダー作戦ゲーム」など、30種類以上のゲームを日本仕様にして発売していた。
ゲーム導入の先頭に立っていたのは、創業社長の佐藤安太氏。「THE GAME OF LIFE」を見つけたとき、周囲には「“お金を儲けた者が勝ち”というアメリカ式の成功物語は日本人には受け入れられないのでは」との声もあったが、佐藤は逆に「アメリカの子供たちは早くから明確な将来像を持っている。このゲームを通じて、日本の子供たちも人生について学べるのではないか、将来の夢を描いてほしい」と考えた。
おそらく佐藤は、成長を続ける日本経済を背景に、日本人の価値観そのものが変わりつつあることを敏感に感じ取っていたのだろう。
実際、社内での反応は上々だった。息子である現社長の慶太氏は、子供の頃、「THE GAME OF LIFE」のマスに日本語訳のコピーを貼りつけたゲームで遊んだ記憶があるという。もしかしたら佐藤は、息子がゲームに熱中している姿を見て、ヒットを確信したのかもしれない。

 

経験したことのない面白さに、子供も大人も熱中した

1968(昭和43)年9月に発売された初代人生ゲーム(価格は1,700円)。マス目のコピーはアメリカ版のほぼ直訳で、当時の日本人の生活とはかけ離れた内容だったが、そこには豊かさの象徴としてのアメリカがあった
昔からボードゲームには家族で楽しめるものが多いが、人生ゲームほど大人も子供も一緒になって楽しめるゲームは珍しい。大人は現実とは異なるもうひとつの人生を、子供は将来の自分の姿を思い描いていたのだろう。

1968(昭和43)年、初代人生ゲームが発売された。
盤面のデザインはアメリカ版のものを踏襲し、マス目のコピーは英語のほぼ直訳。そのため、「羊がとなりの家のランを食った」とか、「サーカスから逃げ出した象を発見する」といった、日本人の生活からは想像もつかないユニークなマスがいくつもあった。しかも、ゲームで使用するのは小型のドル紙幣。
当時の日本のボードゲームといえば、サイコロを振っていち早くゴールを目指すスゴロク形式のシンプルなゲームばかりだったから、人生ゲームは何から何まで違った。

ところが蓋を開けてみると、人生ゲームは最初から面白いように売れた。
発売翌年、1969(昭和44)年の年間出荷数は15万個。その後も順調に売れ続け、日本オリジナル版となる3代目が登場する1983(昭和58)年までに、累計で348万個も出荷している。単一のボードゲームとしては驚異的な数字だ。「人生、山あり谷あり」のコピーで始まる印象的なテレビコマーシャルが、人気をさらに後押しした。
子供だけでなく大人も楽しめるボードゲームとして、また家族みんなで楽しめるボードゲームとして、人生ゲームは年を追って着実に定番化していった。

人生ゲームはなぜこれほどまでに売れたのだろう。
内容が誰の目にも斬新で画期的だったことは間違いない。ボードゲームに人生という壮大なテーマ性を持たせたこと、サイコロの代わりにルーレットを使って進むコマ数を決める奇抜なアイデア、立体的なボードの造形など、どれも日本人には馴染みのない新鮮なものばかりだった。
同時に、これだけ新しくても、ゲームの基本形は日本人に馴染みのあるスゴロクであるという点も見逃せない。もともと受け入れる素地はあったのだ。

当時の日本人が人生ゲームに魅せられた大きな理由に、アメリカへの憧憬が挙げられる。
高度成長期にあった70年代の日本は、政治・経済・文化等、すべての点においてアメリカの影響を強く受けていた。初代人生ゲームが発売された68年は、奇しくも日本のGNPが世界第2位になった年。豊かになることは、日本人全体の大きな目標だったのだ。
その豊かさの象徴が、アメリカだった。テレビではアメリカのホームドラマが放映され、便利な家電製品に囲まれたアメリカ人の生活は、日本人の憧れとなった。
であれば、「お金を稼いで豊かに暮らす」アメリカ式の成功物語が受け入れられないはずがない。人生ゲームが見せてくれたアメリカン・ドリームは、同時にジャパニーズ・ドリームそのものでもあったのだ。

 

3代目以降は、日本独自のゲームとして発展

初めての日本オリジナルゲームとなった記念すべき3代目。1983年発売。2,700円。
   
 
平成元年に登場した「人生ゲーム平成版」(3,600円)。以降、その時々の社会状況をリアルに取り入れた平成版を継続して発売。
   
 
1996年発売の「大人生ゲーム」。超ビッグサイズで話題を呼んだが、値段も9,800円と高価だった。

37年の歴史を持つ人生ゲームが、その基本形を全く変えていないことは先に述べたとおり。ただ、時代に合わせ変化するマス目コピーや、細かな仕様変更やバリエーション商品の追加などは頻繁に行われている。ここで人生ゲームの歴史を辿りながら、時々のエポックメイキングな商品をいくつかピックアップしてみよう。

初代に替わる2代目が登場したのは1980(昭和55)年。これは本家アメリカ版の変更に合わせて、内容をモデルチェンジしたものだった。コースは曲線から直線を基調としたものになり、盤面のデザインもカラフルなものになったが、マス目のコピーは依然としてアメリカ版の直訳だった。

人生ゲームの歴史上、最も注目すべきバージョンは、83(昭和58)年に登場した3代目だろう。マス目には初めてオリジナルのコピーを採用。「お世話になった人たちにお歳暮を贈る」「正月休みに4泊5日のスキーツアーに行く」など、内容は日本人の生活習慣に沿ったものとなり、ゲームに対する親近性が大いに高まった。同時に日本オリジナルのルール改訂を実施し、コースを曲線に戻した。これ以降、人生ゲームはアメリカ版から離れ、日本独自の進化を遂げてゆく。

次なる転換点は89(平成元)年にやってきた。この年、折からのアダルトゲームブームを背景に、世相や時事情報を積極的に取り込んだ大人向けの「人生ゲーム平成版」が登場。「晴海でコンパニオンギャルをナンパ」「消費税導入前、大好きな二級酒を買い溜め」など、思わずニヤリとするリアルなコピーが人気となり、40万個を売るヒット商品となった。
以降、平成版は97(平成9)年を除いて、毎年、その年の出来事や流行を取り入れた新バージョンが発売されている。

90年代以降は、平成版の他にもさまざまな企画版が登場している。
例えば、畳一畳分というビッグサイズの盤面を採用した96(平成8)年版の「大人生ゲーム」、阪神淡路大震災、オウム真理教事件など、パロディ化できない深刻な事件が続いた97(平成9)年には「お笑い」パワーで世の中を元気付けようと、平成版に替わって発売された「人生ゲーム関西版」、熱狂的なタイガースファンに向けて発売された99(平成11)年版の「人生ゲーム阪神版」、アントニオ猪木の波瀾万丈な人生をゲーム化した02(平成14)年版「闘魂伝承 人生ゲームアントニオ猪木版」等々。
スタンダード版は家族全員で楽しめ、平成版は大人向け、企画版はコアなファン層を満足させることができる。この多彩な商品バリエーションが、人生ゲームの特殊な商品性を物語っている。人生ゲームほど懐が深いゲームは、ちょっと他に思い浮かばない。

一方、本家筋にあたるスタンダード版も90(平成2)年に改訂が行われ、4代目が登場した。盤面のイラストはシンプルになり、日本独自の世相や流行を意識したマス目のコピーが増加。オリジナル版の要素はさらに高まった。
その後、スタンダード版は97(平成9)年の「人生ゲームEX(エクストラ)」、03(平成15)年の「人生ゲームBB(ブラック&ビター)」などへと受け継がれてゆく。

 
 
盤面を2段重ねにし、通常のゲームの他に世界旅行をテーマにしたもう一つのゲームを楽しめるようにした「人生ゲームEX(エクストラ)」。97年から現在も発売されているヒット商品となった。3,600円。   スタンダード版で2003年発売の「人生ゲームBB(ブラック&ビター)」。「人生ゲームEX(エクストラ)」よりもちょっとリアルにほろ苦く仕上げた、人生経験豊富な人向け(?)ゲームだ。3,780円。
 

2003年の出荷数は約70万個! 再び売れ出した理由とは?

2003年、人生ゲーム35周年を記念して1万個限定発売された「人生ゲーム 昭和思ひ出劇場」。昭和30年代、40年代のレトロな雰囲気に満ちたお宝仕様で、今も人気が高い逸品だ。10,000円。

●「人生ゲーム」(ボードゲーム版)の発表商品一覧

スタンダード 人生ゲーム(初代) 1968年
  人生ゲーム(2代目) 1980年
  人生ゲーム(3代目) 1983年
  人生ゲーム(4代目) 1990年
  人生ゲームEX(エクストラ) 1997年
  人生ゲームBB(ブラック&ビター) 2003年
平成版 人生ゲーム平成版 1989年
  人生ゲーム平成版 II 1990年
  人生ゲーム平成版 III 1991年
  人生ゲーム平成版 IV 1992年
  人生ゲーム平成版 V 1993年
  人生ゲーム平成版 VI 1994年
  人生ゲーム平成版 VII 1995年
  人生ゲーム平成版 VIII 1996年
  人生ゲーム平成版 X 1998年
  人生ゲーム平成版1999 1999年
  人生ゲーム平成版20世紀 2000年
  人生ゲーム平成版ネットラヴァーズ 2001年
その他 人生ゲームロイヤル 1985年
  じぱんぐ人生ゲーム 1990年
  チェッカード ゲーム オブ ライフ 1993年
  人生ゲーム TEENS倶楽部 1994年
  大人生ゲーム 1996年
  人生ゲーム関西版 1997年
  人生ゲーム初代復刻版 1998年
  人生ゲーム阪神版 1999年
  ハローキティ人生ゲーム 1999年
  人生ゲーム モノ・マガジン編 2000年
  でじこの人生ゲーム 2000年
  筋肉番付人生ゲーム 2001年
  ときめきメモリアル2人生ゲーム 2001年
  ミニモニ。人生ゲームだぴょん! 2002年
  闘魂伝承 人生ゲームアントニオ猪木版 2002年
  人生ゲーム 昭和思ひ出劇場 2003年

70年代を通じて定番ボードゲームの地位を築き上げ、80年代以降は多彩なバリエーション化を図ってきた人生ゲーム。今度はその売れ行きの変遷を見てみよう。
3代目の登場までに348万個も出荷したのは先述したとおり。人生ゲームに倣えば、この時期は「山あり谷あり」の山にあたる。

谷は、83(昭和58)年を契機にやってきた。この年、任天堂が「ファミリー・コンピュータ」を発売。以降、子供たちの遊びはテレビゲームが中心となり、一人または二人で遊ぶという形が珍しくなくなった。
同時に、大人たちの生活スタイルも大きく変わった。世はバブルの真っ最中。父親は毎日仕事で忙しく、週末も接待ゴルフで家にはいない。母親は母親で子供の教育に熱を上げるか、そうでなければ趣味に没頭して自分だけの時間を楽しんでいる……。家族が一緒になって過ごす時間は、次第に少なくなっていった。
83年から87(昭和62)年まで、人生ゲーム・スタンダード版の出荷数は、平均すると各年15万個前後。70年代は平均25万個前後を出荷しているから、日本人の生活スタイルが個人志向になった影響は少なからず出ている。

90年代初頭のバブル崩壊以降から97(平成9年)年に「人生ゲームEX(エクストラ)」が登場するまで、スタンダード版の平均出荷数は17万個前後だった。ところが、「人生ゲームEX(エクストラ)」を契機に、人生ゲームは出荷数を平均20万個以上に伸ばしていく。
驚くべきは2003年のデータだ。この年の出荷数は、なんと約70万個。もちろん、これは人生ゲーム史上、最大の数字だ。

人生ゲームが再び注目を集め始めた理由はどこにあるのか。
長引く不況下、日本人の生活スタイルが個人志向から再び家族志向へと変わったことが根底にあるのは確かだろう。バブル期を知っている大人たちは幸福の原点が家族にあることを再認識したし、テレビゲームで育った子供たちも、一度、多人数でプレイするリアルな遊びの面白さを知れば、それに熱中する傾向があるという。
キーワードは、「コミュニケーション」だ。

タカラの担当者は、「私たちは人生ゲームをコミュニケーションツールであると考えています」と何度も語った。
思い出してみてほしい。人生ゲームで遊んでいるとき、私たちはただ黙々とゲームを進めていたのではなく、必ず他のゲーム参加者と会話を交わしていたはずだ。盤上に書かれたマス目のコピーひとつひとつに反応し、友だち同士ならわいわい騒ぎながら、意味の分からないマスに遭遇した子供なら、その意味を父親に聞きながらゲームに興じていた。
だから、人生ゲームの記憶は一緒になって遊んだ友人や家族の記憶と直結している。

かつての人生ゲームは、日本人の夢を象徴していた。そして今、人生ゲームは家族回帰の象徴となっている。時代背景は大きく異なるが、これだけは共通して言える。
「人生ゲームが売れる時代は、いい時代だ」。

取材協力:株式会社 タカラ(http://www.takaratoys.co.jp


ボードゲームだけじゃない! 拡大する人生ゲームワールド

人生ゲームのバリエーションはボードゲームだけにとどまらない。
88年(昭和63)年には初のカードゲーム「人生カードゲーム」(1,500円)が発売され、93(平成5)年にはどこにでも持ち運べる「ポケット人生ゲーム」(1,500円)が発売されている。
テレビゲームで育った世代なら、ボードの人生ゲームではなく、テレビゲーム版の人生ゲームに馴染みがあるかもしれない。最初に登場したのは91(平成3)年のゲームボーイ版「人生ゲーム伝説」(3,864円)。その後はファミコン、プレイステーション、プレイステーション2など、ほとんどすべてのゲームプラットフォームで発売されている。
2000年以降の話題は、モバイル版の人生ゲームだ。現在、携帯キャリア3社で個性豊かな人生ゲームをプレイすることができる(月額210円/従量ダウンロード課金制あり)。
形は変わっても、人生ゲームの楽しさは不変。これからもアッと驚く形の人生ゲームが登場するに違いない。

2003年発売の「ポケット人生ゲームBB」。1,575円。
iモード用の「人生ゲーム3D」。情報料月額210円。
   
2004年12月に発売されたPS2用の「NEW人生ゲーム」。7140円。


撮影/海野惶世(タイトル部、プレゼント) Top of the page

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