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マックス・ホッチキス
ニッポン・ロングセラー考 紙を綴じ続けて53年 1人1台の文房具に成長

ホッチキスを発明したのは一体誰?

おそらく19世紀後半に製造されたと思われるアメリカ製ホッチキス(複製)。現在の小型ホッチキスとはずいぶん形が違う。
 
 
マックスの前身である山田興業が最初に作ったホッチキス「ヤマコースマート」。
 
 
「ヤマコースマート」をルーツに持つ現行製品「HD-3」(3150円)。クロームメッキのデザインはほぼ当時のままだ。

紙を綴じるための文房具、ホッチキス。あまりにポピュラーな文房具なので、ホッチキスという名を普通名詞だと思っている方も少なくないのではないか。実はこれ、どうやら開発者の名前らしいのだ。有力なのは次の3説。「19世紀後半、機関銃の発明者であるアメリカのベンジャミン・B・ホッチキスが、機関銃の弾丸送出機構をヒントにホッチキスの針送り機構を考案した」、「ベンジャミンではなく、弟のエーライ・H・ホッチキスこそが開発者であり、ホッチキス社を興した人物」、「そのどちらでもなく、イギリスのアーサー・W・ホジキンスが発明した」。

結局、どの説も確たる証拠はなく、真相は今に至るまで分からずじまい。語源が人名にあることだけは確かなようだ。ちなみに、英語圏ではホッチキスではなくステープラーと呼ぶ。日本でホッチキスと呼ぶようになったのは、1903(明治36)年、伊藤喜商店(現イトーキ)が最初に輸入販売した製品に「HOTCHKISS No.1」と刻印されていたから。いつのまにかそれが一般的な呼び名になってしまったようだ。

明治から大正にかけて、日本人も様々なホッチキスを発明した。1911(明治44)年の「自動紙綴器」、1912(大正元)年の「A式紙綴器」に始まり、1918(大正7)年には伊藤喜商店が「ハト印」を、堀井謄写堂が「コスモス印」の国内生産を開始。1926(大正15)年には、それまでの鋳物製ではなく、プレス加工で作られた「ジョイント2号」が登場している。1935年(昭和10)年頃には向野事務機製作所が2号・3号・9号の針(数字が大きいほど針のサイズは小さくなる。一般的な小型ホッチキスの針は10号)を使ったホッチキスを製造し、市場で高い評価を得ていた。

マックスが登場するのはここからだ。当時マックスは山田航空工業と称し、零戦の尾翼部品などを作っていた。戦後は社名を山田興業に改め、平和産業への事業転換を模索していた。会社にはプレスの材料とノウハウがある。それらを活かして何か作れないものか?
そんな折、同社は向野事務機製作所からホッチキスの製造技術を引き継ぐことになった。金属加工ならお手のものである。1946(昭和21)年には、早くも「ヤマコースマート」(3号ホッチキス)の生産を開始した。続いて1号・2号・5号・9号ホッチキスの生産もスタート。山田興業はホッチキスメーカーの道を歩み始めることになった。
3号ホッチキスはその後も改良を続け、卓上型の中型ホッチキスとして現在も生産されている。


ホッチキス普及の立役者「SYC・10」登場

 
ホッチキスの歴史を変えた銘品「SYC・10」。オフィスユースからパーソナルユースへの転換を実現したのも、この製品だった。

1952(昭和27)年、マックスは画期的な小型ハンディタイプのホッチキス「SYC・10」を発売した。ポイントは、「綴じるだけの機能に徹し、部品点数を最小限にして低コストを実現した」こと。
3号ホッチキスに代表されるように、それまでのホッチキスは卓上型で重量もあり、オフィスで購入して社員が共同使用するものだった。それに対しSYC・10は、個人で使うことを前提に開発された商品だった。部品点数わずか8点。片手に収まるほど小型・軽量で、指先の力だけで紙を綴じることができた。耐久力もあり、価格は200円。当時の銭湯の料金が12円だから決して安くはないが、これは今までのどのホッチキスよりも安い値付けだった。

何から何まで常識破りの存在だったSYC・10。それゆえ、市場に受け入れられるまでにはかなりの苦労があったようだ。何せ誰も見たことのない形をしたホッチキスなので、使い方すらよく分からない。同社の営業マンは自転車の荷台に商品を積み、学校や官公庁などの得意先を回って商品の説明をしたという。
同時に、ユーザーがホッチキスに何を求めているのかを綿密に調査することも忘れなかった。「ユーザーの声をすくい上げ、製品開発に活かすこと」──このポリシーは今もしっかりと守られている。

営業マンの地道な努力もあり、SYC・10は数年のうちにオフィスや家庭に普及していった。戦後間もない頃までオフィスに1台しかなかったホッチキスは、次第に1人1台が常識の文房具となってゆく。
一方、ヒット商品となったSYC・10には類似品も数多く登場した。1954(昭和29)年、同社は社名の変更に伴い、SYC・10の名称を「MAX・10」に変更する。「マックス」というブランド名を前面に出すことによって商品の認知度をアップさせ、類似品に対抗するのが狙いだった。
この戦略が功を奏し、マックスの名は予想以上のスピードで浸透していった。文房具店に「マックスをください」と言ってホッチキスを買いに来る人が増えたのもこの頃だ。マックスとホッチキスは同義語になっていたのである。

 

細かな改良を続け、「MAX・10」から「HD-10」へ

 
 
1956(昭和31)年のMAX・10。ポリエチレン製の五角形半透明ヘッドがフレーム上部に付いている。   1959(昭和34)年のMAX・10。五角形半透明ヘッドの素材が変更され、リムーバが追加された。
   
 
 
1964(昭和39)年のMAX・10はフレームの開きを7ミリから10ミリへ拡大。紙が挟みやすくなった。   マックスホッチキスのスタンダードといえる現行のHD-10(オープン価格)。初代は1973(昭和48)年に登場しているから、もう30年選手だ。
 
     
   
現在の主力製品HD-10D(525円)は、手にフィットするラウンドグリップが特徴。再生プラスチックを使用したグリーン購入法適合品。    

「ユーザーの声を取り入れて改良を施す」というポリシーに則り、MAX・10は細かな改良を加えて完成度をアップさせていった。
1956(昭和31)年には、ハンドルの先端にポリエチレンでできた五角形の半透明ヘッドを追加。その3年後にはヘッドの材質をセルロースアセテートに変更し、指当たりがさらに良くなるよう上下に取り付けた。またこの年は、フレームの末端に針を取り外すためのリムーバを初めて取り付けるなど、ほかにも各所に工夫が凝らされている。1964(昭和39)年には作業性を増すために、フレームの開きを7ミリから10ミリへ拡大。
製品開発に対するこうした努力が実を結び、市場に広く普及した結果、1965年(昭和40年)、マックスのホッチキスを基準として日本工業規格(JIS)が決められた。1967(昭和42)年、MAX・10はホッチキスで初めて日本工業規格品に認定され、JISマークを表示することになった。

製品の完成度が上がるとさらに売れるようになり、製造コストは相対的に低下する。マックスはMAX・10の価格を段階的に下げていった。200円から180円、150円、120円へと値下げし、1959(昭和34)年にはついに100円という低価格を実現。100円の時代は1970(昭和45)年まで11年間も続いた。

1973(昭和48)年、MAX・10は「HD-10」とその名を変え、さらに進化を遂げてゆく。基本的な部分は既に完成しているため、昭和40年代以降、マックスはより多くの用途に対応すべくバリエーションモデルを拡大していった。100本の針が一度に装填できるHD-10JAのように、以降のモデルに大きな影響を与える画期的な製品もこの時期に登場している。
SYC・10をルーツに持つHD-10は、名実共にホッチキスのスタンダードとなった。累積販売台数は1977(昭和52)年に1億台を突破。1990(平成2)年には2億台、1999(平成11)年には3億台に達している。

机の引き出しを開けてみてほしい。もしかしたらHD-10が眠っているかもしれない。もちろん、現役で使っている方も多いことだろう。
生産の主力は手にフィットするラウンドグリップを採用した「HD-10D」に移行したが、主にアジア圏へ輸出製品として、HD-10は現在も生産が続けられている。


 
軽い力でもっと多くの紙を──さらに進化するホッチキス
 
フラットクリンチ
 めがね状のとじ裏
フラットクリンチは綴じ裏にある針の形が平らになる。マックスのオリジナル機能だ。
フラットクリンチで綴じた書類をファイル化した場合(右)、厚さは一般的な綴じ方に比べてかなり薄くなる。
   
フラットクリンチと軽とじ機構を合わせ持ち、同時に26枚とじを実現した人気モデル「HD-10DFL」(1260円)。
 
 

30年以上に渡って継続生産されているHD-10により、マックスホッチキスは一応の完成形を見たと考えていいだろう。紙を綴じるという機能だけを見れば、これ以上のものを望む必要はないように思われる。
だが、マックスの開発陣にはあのポリシーがしっかりと根付いていた。「ユーザーの声をすくい上げ、製品開発に活かすこと」。今では営業マンだけでなく開発スタッフも様々なオフィスに足を運び、ユーザーの生の声を聞いているという。

マックスが現場の声をすくい上げて開発したユニークな機能をひとつ紹介しよう。
1987(昭和62)年に発売した「HD-10F」に搭載した「フラットクリンチ」だ。フラットクリンチとは、“平らに打ち曲げる”という意味。通常のホッチキスの場合、綴じ裏はめがね状に膨らんでいるが、フラットクリンチでは綴じ裏が平らになる(図参照)。針を紙に打ち込んだ後に、クリンチャー(針を曲げる台)で針の根元から叩く仕組みになっているのだ。
これは、「従来のホッチキスでは綴じ部分が厚くなり、結果的に書類ファイルの量が増えてしまう。なんとかならないだろうか」というユーザーの不満から誕生した機能。今では小型から大型まで、10種類のホッチキスにフラットクリンチが採用されている。

マックスの広報担当によると、文房具のなかでもホッチキスは新しい機能が理解されにくく、売りづらい商品なのだという。第一に、ほとんど壊れることがないので代替需要が望めない。ユーザー側からしてみても、「紛失したから新しい物を買う」というケースが一般的だ。第二に、基本構造が完成されているので、商品の差別化ポイントをユーザーに伝えにくい。つまり、せっかく新しい機能を盛り込んでも、その良さはユーザーに使ってもらわなければ伝わらないのだ。

2002年(平成14)年、多様なユーザーニーズに対応した小型ホッチキスの集大成的製品が登場した。“パワーフラット”の愛称を持つ「HD-10DFL」は、自慢のフラットクリンチに加え、10号タイプホッチキスでは初めてとなる“26枚とじ”を実現(普通は15〜20枚)。さらに、女性や力の弱い子供でも軽く綴じられるよう、握る力が従来の30%減になる“軽とじ機構”を搭載していた。
ユーザーの期待に応える製品を作ったら、後はその良さをユーザーに直接伝えなければならない。
HD-10DFL発売時、マックスのスタッフは銀座の伊東屋でデモンストレーションを行った。来店客にその場でHD-10DFLを使ってもらい、メリットを体感してもらったのだ。その日、HD-10DFLは驚くほどの売上げを記録したという。

スタンダードなHD-10と最新のHD-10DFLでは、見た目がすいぶん異なる。しかし、「ユーザーニーズに応えるホッチキスを」という作り手の志は、なんら変わるところがない。HD-10DFLはロングセラーの魂を受け継いでいるのである。

取材協力:マックス株式会社(http://www.max-ltd.co.jp/


“綴じる”から“打つ”へ──機工品分野への挑戦

現在、マックスの10号ホッチキスの国内シェアは約75%にもなるという。マックスと言えば、誰もがホッチキスを連想するのも無理はない。
しかし、同社が作っているのはホッチキスだけではない。実は売上げの6割は、機工品とよばれるインダストリアル製品が占めているのだ。例えば、「ネイラ」と呼ばれる釘打機。1958(昭和33)年に国産第一号の手動式ネイラを発売して以来、国産初のエア式ネイラやガスネイラを開発。今では日本の釘打機のトップメーカーとして、世界的に知られる有力メーカーに成長した。
ほかにも、ねじ打ち機やハンマドリル、充電式ドライバなど、住宅建築を中心とした工業分野で使われる製品を数多く手掛けている。
ネイラの仕組みは、根本的にはホッチキスと共通している。針の代わりに釘を打つわけだ。“綴じる”から“打つ”へ──文房具のホッチキスは、産業用の省力機械を生み出す原動力にもなっている。

     
 
90mmの長釘が打てる高圧釘打機 スーパーネイラ「HN-90N1」。
世界初のリチウム電池搭載充電式ハンマドリル「PJ-R201-BC」。

撮影/海野惶世(タイトル部、プレゼント)、ジオラマ制作/小湊好治 Top of the page

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