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ニチバン セロテープ
ニッポン・ロングセラー考 累計販売量、地球と月の間を169往復!「貼る」スタイルを変えた文房具の雄

GHQの将校が絶賛したニチバンの技術力

歌橋製薬所の社長、歌橋憲一。いち早くセロハン粘着テープの将来性を見抜き、開発に取りかかった。

   
 

GHQに収められていた頃のセロテープ(R)とテープカッター。各種の医療用粘着テープを手掛けていたニチバンの技術力がフルに投入されていた。

家庭やオフィスで誰もが当たり前のように使い、もはや生活に欠かせないものとなっている「セロテープ」(R)。これが商標登録された固有名詞だということは、よく知られている話。一般的には「セロハン粘着テープ」というのが正しい。
市場にはセロテープ以外の製品もあるのに、今も多くの人がセロハン粘着テープのことを「セロテープ」と呼ぶ。セロテープは、それ程までに私たちの生活に浸透しているのだ。

世界の歴史に残る発明といわれているセロハン粘着テープを開発したのは、実は日本の会社ではない。1930(昭和5)年、アメリカの3M社が開発した「スコッチテープ」がその始まり。当初は自動車の塗装用マスキングテープとして使われていた。
それと相前後して、日本の会社でも独自にセロハンを生地とした粘着テープの開発が行われていた。その中の一つが、ニチバンの前身にあたる歌橋製薬所。膏薬の開発からスタートし、絆創膏などの医療用粘着テープで高い実績を上げていた。
ある会合でスコッチテープを目にした当時の社長・歌橋憲一は「こんなに便利なものはない。日本でも絶対に売れる」と確信し、自社開発に乗り出す。
長年にわたって培ってきた粘着テープの技術が、セロハン粘着テープづくりに活かせるという読みからだった。

時は太平洋戦争終結後の1947(昭和22)年9月。日本に駐留していたGHQから、願ってもない話がニチバンに舞い込んできた。GHQは検閲後の私信を再び封かんする際、アメリカから調達したセロハン粘着テープを使っていたが、輸入が遅れたため品不足に陥り、日本製のテープを使う必要が生じたのだ。
その発注先に選ばれたのがニチバンだった。会社にとっては巨大な需要が見込める千載一遇のチャンス。開発陣は努力を重ね、11月には早くも試作品を完成させた。
ところが、その試作品には思わぬ欠陥があった。当時脚光を浴びていた合成粘着剤を使っていたため、夏場はいいが冬場になると、とたんに粘着力がなくなってしまったのだ。既に特別注文の原料を大量に購入している。資本金100万円の会社にとっては存亡の危機だった。

だが、ニチバンの経営陣はセロハン粘着テープの将来性に賭けていた。「これは将来の日本に絶対必要な商品だ。一からやり直そう!」
この英断に開発陣も奮起した。原料を最初から研究し直し、天然ゴムを使うことで冬場でも固くならない粘着剤の開発に成功。1948(昭和23)年1月、晴れて最初の製品をGHQに納品することができた。
GHQの将校たちの評価は、ニチバンの予想をはるかに越えたものだった。
「アメリカでもこの程度の品質になるまで10年近くかかった。こんな短期間にここまでのものを作るとは。ニチバンの技術力は素晴らしい。このまま生産を続けてくれ」
将校の大きな手が、開発責任者に差し出された。


「これどうやって使うの?」──ゼロから始めた販売ルート開拓

 
 

 
1951(昭和26)年頃のセロテープ(R)。ユニークなロゴデザインは今も変わっていない。幅と長さの表示がインチ、ヤードになっている。
 

包装資材業界や文具業界の展示会では、セロテープ(R)を大きく訴求した。 デパートでのマネキン宣伝。消費者へ使い道を教えることができる効果的な手段だった。
 

GHQへの納入を続けるうち、ニチバンは原料の見直しや新しい製造機械の開発を進め、セロハン粘着テープの品質は急速に向上していった。同年6月、ニチバンは念願だった国内販売に踏み切る。商標を親しみやすいセロテープにし、赤・白・青の鮮やかなパッケージを作成。ロゴには刷毛文字風のスマートな書体を採用した。
セロテープは将来性を見込んで開発した大切な商品。ニチバンは専門の販売部門を新たに設け、積極的な拡販に乗り出した。

ところが、実際の販売は順調な滑り出しとは行かなかった。そもそも薬品メーカーだったニチバンには、セロテープを売る新しい販売ルートがない。当時の営業部員は、足を棒のようにしてさまざまな会社を訪問した。小さな工場を訪ねて追い返されることもしばしば。大手の会社に試用してもらうよう働きかけたりしたが、なかなかうまくいかなかった。
理由は簡単。セロテープそのものの使い道が理解されなかったのだ。糊かビョウくらいしか"貼る"道具のなかった当時の日本人にとって、セロテープはあまりにも斬新すぎる商品だった。

そんな困難にもめげず、営業部員たちは根気よくルート開拓を続けた。やがて代理店の文具業界への売り込みが成功し、セロテープは徐々に世間に知られていくことになる。
この頃から、ニチバンは販売店や消費者へ向けた効果的な販売促進に乗り出した。文具業界の展示会では、毎回セロテープを中心に自社の粘着テープ類を並べ、その使い方やメリットを積極的にアピール。デパートでもマネキンによるセロテープの宣伝を行い、破れた書類の補修、名札の貼り付け、封かんなど、消費者へ直接使い道を教えるようにした。また、セロテープの広告をボディに貼り付けた宣伝カーを全国に巡回させ、文具店への売り込みや用途PRを実施。可愛い形をしたこの宣伝カーは、子供たちの人気を集めたという。


セロテープ(R)の普及に大きく貢献した宣伝カー。文具店への売り込みだけでなく、セロテープ(R)の知名度もアップもした。

更なる困難を乗り越え、商品の完成度を高めた技術者たち

 

セロテープ(R)の断面図。きれいに剥がせるのは最上面の剥離剤と、セロハンと粘着剤をくっつける下塗剤のおかげだ。

   
 
セロテープ(R)の需要が急拡大した高度経済成長期には、最新の製造機械が次々と導入された。

ところが、セロテープの知名度が上がる一方で、ニチバンには予想外のクレームが寄せられるようになっていた。最初に殺到したのは、「テープがくっつきすぎて引き剥がせない。無理矢理剥がすとセロハンと粘着剤が剥がれてしまう」というクレーム。
これは当時のセロテープがセロハンと粘着剤の二重構造だったことに原因があった。解決にあたっては、セロハンと粘着剤の間にはしっかり粘着するよう下塗剤を、さらにテープの背面には粘着剤がくっつかないよう剥離剤を施さなければならない。セロテープ開発時以来の難題だった。

くっつけるための技術と剥がすための技術は、まったく正反対の内容。それぞれに専門の研究員がつき、日夜研究に没頭した。下塗剤の開発にあたっては、数百種類にも及ぶ膨大な原料を組み合わせ、さまざまな試験を実施。努力の結果、理想的な下塗剤を作ることに成功した。
一方の剥離剤は、単にくっつかなければいいというのではなく、適度な重さをかけた時にうまく剥がれることがポイントだった。こちらも数え切れないほどの実験を経て、最適な剥離剤を作ることができた。
その結果、ニチバンはセロハンの両面に対する加工技術の開発に成功。セロテープは現在と同じ四重構造になり、テープがくっつきすぎるという問題は解決した。

もうひとつの大きなクレームは、「しまっておいたセロテープが、いつの間にか変形している」というもの。この原因はセロハンにあった。セロハンは一見するとビニールのようだが、実はパルプを原料とする天然素材。吸湿性に優れているため、放っておくと湿気を吸い込んで膨張し、変形してしまうのだ。なかにはお猪口のように変形したセロテープまであった。この問題を解決するには、セロハンが膨張する際にかかる圧力を外に逃がしてやらなければならない。これもまた、難しい問題だった。

「解決の糸口はビスケットの缶にありました」と語るのは、当時の製造課長であり、後に社長にもなった高綱基裕氏。缶にはビスケットが壊れないよう、紙を何層かに圧縮した緩衝材が入っている。「ああいうものを巻心にすればいいのではないか」という発想だ。実際の緩衝材は柔らかくて切れやすく、開発には苦労したが、ついには緩衝材の入った巻心(ペフ芯)を作ることができた。
この芯により、セロテープの変形問題も無事に解決。高綱氏らは後に、裁断方式を見直すことによって最後の課題だった「テープの斜め切れ」の問題も解決する。ここに、セロテープはほぼ完成形を見ることとなった。


 
文房具の三種の神器と呼ばれるまでに成長

大阪球場の看板広告。昭和30年代の野球は人気があり、宣伝効果も高かった。

 
   

新聞広告の一例。セロテープ(R)の用途を具体的な例をあげて説明している。

 

「小巻・カッターつき」(120円・税抜)

 
 

セロテープがここまでの定番商品になった理由の一つに、早い段階から取り組んでいたメディアへの進出が挙げられる。発売後まもなく、ニチバンは著名各駅への駅前広告、野球場の看板広告、野立看板、アドバルーン、ベンチ、交通機関の中吊り広告をスタート。さらには3大紙を中心とした新聞広告、婦人雑誌をはじめとする月刊誌、そして放送を開始したばかりのラジオにも次々とセロテープのCMを打っていった。

なかでも宣伝効果が大きかったのがテレビCMだろう。ニチバンは子供を通じてセロテープを家庭へ浸透させるという戦略を取り、1960(昭和35)年から子供向け番組「矢車剣之介」への提供を開始。同時に学校向け手工教育番組「僕の手・私の手」を放映し、学校教材としてのセロテープを訴求していった。
この効果は大きく、工作の時間にセロテープは欠かせないものとなってゆく。「そういえば子供の頃、紙の工作物はほとんどセロテープで作っていたなあ」という方も多いのではないだろうか。

市場は急拡大した。戦後の高度経済成長期を通じ、セロハン粘着テープは速乾性インキ、ボールペンと共に、文具界の三種の神器と呼ばれるまでに成長する。
今や誰もが認めるロングセラー文具となったセロテープ。だが、ここに至るまでの道程は決して平坦ではなかった。開発初期には会社存亡の危機に見舞われたし、営業部員の地道な努力がなければ、販売ルートを確保することもできなかった。度重なるクレームを乗り越えたのは、技術者の情熱と創意工夫があったからこそ。

誕生から60年近くになる現在、セロテープの累計販売量は、12mm幅テープに換算して1億3,000万kmにもなるという。地球と月を169回も往復できる計算だ。
同種のセロハン粘着テープは他にもあるし、市場では粘着テープの形態自体が変わりつつある。業界にもかつてほどの勢いはない。それでも私たちは、今なおセロハン粘着テープのことをついついセロテープと呼んでしまう。
それは私たちの"貼る"スタイルを劇的に変えてくれた功労者に対する、親しみを込めた愛称なのかもしれない。


 

「小巻・箱入り」(120円・税抜)

 

「大巻・箱入り」(170〜330円・税抜)

 
 
取材協力:ニチバン株式会社(http://www.nichiban.co.jp

「人・暮らし・環境」をコンセプトにした新時代のセロテープ
 
新製品の「セロテープ(R)」。色は赤・青・白の3種類。各136円(税込)。
  セロテープのラインナップは、今も昔からある2種類の箱入り製品と小巻のカッター付が基本。2006年、そこに新たに加わったのが小巻テープカッター付の「セロテープfit」だ。高性能&モダンをウリにした製品で、21世紀の製品らしく「人・暮らし・環境」をコンセプトにしている点が新しい。
人にfitする──これは持ちやすさや使いやすさのこと。穴の周囲に溝が刻んであり、持ちやすくなっている。カッターの先端にカーブを設け、指先を傷つけないようにしているのも使いやすさへの配慮だ。暮らしにfitする──これは様々なシーンに対応できるデザインのこと。まるでカタツムリのような丸みを帯びたデザインで、これならどんな場所に置いても違和感はなさそう。
そして環境にfitする──これこそが21世紀の今、最も重要なポイントかもしれない。本文でも少し触れたが、セロハンは木材パルプから、粘着剤は天然ゴムと天然樹脂から、そして巻心は再生紙からできている。つまりセロテープの原料はすべて天然素材なのだ。約60年も昔から、環境に優しい文具だったのである。
この製品から、セロテープの新しい方向性が見えてくる。

   
撮影/海野惶世(タイトル部)、ジオラマ制作/小湊好治 Top of the page

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