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ヤクルト
ニッポン・ロングセラー考 毎日2400万人が愛飲する乳酸菌飲料のパイオニア

「あの子供たちを救いたい」─創始者・代田稔博士の執念

ヤクルトの父、代田稔博士。生涯を腸内菌の研究と予防医学の普及に捧げた。1982(昭和57)年、82歳で他界。

   
 

ヤクルト菌(L.カゼイ・シロタ株)。腸で乳酸を作り、有害菌の腸内増殖を防いだり、便性を改善したりする働きがある。

小さなプラスチック容器に入った肌色の飲み物、ヤクルト。飲むとほんのり甘く、後味はサッパリ爽やか。量が少ないので、いつも一気に飲んでしまう。
体に良いということは、母親や先生から聞かされていた。だから家の冷蔵庫には、いつもヤクルトがあった。そういえば、昔は毎朝牛乳と一緒に配達されていたなあ。学校給食に出ることもあったっけ。
でも、よく考えると不思議だ。牛乳と違って、ヤクルトはヤクルトという会社の一商品に過ぎない。それが、飲んだことがない人はいないくらいにまで普及している。
なぜここまでの商品になったのだろう?ここまで大きく育てたのは誰なんだろう?今回は、意外に知られていないヤクルト発展の物語である。

それは今から100年ほど前のこと。長野県飯田市に、代田稔という少年がいた。育ったのは、周囲を高い山々に囲まれた伊那谷。この地方は土地が険しいため作物が育たず、貧しい家庭がほとんどだった。満足に栄養が取れないから、赤痢や疫痢などの感染症で子供が次々と命を落とす。
そんな光景を見て育った少年は、「こんな悲しい現実を放っておけない。いつか自分がああいう子供たちを救わねば」と、医者になることを決意する。

1921(大正10)年、代田は京都大学医学部へ進学し、微生物の研究を始める。その頃の日本はまだ衛生状態が悪く、赤痢やチフスといった伝染病が流行していた。研究を続ける彼は、やがてふたつの信念を持つようになる。
ひとつは、「疫病の原因は細菌にある。罹ってからでは治す方法がない。ならば、罹らないための予防が大切だ」という考え方。これは今でいう“予防医学”にあたる。
もうひとつは、「人が栄養を吸収するのも、病原菌が暴れるのも腸。腸が健康になってこそ、人は健康になれる」という考え方。これは後年、代田が提唱し続けた“健腸長寿”の発想そのものだ。

腸の中には悪い菌が沢山いるが、それらを退治してくれる良い菌も沢山いる。代田は「人腸乳酸菌」が悪い菌を退治することを発見し、その中の「特殊乳酸桿菌」を強化培養しようと考えた。この菌を飲んで生きたまま腸まで届けられれば、健康を守ることができるはずだと。
それから約10年後の1930(昭和5)年、代田はついに特殊乳酸桿菌の強化培養に成功する。その菌は、代田の名を取って「L.カゼイ・シロタ株」と名付けられた。後にヤクルト菌と呼ばれ、ヤクルトの生みの親となる乳酸菌の誕生だった。


普及の立役者となったヤクルトレディ、全国に約5万人

 

戦後間もない頃のヤクルト。この頃、瓶は各販売店がそれぞれ独自のものを使用していた。量も数種類あったという。

 
 

普通の実業家なら、ここからすぐに会社を作って製品化を進めるところだ。しかし、代田は違っていた。もともと学者になった目的は、体が弱く早逝する子供たちを救いたいというところから出発している。事業化して儲けるのではなく、とにかく早く、ひとりでも多くの人々にこの乳酸菌を飲んでもらうことしか考えていなかった。
1935(昭和10)年、福岡市に代田保護菌研究所を作り、乳酸菌飲料の製造・販売を開始。その3年後、「ヤクルト」の商標を登録した。これは、エスペラント語でヨーグルトを意味するヤフルトをもとにした造語。世界共通語のエスペラントを選んだのは、ヤクルトを世界中に広めたいという、代田の強い意志からだと言われている。

研究所で作った原液はそのまま各地の販売店に配られ、そこで瓶詰めされて各家庭に届けられた。宅配で売られたのは、ヤクルトの素晴らしさを顧客に説明する必要があったため。当初、販売の中心は牛乳販売店だったが、1940(昭和15)年からヤクルトの販売を専門に行う代田保護菌普及会が全国各地に次々と誕生。多い時でその数は500社を超えていたという。
普及会という名が示すとおり、当時のヤクルトの販売は普及活動のようなものだった。商品の素晴らしさに賛同した販売会社が、草の根運動のような熱心さで顧客を開拓。値段は販売店毎にまちまちだったが、ハガキ1枚、タバコ1本程度とした代田の提唱どおり、5円くらいで売られていたようだ(正確な記録は残されていない)。

1955(昭和30)年、東京にヤクルト本社が設立され、全国の販売会社が統括される形になった。ヤクルトの販売に関して忘れてならないのは、今も続いている独自の婦人販売店システム、いわゆるヤクルトレディの存在だろう。
宅配では、どんな天候、どんな場所であってもヤクルトを最良の状態で確実に顧客の元に届けることが大切。そのためには、辛抱強く真面目に働く人の力が必要となる。それが家庭の主婦だった。主婦が働くこと自体が珍しかった時代だから、当時は極めて斬新な労働形態と受け止められたようだ。
実はこのシステムもまた、地方の販売店から自然発生的にできたものだった。それが次第に広がりをみせたため、63(昭和38)年、本社が正式に導入を決定。自転車や手押し車に沢山のヤクルトを載せてお届けするヤクルトレディの姿は、やがて全国どこでも見かける光景になっていった。

現在は、全国に約2700ヶ所ある営業所を拠点に、約5万人のヤクルトレディが働いている。時代の変遷と共に届ける時間帯は朝から昼になり、1週間分をまとめて配るようになったが、地域単位で手から手へとヤクルトを届けるエリア&ダイレクトマーケティングの考え方は、昔から変わっていない。
日本人の生活形態が変化するとともに、ヤクルトはレディがフォローできない部分を店売りでカバーするようになったが、今でもヤクルトレディは店売りの2倍の数を販売している。ヤクルトにとってはレディこそが宝物。そのことがよく分かっていた代田は、常にヤクルトレディを大切にし、慰労会を欠かさなかったという。


小さなプラスチック容器に込められた熱い想い

 
 

1960(昭和35)年頃に使われていた瓶。クロレラと書かれているのは、当時のヤクルトがクロレラを利用して菌を強化・短縮培養していたため。

 

1968(昭和43)年、プラスチック容器に変わる直前まで使われていたのがこの瓶。4つのロと田で構成されるシロタマークの社章が印刷されている。

   
 

1968(昭和43)年に登場したプラスチック容器。合理性を追求して生まれた理想的な形の典型だ。現在の容器とは印刷がやや異なっている。


ヤクルトの歴史において、レディの登場と同じくらい大きな出来事だったのが容器の変化だろう。
発売から30年以上にわたって、ヤクルトはずっと瓶を使用してきた。写真を見ると、まるで小さな牛乳瓶のようなイメージ。フタは紙製で、牛乳と同じように専用のフタ取りピンが配られていたようだ。

長い間瓶入りで発売されていたヤクルトだが、瓶には回収に手間がかかるという大きな問題があった。しかも重量がかさむため、ヤクルトレディにとっては負担が大きい。
こうした理由から、1968(昭和43)年、ついにプラスチック容器が導入されることになった。採用されたのは、中央部が深くえぐれた独特のデザイン。今となっては当たり前のように感じるが、当時は誰も見たことがない斬新なデザインだった。実はこの小さな容器に、ヤクルト開発陣の熱い想いが込められているのだ。

容器の中央部がくびれているのは、持ちやすさを第一に考えてのこと。このおかげで、小さな子供やお年寄りでも落とさずしっかり掴むことができる。第二の理由は、一気に飲まず、ゆっくり味わって飲んでもらうため。この部分で液体の流れがいったん流れが止まり、一気に流れ込まないようになっている。また、このくびれがあることで容器全体が安定し、製造ライン上で倒れにくいというメリットもあるという。

容器の材料には、酸やアルカリに強く、衛生面や安全面でも高い信頼性があるポリスチレンが選ばれた。また、ヤクルトはほんのわずかでも外部から容器に空気が混入すると、成分が変化してしまう。そのため高純度アルミ箔のキャップには、容器に密着するようシール加工が施された。
65mlという容量に対しては「もう少し多くても」という声が昔からあるが、これも子供やお年寄りが一度に飲み切ることを考慮したうえで決めた数字だという。

時代に応じて表面の印刷はやや変わってきたが、この容器の形は現在に至るまでまったく変わっていない。中央部がくびれたユニークな形と赤い文字、そして肌色の液体。この3つが揃えば、私たちはそれがヤクルトであることを反射的に理解するまでになっている。
これほど強固なアイデンティティを持った飲み物、ちょっと他には思い当たらない。


 
商品を多様化し、健康意識の変化に対応
 

オリジナルのヤクルト。150億個のヤクルト菌が入っている。特定保健用食品。65ml、37円(税込)。

 

ヤクルトLT。カロリー控えめを謳い、砂糖を使っていないのが特徴。特定保健用食品。65ml、47円(税込)。

     
 

最近の売れ筋、ヤクルト400。鍛え抜かれた400億個のヤクルト菌が健康を守る。特定保健用食品。80ml、74円(税込)。

 

ヤクルト300V。300億個のヤクルト菌のほかに、ガラクトオリゴ糖、ビタミンE・Cを配合する。栄養機能食品。80ml、74円(税込)。

 
 

ヤクルトの販売量がピークに達したのは、1972(昭和47)年のこと。この年は、1日平均でなんと1600万本も売れている。当時の人口を考えると、約7人に1人が毎日飲んでいる計算だ。これは驚くべき数字といって良いだろう。おそらく単一の商品でここまで普及した飲み物は、ヤクルトをおいて他にないはずだ。

長らくオリジナル商品1種類でやってきたヤクルトだったが、80年代以降、ファミリー商品を市場展開し始める。1981(昭和56)年の「ヤクルト80」を皮切りに、91(平成3)年の「ヤクルト80Ace」、98(平成10)年の「ヤクルトLT」、その99(平成11)年の「ヤクルト400」、そして2004(平成16)年の「ヤクルト300V」など、数年おきに新製品を投入。
これらは甘さを抑えたり、ヤクルト菌の数を増やすといった方向で、日本人の健康意識の変化に対応。現在は宅配・店売り合わせ、7種類がラインアップされている。

誰もが認めるロングセラー商品となったヤクルトだが、ここ10年で市場環境は大きく変わりつつあるという。同社企画調査課の担当者はこう語る。
「あなたにとっての健康飲料は何ですかというアンケートを取ると、10年前はほとんど全員がヤクルトと答えていたんです。ところが最近は、新しく発売された商品の名を挙げる人が増えました。“乳酸菌の機能”というヤクルト独自の価値を、もう一度認知してもらう必要があると感じています」

それでも、現在、国内におけるヤクルトの1日当たり販売量は、オリジナルのヤクルトだけで約300万本。ヤクルトの名を冠するファミリー商品全体では、約900万本にもなる。国内だけではない。早くから進出している海外でも26の国と地域で販売を展開し、1日約1500万本を販売。これは、海外で販売されている日本の飲料では第1位の数字だ。
国内・海外合わせた1日当たりの販売量は約2400万本。誕生後70年を経て、ヤクルトは押しも押されもせぬロングセラー&ベストセラー商品となった。
ここまで来ればもう十分なのでは? という気もする。が、代田博士が生きていれば、きっとこう言い返されることだろう。
「私の願いは“健腸長寿”。ヤクルトを通して世界中の人々の健康を守ることです。世界には何億人の人がいますか? 普及はまだまだ、これからです」

 
取材協力:株式会社 ヤクルト本社(http://www.yakult.co.jp

「人・暮らし・環境」をコンセプトにした新時代のセロテープ
 
ビフィズス菌(B.ブレーベ・ヤクルト株)。ヤクルト菌とは形が違っている。   ビフィーネV。ビフィズス菌は100億個以上で、甘さ控えめのヨーグルト味。100ml、95円(税込)。ほかにカルシウム入りのMと食物繊維やガラクトオリゴ糖が入ったSがある。
  実はヤクルトが強化培養に成功した乳酸菌は、「L.カゼイ・シロタ株」のほかにもうひとつある。それが「B.ブレーベ・ヤクルト株」。ヨーグルトでお馴染みの、ビフィズス菌の一種だ。
一般にビフィズス菌は、口から摂取しても腸に到達するまでに死滅するケースがほとんど。「B.ブレーベ・ヤクルト株」は、強化培養することによって生きたまま腸内に到達するという。その働きは、腸内を弱酸性にして良い菌を増やし、悪い菌を減らすこと。また、B.ブレーベ・ヤクルト株が作り出す乳酸と酢酸が、便性を改善したり、食中毒の原因となる菌の増殖を防ぐ働きもあるとされる。
面白いのは、「L.カゼイ・シロタ株」が主に小腸で働くのに対し、「B.ブレーベ・ヤクルト株」は主に大腸で働くこと。このため、ヤクルトは両方の菌をとることを薦めている。
「B.ブレーベ・ヤクルト株」を含むヤクルト製品は、はっ酵乳の「ビフィーネV」「ビフィーネM」「ビフィーネS」。いわゆる飲むタイプのヨーグルトで、それぞれ成分と味に違いがある。
 
撮影/海野惶世(タイトル部)、ジオラマ制作/小湊好治 Top of the page

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