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現在のレトルト釜。ここにパウチをまとめて入れ、加圧・加熱殺菌する。 |
食品の世界には、その後の食のスタイルを劇的に変えた革新的な技術がいくつかある。例えば、缶詰や冷凍食品、インスタントラーメンなど。どれも皆、私たちの食生活には欠かせないものばかりだ。
そしてもうひとつ忘れてならないのが、レトルト食品。箱を開けてパッケージを取り出し、お湯で温めるだけ。あとはご飯を用意すれば、カレーやシチューが手軽に食べられる。手の込んだ料理をまったく調理せずに食べられるのだから、こんなに便利な食べ物はない。
レトルト食品と聞いて、どんな製品を連想するだろう? 多くの人は、まずカレーを思い浮かべるのではないか。そしてカレーと来れば、大塚食品の「ボンカレー」の名が挙がるはず。何を隠そう、日本で初めて市販されたレトルト食品が、この「ボンカレー」なのである。
本来レトルトとは、高温加熱殺菌釜のことを指している。その釜で加圧・加熱殺菌した食品をレトルト食品といい、レトルト食品を封入している気密性・遮光性のある袋は、レトルトパウチと呼ばれる。
レトルト技術の研究が始まったのは、1950年代のアメリカ。アメリカ陸軍が缶詰に変わる軍用携帯食として開発したものだった。缶詰と違ってかさばらず軽いから、携帯に便利。常温で長期間保存でき、食べるときは缶切りもいらない。更に食べた後も容器の処理が簡単。レトルトはメリットの多い技術だったが、アメリカでも研究には時間がかかっていた。
それから十数年後の1964(昭和39)年。カレースパイスを扱う会社に資本参加した大塚食品は、その会社を建て直すため、新商品の開発に迫られていた。缶やルーではない、今までにない斬新なカレーはできないものか。
その頃、偶然、開発陣の目に止まったのが、アメリカのパッケージ専門誌に掲載されたソーセージの真空パックに関する記事だった。
「この技術とカレーを組み合わせたら、お湯で温めるだけで食べられるカレーができるかもしれない。1人前入りで、誰も失敗しない美味しいカレーが」
そのアイデアは画期的なものだった。カレーは庶民の味として親しまれていたものの、お母さんが鍋でじっくり作り、一家揃って食べるものだったからだ。こうして、大塚食品は独自のやり方でレトルトの研究を進めることとなった。
発想は斬新だったが、開発は困難を極めた。レトルト食品はアメリカの軍事物資なので、ノウハウは入手不可能。すべてを自分たちで開発するしかなかったが、当時の大塚食品にはパウチにする包材もなければ、レトルト釜もなかった。あるのはグループ会社の大塚製薬が持っていた点滴液の殺菌技術だけ。これを利用し、レトルト釜は自分たちで作った。
カレーを入れたパウチをレトルト釜に入れ、殺菌のため高温処理すると、中身が膨らんで破裂してしまう。そのために圧力をかけるのだが、この温度と圧力の兼ね合いが難しい。開発陣はレトルト釜を何度も組み直しては、圧力や温度を調整し直した。また、手作りのパウチはシーリングが完全ではなく、加熱殺菌中に中身が漏れてしまうこともあった。
開発室は、いつもカレーの匂いが充満していたという。
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