ナビゲーションを読み飛ばすにはここでエンターキーを押してください。
COMZINE BACK NUMBER
ニッポン・ロングセラー考 Vol.38 ぺんてる サインペン 筆記具の歴史に残る世界初の水性サインペン

求められていたのは「滲まず、裏写りのしない」ペン

ぺんてる鉛筆

従来の回転式ではなく、片手で押して芯を出せるようにした画期的なシャープペンシル「ぺんてる鉛筆」。

 
ぺんてるペン

ペン先にアクリル繊維を使った油性ペン「ぺんてるペン」。細字が書けたが、紙に書くと滲んでしまった。

 
若井登さん

ぺんてるで数多くの筆記具開発に携わってきた若井登さん。現在はぺんてる旧友会会員、慈彩会会員。

メモ書きや宛名書きの時に欠かせない筆記具、サインペン。実は「サインペン」はぺんてるが名付けた固有名詞なのだが、現在は一般名詞化しているため、各文具メーカーから様々な「サインペン」が発売されている。
それでも、サインペンと聞いて誰もがまず思い浮かべるのは、クリップ付きキャップ、六角形の軸、ベージュの尾栓が付いた、ぺんてるのサインペンではないだろうか。
「これって昔からこの形だよなあ。もしかしたらこれが本家本元のサインペンなのかも」
今回の取材は、そんな疑問から始まった。

今では総合文具メーカーとして知られているぺんてる(当時の社名は大日本文具株式会社)が創業したのは、1946(昭和21)年の事。戦後の美術教育に力を入れ、絵の具やクレヨンを開発して数々のヒット商品を世に送り出していた。
60(昭和35)年には、世界初のノック式シャープペンシル「ぺんてる鉛筆」と油性ペン「ぺんてるペン」を発売し、筆記具分野へ参入。特に「ぺんてるペン」は、ペン先がフェルトのため太い文字しか書けなかった当時の油性マーカーとは異なり、ペン先にアクリル繊維を用いて細字を書けるようにした、新しいタイプの油性ペンだった。

「評判は良かったんですが、ぺんてるペンには油性ペン特有の欠点があったんです」
そう語るのは、若井登さん。現在は引退されているが、ぺんてるで数々の筆記具開発に携わってきたキーパーソンだ。若井さんの話は続く。
「細字は書けるのですが、油性インクのため字が滲んでしまうんです。しかも裏写りしてしまう。ぺんてるペンの用途は封書やハガキの宛名書きなどが多く、紙に書くケースがほとんどだったんです。これはあまり想定していませんでした」
ここに、新たな需要があった。当時使われていた主な筆記具は、鉛筆、細字用の万年筆、ボールペン、太字用の油性マーカーなど。その中間の文字を紙に書く、ちょうど良いペンがなかったのである。

油性ペンの欠点を補う画期的な商品を開発すれば、参入したばかりの筆記具分野で成功できる。ぺんてるは鉛筆、万年筆、ボールペンに続く、第4の筆記具開発に乗り出した。
「とは言っても、当時のぺんてるはまだ小さな会社です。私も技術屋じゃないし、開発スタッフはほんの数人しかいなかった。何もかもが手探りでしたね(笑)」
ここから、世界初となる水性サインペンの開発がスタートした。


インク、ペン先、本体──ペンの3要素すべてを新開発

発売当時のサインペン

発売当時のサインペン。形はほぼ現行の製品と変わらない。本体の色はその頃流行っていたパステルカラー(ベージュ)だった。

 
見本市

サインペンは業界の見本市で大々的に発表された。当時のキャッチフレーズは「ペン+筆=サインペン」。

一般的なペンは、インク、ペン先、本体からなる3つの要素で作られている。
紙に書いても滲まず、裏写りしないペンを作るには、何よりもまずインクを水性化しなければならない。だが、1960年代前半、中綿(インク吸蔵体)を使った水性ペンは、世界中のどのメーカーもまだ開発していなかった。
ぺんてるが作ったのは、発色が良く、滲みも少ない新しい染料インク。素人考えでは、ぺんてるペンの油性インクをこのインクに変えるだけで良いように思えるが……。
「そうはいきません。中綿にインクを吸い込ませ、ペン先に一定量のインクを染み出させる仕組みは同じですが、水性インクは油性インクに比べると粘性が少ないんです。同じ中綿やペン先を使うと、インクが漏れてしまう。インクを良く含み、適度に吐出する中綿とペン先を作る必要がありました」

これが大変だった。ぺんてるペンの中綿とペン先にはアクリル繊維を採用していたが、新開発の水性インクに合わせ、更に細かい工夫を施す必要があったのだ。
棒状に固める中綿の繊維は、縦方向のものを厳選して使用。細字化するため、ペン先はぺんてるペンの約2.5倍の強度を確保した。もちろん、繊維の接着剤や成型条件もぺんてるペンとは異なる。中綿とペン先の開発には、数え切れないほどの試行錯誤が繰り返された。

本体のデザインも難しかった。開発者たちの念頭にあったのは、既存の筆記具にはない新しいデザイン、そして真似されにくいデザインだったという。
「ペンは構造がシンプルですからね。真似するのは簡単なんです。そこで、当時一般的だった丸形を基本に、後部を転がりにくさやフィット感、高級感などを考えて六角形にしました」
今は見慣れたこのデザインも、当時は類例のない斬新なものだった。ところがこの形にしたため、従来の押し出し成型を使うことができなかった。仕方がないのでオス型とメス型ふたつの金型を組み合わせるインジェクション成型方式を採用。まず簡単な図面を書き、バルサ材を削ってモックアップを自作する。次に金型屋に依頼し、真鍮で倍寸の精細モデルを作ってもらう。これを元に特殊な旋盤を使って、実寸の金型を作った。

完成した金型に原材料の成型しやすいスチロール樹脂を流し込み、芯(コア)ピンを抜けば本体が出来上がる。実はこのインジェクション成型方式には後に、キャップが密封できないといった問題が見つかるのだが、何はともあれ、開発がスタートして3年後の1963(昭和38)年、ぺんてるはついに第4の筆記具の発売にこぎつけた。
商品名は、想定する用途と語呂の良さからシンプルな「サインペン」に決定。用意された色は黒・赤・青の3色。本体の色はみなベージュで、尾栓をインクと同色にして区別した。価格は油性ペンとほぼ同じで、1本50円。儲けがほとんどないバーゲン価格だった。
発表の場は、同年1月に開催される東京文工連見本市。世界初の水性サインペンを完成させた若井さんたちは、当然のように高評価を期待していた。


アメリカで人気に火が付き、ついには宇宙へ!

松山容子のCMカット
松山容子のCMカット

販促ツールを兼ねたサインペンのセット箱。郵便物の宛名書き、スケッチなどの用途が描かれている。

 

発売当時のチラシ。消費者にサインペンの使いみちを大きくアピールしているのが特徴。

ところが、見本市でお披露目したサインペンは期待したほどには注目されず、売れ行きも伸びなかった。若井さんたちは落胆するが、そこへある製薬会社から2万本の注文が入る。
「最初の注文ですから嬉しかったですね。ただし条件があって、本体をインクと同じ色にしてくれと言う。この注文をきっかけに、わずか1ヵ月でサインペンは本体色を変更したんです。余ったベージュの樹脂は尾栓に使う事にしました」
今ではデザインとして確立しているベージュの尾栓は、こんなことがきっかけだった。

大口の注文は入ったが、サインペンは一般消費者にはなかなか売れなかった。若井さんたちは開発だけではなく、自ら販促活動に乗り出す。
「大きな会社の総務部宛にサンプルを付けたダイレクトメールを送ったり、出版社に働きかけて雑誌記事にしてもらったり。レコード会社とタイアップした大がかりな歌謡ショーもやりましたし、テレビCMも打ちました」
売れ行きは徐々に良くなったが、それでもヒットするまでには至らなかった。

初物につきもののトラブルもあった。発売後間もなく、ぺんてるには「使っているうちに文字がかすれる」というクレームが寄せられるようになる。原因は、インクなどのバラツキによってペン先の金属部が腐食し、インクが目詰まりする事と、製品本体にバリが残ってキャップが密閉できない事にあった。
品質第一主義をモットーとするぺんてるは、即座に改善策を実施した。ペン先の金属腐食に関しては、各地に手直しスタッフを派遣し、防錆処理を施したペン先と交換。キャップが密閉できない問題に関しては、先端部と本体後部の成型方法を変えるというアイデアで対処した。

発売翌年の春、思いもかけない転機が訪れる。早くから製品を海外販売していたぺんてるは、サインペンの起死回生を狙って、シカゴで行われた文具国際見本市に出展していた。そこでサンプル配布したサインペンが、大統領報道官の手に渡る。報道官が使っている珍しいペンを目に留めたジョンソン大統領は、その書き味を大いに気に入り、ぺんてるに24ダースを注文した。
この話を耳にしたマスコミが新聞や雑誌で大きく取り上げ、"大統領が愛用する不思議なペン"として、あっという間に、サインペン人気に火が付いた。
更に1965から66(昭和40〜41)年にかけては、NASAが有人宇宙飛行計画「ジェミニ」に使用する公式スペースペンとしてサインペンを採用。毛細管現象を利用したサインペンは、無重力空間でもインク漏れせず書く事ができるからだった。
さすがにペン文化が浸透しているアメリカ。サインペンの優秀性を認めるのも、日本より早かった。

 

ジェミニ計画の宇宙飛行士。すぐに使えるよう、肩には数本のサインペンが収納されている。

 

全米で大ヒットするきっかけになった「Newsweek」の記事。ジョンソン大統領が実際にサインペンを使っている写真が掲載された。


 
軸・キャップ・尾栓をPP化し、完成の域へ到達

 

 
 

現行のサインペン。筆記線の幅は0.8ミリで、インクは黒・赤・青・緑の4色。再生プラスチック利用率83%のエコロジー商品でもある。各色105円(税込)。

アメリカにおけるサインペンの評判は、日本だけでなく世界中に広まった。60年代半ば以降、売れ行きは急速に拡大し、工場を新設しなければならないほどの注文が入るようになる。
同時に、若井さんたちが心配していたコピー商品も増えてきた。それらはぺんてるのサインペンに似てはいても、書き味や製品としての品質は数段劣る物ばかり。せっかく軌道に乗ったサインペン文化を育てるため、ぺんてるは粗悪品対策に力を入れた。
「探偵のようにして怪しげな工場を突き止めた事もありました(笑)。結局は良心的なメーカーだけが残りましたね」

誕生以来43年になるが、発売直後の2年間を除けば、サインペンはその外観をほとんど変えていない。変えたのは材質で、1986(昭和61)年に原材料をスチロール樹脂からPP(ポリプロピレン)に変更している。これは、スチロール樹脂は収縮率が低いため、キャップを密閉しても年に約10%の水分が蒸発してしまうから。PPなら蒸発量は約1%に低下するという。また、キャップのクリップが折れやすいという問題をクリアするためでもあった。
確かに86年以前のサインペンは本体が硬く、色も今ほどの艶はない。見た目はほとんど変わらないが、PPにした事で、手にした時のフィット感も大幅に良くなっている。

現在、サインペンの月間生産量は約150万本。誕生以来、通算生産量は優に20億本を越えるという。もちろん、同類の水性ペンのなかでは群を抜く数字だ。
これほどのロングセラー、そしてベストセラー商品になった理由はどこにあるのだろう。若井さんに尋ねると、即座にこう答えてくれた。
「品質第一主義でやってきたからです。これしかありません。ユーザーの立場に立って良い物を作れば、その商品は長く支持されるものです。それと、目立たない事でしょうか(笑)。ぺんてるの刻印も控えめにしています」
なるほど。そう言えば、芳名録の記帳で使われるのは、たいていぺんてるのサインペンだ。テレビ局のキャスターが手にしているのも、ぺんてるのサインペンがほとんどだとか。

形を変えずに中身を変える。自己主張しないから、どんな場面でも安心して使える。
本家本元のサインペンは、日本人のペン文化を支える筆記具となった。

 
取材協力:ぺんてる株式会社(http://www.pentel.co.jp/

ほかにもこんなにある、サインペンの仲間たち
「慶弔サインペン〈筆文字〉」。262円(税込)。
「筆文字サインペン」。157円(税込)。
「書写サインペン〈軟筆〉」。210円(税込)。
「はがきサインペン」。157円(税込)。
「サインペンのような携帯ミニ油性ボールペン」。黒・赤・青各色180円(税込)。
  スタンダードなサインペンの印象があまりに強いせいか、サインペンのバリエーションがほかにもある事はあまり知られていないようだ。ラインアップにある4種類を紹介しよう。
「慶弔サインペン〈筆文字〉」は、その名のとおりすべての冠婚葬祭に使える万能タイプ。慶事用の"墨"と弔事用の"うす墨"がツインになっているのが特徴だ。
「筆文字サインペン」は、筆に不慣れな人をターゲットにした水性ペン。一般的な筆ペンよりペン先が細いので、筆文字の練習用としても使いやすい。本格的な毛筆書写の練習用に使えるのが「書写サインペン〈軟筆〉」。ペン先が柔らかく、トメ・ハネ・ハライを表現できる。
「はがきサインペン」は水に流れない耐水性インクを採用した製品で、ハガキや手紙の宛名書きに最適。
ちょっと面白いのが、ぺんてる創業60周年を記念して発売された「サインペンのような携帯ミニ油性ボールペン」だろう。全長わずか6センチ弱の可愛いボールペンで、デザインはサインペンそのもの。世界中で販売されているサインペン同様、このミニサインペンも世界同時発売(限定品)されている。
 
撮影/海野惶世(タイトル部) タイトル部撮影ディレクション/小湊好治 Top of the page

月刊誌スタイルで楽しめる『COMZINE』は、暮らしを支える身近なITや、人生を豊かにするヒントが詰まっています。

Copyright © NTT COMWARE CORPORATION 2003-2015

[サイトご利用条件]  [NTTコムウェアのサイトへ]