ナビゲーションを読み飛ばすにはここでエンターキーを押してください。
COMZINE BACK NUMBER
ニッポン・ロングセラー考 Vol.62 コニシ ボンド木工用 つないで、くっつけて 合成接着剤のトップブランド

“ボンド博士”との出会いから生まれた新時代の接着剤

二代目儀助

コニシの礎を築いた二代目小西儀助。

接着剤研究の第一人者・沖津俊直。彼との出会いがボンド誕生の鍵となる。

接着剤研究の第一人者・沖津俊直。彼との出会いがボンド誕生の鍵となる。

東京工場内

1956(昭和31)年当時の東京工場内。沖津らはここで接着剤を研究していた。

長年使ってきた辞書の背表紙が剥がれかけてきた。さっそく接着剤を探す。「えーと、あの黄色いなで肩のやつはどこかな?」
そう、探していたのはコニシの「ボンド木工用」。木材や紙をくっつけるにはこれが欠かせない。固まると、白い液体が透明になる接着剤。子供の頃は学校の工作やバルサ材を使った模型飛行機作りでよく使っていた。大人になると昔ほどは使わなくなったけれど、いつも机の引き出しに入っている。辞書の修理は久々の出番だ。蓋を開けて、鼻を近づけてみた。ちょっとマヨネーズに似たこの匂い。なんだか懐かしい。中身も形も、昔から変わっていないのだろうか?
今回は合成接着剤のロングセラー、ボンド木工用の物語。つないで、くっつけて──そのルーツは1870(明治3)年にまで遡る。

この年、薬の町として知られる大阪市の道修町で、初代小西儀助が薬種商(医薬品販売業)を始めた。進取の気性に富んでいたのだろう。初代は当時としては珍しかった洋酒の製造に乗り出したが、あえなく失敗。傾いた店を建て直したのが、コニシ創業の礎を築いたと言われる二代目の儀助だった。二代目は、後にアサヒビールへと発展する「朝日麦酒」や、サントリーのルーツとも言える「赤門印葡萄酒」を販売。ちなみにサントリーの創業者・鳥井信治郎はその昔、二代目の店で丁稚として働いていたことがある。
明治末期には問屋業務に専念し、1925(大正14)年には小西儀助商店を設立(1976〔昭和51〕年にコニシに社名変更)。以降はエチルアルコールや輸入アルコール飲料で国内シェア約40%を獲得するなど、大手の化学専門商社として急成長していった。

戦後もコニシは、アルコール、溶剤、酢酸などの原料を購入。それをメーカーに販売し、メーカーが作った樹脂や塗料などの製品を商社として取り扱う往復商売で伸びていった。一方で経営陣には、原料と商社の仕事だけではこれ以上の発展は難しいという思いもあった。何か画期的な新製品がほしい──そう思っていた頃、不思議な巡り合わせに遭遇する。東京支店の営業担当が沖津俊直という男の存在を知り、支店長に引き合わせたのである。沖津は合成接着剤を研究しており、後に“ボンド博士”の異名を取るほど優秀な技術者だったが、事業に失敗し、就職口を探していた。
戦後しばらく、日本の接着剤は天然素材のニカワやカゼインを使ったものがほとんどだった。ところが、1950年代初期の朝鮮特需によって状況は大きく変わる。工業分野が急速に発展し、様々な合成樹脂が登場してきたのだ。「合成樹脂で作った新しい接着剤の時代が来る」というコニシの先見性と、「画期的な接着剤を作って普及させたい」という沖津の夢が一致した。

1952(昭和27)年1月、コニシに入社した沖津は東京工場の木造倉庫に実験場を作り、たった一人で研究を始めた。豊富な知識の持ち主だった沖津は、早くもその年の2月に酢酸ビニルエマルジョン(エマルジョン=乳濁液)を主成分とする合成接着剤の開発に成功。「Bシリーズ」と呼ばれたそれは無線綴製本を目的にしたもので、糸や針金を使わず、糊付けするだけで背表紙を接着することができた。さらにその年の夏には、セメント袋の接着用に乾燥の早い「CFシリーズ」を送り出した。
製品名はそのものズバリの「ボンド」。接合や結合を意味する「ボンド」を商標出願し、53(昭和28)年、当時の区分である「化学品、薬剤及び医療補助品」で登録商標となった。


「下駄の歯がくっついた!」をヒントに木工用を開発

ボンドBシリーズ
無線綴製本のボンド「Bシリーズ」。進駐軍の電話帳製本にも採用された。
ボンドCHシリーズ

初の木工用ボンド「CHシリーズ」。家庭用ボンド木工用はここから派生した。

ボンドCH18

現行商品「ボンドCH18」。用途は日曜大工や建築内装木工事、木製家具製作等。容量は1kg・3kg・5kgの3種類。

ボンドの新聞広告

昭和30年代の新聞広告。木工だけでなくゴムや皮革用途など様々な製品があった。

開発は順調に進んだが、発売当初、ボンドはなかなか売れなかったという。当時コニシに入社し、後に社長になった森本昌三はこう語っている。
「売れる見込みがないということで、もともと大阪本社は接着剤の生産には反対でした。東京支店が独断で販売したようなものでね。なかなか売れなかったんだけど、沖津さんや支店の人たちが可能性のある企業を熱心に回っていた。やがて朝鮮戦争が本格化し、需要が拡大して売れ出したんです」
その後、無線綴製本用のBシリーズは角川文庫や新潮文庫、さらには東京都の電話帳にまで採用されることとなり、製袋用のCFシリーズも大手企業からの受注が入るようになる。ボンドの生産に明るい兆しが見えてきた。

だが、無線綴製本用と製袋用だけがボンドの全てではない。新たな需要を開拓するため、コニシは様々な企業へサンプルを配布した。するとある日、名刺製本用としてサンプルを配っていた朝日新聞社から意外な声が届く。「これは下駄の歯をつなぐのに便利だね」
当時の下駄には桐が使われていたが、台木と歯は天然接着剤でくっつけていた。雨に濡れると歯が外れやすく、片方の歯が欠けただけで捨てるのが普通だった。これではもったいないと、ある社員がたまたまボンドのBシリーズで接着してみたところ、しっかりくっついて感激したというのである。思いも寄らない使い方だった。

この話を聞いた沖津らは、「酢酸ビニルエマルジョンは木材にも応用できるのではないか」と考えた。そして1953(昭和28)年、可塑剤(柔らかくする材料)の量を調節し、木材用として最適な柔軟性と強度を持たせた新製品「CHシリーズ」を発売。これがボンド木工用の直接の元祖となる。

耐久性に優れたCHシリーズは、すぐに家具・建具業界に注目された。これらの業界では続飯(そっくい)やニカワといった天然接着剤が使われていたが、続飯は作るのに手間がかかり、ニカワは木材が変色しやすいといった欠点があった。CHシリーズは簡単に使えて接着力が強く、木材を変色させることもない。1kgで350円と高価だったが、あっという間に人気商品となり、親しみを込めて「冷たいニカワ」「白ボンド」と呼ばれるようになった。
一般消費者には家庭用の小さなボンド木工用がお馴染みだが、昔も今もボンド木工用は工業用の需要の方が圧倒的に大きい。高度成長期の家具・建具業界を支えた「白ボンド」は、今も「ボンドCH18」としてコニシの主力商品であり続けている。

 


マスコット「ボンちゃん」と共に家庭用分野へ進出

1957年チューブ型ボンド

国内初の家庭向け木工用ボンド。このチューブはサンプル用だった。

1962年縦型ボンド
1969年こけし型ボンド

この製品で文具業界へと参入。縦型ボトルにはボンちゃんのマークが。

1969(昭和44)年にはこけし型ボトルにリニューアル。

ボンちゃん人形

ボンちゃんの人形。「懐かしい!」という人も多いのでは?

ボンちゃん写真5点

製品パッケージから町の看板まで、ボンちゃんマークはいたるところにあふれていた。

1950年代後半から、コニシは積極的に多品種展開を推し進める。そのひとつが家庭用分野への進出だった。1957(昭和32)年に、小型チューブ入りのボンドを発売。他社もまだ手がけておらず、これが国内初の家庭向けボンド木工用となった。ラグビーボールを横に引き延ばしたような形のこのチューブは、そもそもは市販品ではなく、サンプル用として作られたもの。得意先などに配っているうちに、「ヘラや刷毛を使わずに使えるのが便利」という声が上がり、家庭用として製品化されたのだった。
使い勝手の良さはすぐに証明された。全国の学校が教材用として導入し、引っ張りだこになったのである。それは、子供にとっても初めて手にする便利な接着剤だった。この時代にボンド木工用を使ったことがある人なら、模型作りなどの工作が随分楽になったという記憶があると思う。

学校用・家庭用としての需要を確信したコニシは、1962(昭和37)年、縦型の新しいボトルに入れたボンド木工用で、本格的に文具業界へ参入した。キャップは緑色だが、容器の色は今に続く黄色を採用。黄色は目立つことと同時に、安全を喚起するための色だと言われている。
販売の窓口は、学校の傍にある文具店だった。子供が直接、文房具を買いに来る場所である。となれば、ただ単に接着剤を置いているだけでは子供の目を引かない。こちらから積極的にアピールする方法はないだろうか。コニシが考えたのは製品キャラクターの導入だった。

王冠をかぶった愛らしい二頭身キャラ「ボンちゃん」。王様=強い(接着剤)という連想から誕生したユニークなキャラクターは、木工用に限らず、ボンド全体の知名度を上げるために大活躍する。
ボンちゃんは製品パッケージだけでなく、パンフレット、新聞広告、黄色に塗った営業車や配送車のボディ、壁看板など、人目に付くあらゆるところで使われた。化成品業界や接着剤業界でキャラクター戦略が採られたのは、これが初めてではないだろうか。残念ながら今はもう使われていないが、ボンド木工用と同時にボンちゃんを思い出す人もいることだろう。

1950年代後半から70年代にかけての高度経済成長期、ボンド木工用はその販売数を右肩上がりに伸ばしてゆく。工業用は住宅需要の拡大が、家庭用は子供の数の増加と学校教材としての需要が背景にあった。そしてもうひとつ、「物は修理して使うのが当たり前」という、社会的な風潮があったことも見逃せない。「壊れたら新しい物を買えばいい」という時代ではなかったからこそ、ボンド木工用は人々の生活に欠かせない道具となっていたのである。
ボンド木工用の販売のピークは、日本経済がそろそろバブルを迎えようかという80年代後半。考えてみれば、この頃から子供たちも自分たちの手で物を作る楽しさを忘れてしまったような気がする。


 
たなマーケットを開拓するために、ファミリーを拡大

その後も、ボンド木工用はその仕様を細かく変えてゆく。私たちになじみ深い「なで肩の黄色い容器」が登場するのは1972(昭和47)年。赤色キャップが採用されたこの形は、現在発売されている容器の原型といえるフォルムだ。
74(昭和49)年にも大きな変更が行われている。ボンドのロゴタイプが滴をイメージさせる従来のものから、現在も使われているプレーンなものに変わったのだ。その5年後の79(昭和54)年には、容器のデザインを初めて外部のデザイナーに委託。この時、なで肩のフォルムは安定感を感じさせるものになり、現在に至るまでその形は変わっていない。
面白いのは、ラベル表記に変更があったことだろう。99(平成11)年、その2年前に一新したコニシのブランドマークを添付すると共に、「木工用ボンド」から「ボンド木工用」という表記へと変更。これには、「コニシのボンド」であることを強調するという意味があった。もともと本社がある関西では「コニシのボンド」が広く認知されているが、関東では「ボンド」だけが一人歩きし、コニシブランドの印象が薄かったのである。
以降もボンド木工用の容器には、01(平成13)年には前面と背面に点字を刻印、02(平成14)年には容器に再生プラスチックを採用してエコマークを取得といった具合に、毎年のように小さな改良が施されている。

2007(平成19)年6月、ボンド木工用はその容器の外観を立体商標登録した。容器・ラベル・ボンドのロゴタイプすべてを包含した形で、商標が認められたのである。バブル以降、会社の方針として進めていた産業財産権取得強化の一環としての出願だった。コニシの広報担当者はこう語る。「ボンド木工用は会社の財産。立体商標登録すれば、社史に残ります。開発した人にとっても、新しい人にとっても、それは大きな誇りになるはずですから」

一方、接着剤そのものにも毎年のように細かな変更が加えられている。環境意識の高まりや人体へのアレルギー問題を受け、接着剤に対する法的規制が毎年厳しくなりつつあるのだ。主成分が酢酸ビニルエマルジョンであることに変わりはないが、処方の変更によってボンド木工用も細かな成分が微妙に変わっているという。ちなみに、人体に悪影響を及ぼすとされるホルムアルデヒトは最初から入っていない。

現在、ボンド木工用シリーズにはスタンダードタイプの他に、乾きが速い「ボンド木工用速乾」と、さらに乾きが速く細口ノズルを採用した「ボンド木工用プレミアム」がある。シリーズ全体での年間販売本数は約700〜800万本。そのうち約400万本を占めているのが、最も小さな50g容量の製品、つまり私たちにお馴染みの“黄色いなで肩の”ボンド木工用だ。ここ数年は100円ショップで売られている海外製の接着剤に押され気味だが、もちろん木工用接着剤ジャンルでは他の追随を許さない。50年以上にわたるトップブランドなのである。

工作の時間に、子供たちが木の模型を作るようなことはもうないかもしれない。子供なら誰もが提出した夏休みの工作も、今は必須ではなくなったと聞く。昔のような学校需要を期待することはもうできないだろう。
その代わり、今のボンド木工用はペーパークラフトやフラワーアレンジメントなど、趣味を楽しむ大人たちに幅広く愛用されているという。ここに新たな需要のヒントがありそうだ。
考えてみれば、ボンド木工用を発売したときから、コニシは自ら需要を開拓してここまで伸びてきた。つないで、くっつけて──これから数年後、私たちは思いも寄らない用途にボンド木工用を使っているかもしれない。

 
取材協力:コニシ株式会社(http://www.bond.co.jp/
 

●ボンド木工用・パッケージの変遷

 1972年パッケージ
1974年パッケージ 1979年パッケージ

1972年、黄色い容器に赤いキャップを採用。

1974年、ロゴタイプを現行のデザインに変更。

1979年、容器を現行のデザインに変更。

1999年パッケージ 2001年パッケージ 2002年パッケージ

1999年、「木工用ボンド」から「ボンド木工用」へ。

2001年、点字を刻印し、無可塑型に成分を変更。

2002年、容器に再生プラスチックを採用。現行商品。価格は50gで178円。

     
家庭用接着剤のニーズは他用途に使えるものへとシフト
ボンドウルトラ多用途S・U
「ボンドウルトラ多用途S・U」。色調はクリアー・ブラック・ホワイトの3種。容量は10ml・25ml・120mlの3種。
接着剤は用途によって製品が細かく分かれている。コニシの場合も、合成ゴムや皮革には「ボンドG17」、コンクリートや金属には「ボンド高性能コンクリート用」といったように、その種類は極めて多彩。アイテム数だけで約2500種類にもなるというから驚きだ。
最近の流行は、用途を選ばず何でも強力にくっつけることができ、しかも短時間で乾く万能タイプ。本来は両立しにくいこうした特性を、メーカーは技術開発によって次々と克服しているのだ。コニシが2003(平成15)年に発売した「ボンドウルトラ多用途S・U」もそのひとつ。金属・ガラス・コンクリートなどの硬質材、皮革・合成ゴム・軟質塩化ビニルなどの軟質材を問わず、ほとんどの素材を数分で強力に接着することができる。
S・Uはコニシが最初から家庭用接着剤として開発した初の製品であり、同社初のテレビCM放送をした記念すべき製品でもある。年間販売本数は約200万本。ボンド木工用に次ぐ基幹商品に育ちつつある。
 
タイトル部撮影/海野惶世 タイトル部撮影ディレクション/小湊好治 取材編集/バーズネスト Top of the page

月刊誌スタイルで楽しめる『COMZINE』は、暮らしを支える身近なITや、人生を豊かにするヒントが詰まっています。

Copyright © NTT COMWARE CORPORATION 2003-2015

[サイトご利用条件]  [NTTコムウェアのサイトへ]