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ニッポン・ロングセラー考 Vol.100 唐草風呂敷 宮井

泥棒さんが使っていた?家庭の必需品だった定番風呂敷

INDEX

お風呂で使っていた敷布だから”風呂敷”になった

正倉院にある包み

正倉院御物を包んでいる「包みもの」の例。片隅に付けられた紐は中身の固定用。

江戸時代の風俗絵図 江戸時代の風俗絵図 江戸時代の風俗絵図

江戸時代の風俗絵図には、「包みもの」としての風呂敷がよく登場する。

日本のものづくりの原点を探る連載企画「ニッポン・ロングセラー考」。記念すべき100回目は、"包み"の文化を体現する風呂敷にスポットを当ててみよう。若い人は想像できないかもしれないが、今から40〜50年ほど前までの日本では、モノを運ぶため、誰もが日常的に風呂敷を使っていた。さまざまな柄に染められた薄手の布が、包装と運搬の道具として、社会にしっかりと根付いていたのだ。
なかでもポピュラーなのが、唐草模様の風呂敷。緑や紺の地色につるが絡み合う蔦(つた)の文様を描いたこの風呂敷は、100年以上にわたって生産が続けられてきた、日本を代表するロングセラー商品。オリジナルを辿るのは不可能なので、今回は京都にある風呂敷の有名メーカー「宮井」を取材した。110年以上に及ぶ同社の歴史そのものが、風呂敷の歴史と言っていい。

そもそも、風呂敷はいつごろから日本にあるのか。奈良の正倉院には御物(僧侶の袈裟や舞楽の楽器等)を収納した包みがあり、中身に応じて「○○包み」と呼ばれていた。これが風呂敷の起源ではないかと考えられている。平安時代のとある文献には「古路毛都々美(ころもづつみ)」という表記が現れ、南北朝時代にも包み布を「平包(ひらづつみ)」と呼んでいた記録が残っている。
"包む"ための布に新しい用途が出現したのは、室町時代。将軍・足利義満は京都の室町に大湯殿(おおゆどの)を建て、諸国の大名を蒸気風呂に入れてもてなした。大名たちは脱いだ衣服を取り違えないよう家紋を付けた布で包み、風呂から上がった後はこの布の上で身繕いをしたという。まさしく風呂で使われた敷布だったわけだが、この時はまだ風呂敷とは呼ばれていない。

風呂敷の名称が残されている最古の記録は、1616(元和2)年に作られた徳川家康の遺産目録。その一部に「こくら木綿風呂敷」の表記があり、これが風呂で使われていた木綿の敷物を指している。いわゆる銭湯は江戸時代前期からあり、この頃から庶民は脱いだ浴衣や褌を包むために風呂敷を使っていたようだ。風呂から上がった後は風呂敷を広げ、その上で着替えていた。
やがて銭湯には籠や柳行李が置かれるようになり、風呂敷が風呂で使われる場面は徐々に減っていく。

商業が発達した江戸中期以降の人々は、運搬の道具として風呂敷を使うようになった。素材は安価で丈夫な木綿。無地や縞模様の柄物か、店の屋号を入れたものが多かった。当時の風俗絵図には、呉服屋・針売り・絵草紙屋など、多くの行商人が風呂敷を使っている様子が描かれている。また、江戸時代の町人は風呂敷を蒲団の下に敷いて寝ていたと言われている。これは、火事が起こったときに大事な布団を素早く畳んで逃げ出すため。江戸の後期になると、風呂敷は人々の生活に欠かせない必需品となっていた。


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大陸伝来の唐草模様は、延命長寿・子孫繁栄の象徴

初期の「唐草風呂敷」

初期の宮井製「唐草風呂敷」。単純明快な渦巻きデザインは今も変わらない。

現在の大判「唐草風呂敷」

現在の大判「唐草風呂敷」。素材は木綿で、サイズは105cm幅から198cm幅までの4種類。1575〜6300円。

友禅の「唐草風呂敷」 友禅の「唐草風呂敷」 友禅の「唐草風呂敷」

こちらは木綿の「友禅唐草」。105cm幅が6種類で2100円、50cm幅が3種類で630円。

京都室町の呉服問屋筋。ここに軒を構える宮井が創業したのは、1901年(明治34)年のこと。冠婚葬祭に使う袱紗(ふくさ)の問屋としてスタートし、袱紗の生産とともに明治後期には風呂敷の生産を開始している。
木綿製「唐草風呂敷」の生産を始めたのは、創業から6年後。唐草は古くから衣類や日用品などさまざまなものに使われており、江戸時代には既に風呂敷の模様として定着していたとも言われている。木綿の「唐草風呂敷」を最初に作ったメーカーは定かではないが、明治30年から40年にかけて作られるようになり、大正中期に大量生産されるようになった。

それにしても、なぜ唐草模様だったのだろう? もともと江戸時代の風呂敷は植物をモチーフにするものが多かったが、普及するにつれ、人々は植物の季節感だけでなく、「おめでたいこと」を重視するようになる。そこで登場したのが、縁起が良いとされる植物を描いた吉祥文様。例えば松竹梅は長寿を意味し、麻の葉は子供の健康につながることから重宝された。
古代エジプトで生まれ、シルクロード経由で大陸から日本に伝来した唐草もまた、吉祥文様のひとつ。四方八方に伸びていくつるが長寿や延命を象徴し、ひいては子孫繁栄につながると受け止められた。
こうした背景があったためだろう。大量生産されるようになった「唐草風呂敷」は、驚くほどの早さで庶民の間に浸透していった。

「唐草風呂敷」が普及したもうひとつの理由は、その生産効率の高さにある。昔も今も、風呂敷は着物と同じように反物と呼ばれる長尺の布地(幅約38cm、長さ約12m)から作られる。最も一般的な二幅(約68cm幅)と呼ばれるサイズなら、2枚の布地をつなぎ合わせて作るわけだ。ここで問題になるのが布地の模様。反物は染め上げてから裁断するので、模様によっては上手く合わせるのが難しくなる。唐草模様にもさまざまなデザインがあるが、基本はシンプルな渦巻き模様だから、合わせやすく、つなぎの部分もほとんど目立たない。

宮井は戦争で生産が中断されるまで、二浴浸染(しんせん)という伝統的な染色方法で「唐草風呂敷」を作り続けた。浸染は染料を溶かした液体の中に布地を浸して染める、最も基本的な手法。「唐草風呂敷」は地色と白い模様の2色構成なので、成分の異なる2種類の染料を使って染め分けたのだ。
染色方法は時代と共に進化する。1918(大正7)年、宮井はローラー捺染(なっせん)による「唐草風呂敷」の生産も開始。捺染とは捺染糊を使った染色のことで、いわゆるプリントのこと。模様を彫ったローラーの凹みに糊を載せ、付着した染料を布地に転写していく仕組みだ。この方式は細い線や細かい柄の表現に優れ、量産性も高いので、「唐草風呂敷」の生産効率は更に向上した。ローラー捺染による生産は1975(昭和50)年まで継続する。
1998(平成10)年には、木綿・絹・ポリエステルなど各種の素材にコンピュータを駆使したデジタルプリントを導入。多品目小ロット生産が可能になり、「唐草風呂敷」も多様なデザインの商品が作られるようになった。


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昭和の後半まで、日本人は風呂敷で物を運んでいた

街角の風呂敷 街角の風呂敷

竹村昭彦さんが撮影した、"街角の風呂敷"写真。共に1977年撮影。(上)銭湯に行くおばあちゃんと孫。(下)唐草に荷物を詰めてスキー場に向かう若者。写真提供/グラフィカ

「国華風呂敷」 「国華風呂敷」

宮井オリジナルの「国華風呂敷」。バッグのように使えるアイデア商品だった。

明治の後半から昭和の半ばにかけて世の中に溢れた「唐草風呂敷」。おそらくその印象は世代によって異なるのだろうが、多くの人々は「唐草風呂敷」にこんなイメージを抱いているのではないだろうか?──ほっかむりをした泥棒が唐草風呂敷の大包みを背負っている。
こうしたイメージは、戦前から漫画などで多用されていた。実際、この頃の泥棒は手ぶらで留守宅に上がり込み、タンスの一番下の段に入っている大判の「唐草風呂敷」に盗んだ荷物を入れて運び出していたわけだ。誇張はあるが、「唐草風呂敷」を使う泥棒のイメージは、こうした世相が面白おかしく伝聞された結果かもしれない。

風呂敷の最盛期は1950年代の半ばから1960年代後半にかけて。ちょうどこの頃、「唐草風呂敷」を背中にしょったコメディアン、東京ぼん太が登場し、テレビや舞台で人気を集めた。芸人がトレードマークに選ぶほど、当時の「唐草風呂敷」は庶民のアイコン的な存在だったのだ。

この頃の人々がどれほど風呂敷を重用していたかがよく分かる貴重な資料がある。宮井の社員だった竹村昭彦さん(故人)が1970年代から1980年代にかけて撮影した、"街角の風呂敷"写真。宮井の品質管理基準を作るため、実生活における風呂敷の使われ方を知るために撮影したものだが、そのクオリティの高さには目をみはる。印画紙に焼き付けられているのは、生活の場面場面で使われているさまざまな風呂敷。そして、風呂敷を使う人々の何気ない表情や仕草。そう、かつての日本人の傍らには、当たり前のように風呂敷があったのだ。
竹村さんが残した写真は3年前、写真集『風呂敷』として出版された。

風呂敷業界は「唐草風呂敷」以外にも、いくつかのヒット商品を生んでいる。1955(昭和30)年以降の数年間は、先染高級絹風呂敷として「甲州八端風呂敷」がブームになった。甲州八端は、雅な趣を持つ光沢と繊細な衣擦れの音を特徴とする絹織物。これが年間30万枚以上も売れたというから、日本の風呂敷文化は奥が深い。
宮井のオリジナル風呂敷としては、1967(昭和42)年に発売した「国華風呂敷」がある。中央部分にファスナーを付けたユニークな風呂敷で、ファスナーを開けば従来の風呂敷と同じように使え、綴じれば底が丸くなるのでバッグのように使うことができた。一枚二役とも言うべき発想の転換から生まれたこの風呂敷、その後の8年間で約400万枚も売れたという。

だがこのころから人々は布製の手提げ袋や鞄を持つようになり、風呂敷を取り巻く状況に変化が現れてくる。1960年代始めに伊勢丹百貨店が紙袋の無料サービスを開始し、他の百貨店もそれに追随。巷には紙袋の流行現象が起こった。1970年代にはスーパーのレジ袋が登場。主婦は風呂敷を持参して買い物に出かける必要がなくなった。1976年(昭和51)年には宅配便サービスがスタート。小口の物流は次第にプロの手に委ねられるようになり、人々が風呂敷で荷物を運ぶ機会は急速に減っていった。
モノの運搬手段は"包む"形から"詰め込む"形に変わっていった。江戸時代から昭和の半ばまで運搬道具の主役だった風呂敷は、次第に表舞台からその姿を消してゆく。


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エコの時代だからこそ風呂敷を──新しい使い方の提案

バスケットバッグ包み

「バスケットバッグ包み」。エコバッグの代わりに。

ビンふたつ包み

ワインやペットボトルには「ビンふたつ包み」を。

日本酒包み

日本酒を唐草風呂敷で包んだ「瓶包み」。

「唐草屋」店舗

「京都唐草屋」の外観。女性客の常連も多いとか。

個人需要が激減した後も、風呂敷は銀行や生保の記念品として一定の需要を維持していた。だがバブルが崩壊してそうした用途もほぼなくなり、風呂敷の市場は更に縮小してゆく。今の20代の若者のうち、「唐草風呂敷」を見たことがある人はどれほどいるだろう?
現在、風呂敷は実用品としてよりも、ほとんどが贈答品として購入されている。関西では婚礼や快気祝など、関東では仏事返礼の答礼品として使われているのだ。中年世代の記憶にあるお中元やお歳暮を風呂敷に包んで手渡しする光景は、今はまず目にすることがない。

全体を見ると寂しい限りだが、ここ数年、風呂敷の個人需要は別の形で復活しつつある。ライフスタイルの変化と共に和の文化を再評価する機運が高まり、その象徴的な存在として風呂敷にもスポットが当たっているのだ。女性誌やデザイン誌などでは、和食器や和の家具などと並んで風呂敷が取り上げられる機会が増えている。

風呂敷に興味を持つ若い人たちは、固定観念に捕らわれない新しい使い方を実践しているようだ。例えば、お気に入りのワインをモダンなデザインの風呂敷で包み、そのまま好きな人にプレゼントする。あるいは、ハンカチサイズの風呂敷でポケットを作り、ベルトに挟み込んでケータイ入れとして使う。
宮井は利用者自らが発案した使い方として、「チエちゃんの知恵袋」という包み方を紹介している。これは大判の風呂敷を巧みに折り、ショルダーバッグにするという画期的なアイデア。蓋があるので中身が不用意に飛び出すこともない。
風呂敷をラッピングペーパーや収納グッズとして扱うフレッシュな感性が、風呂敷に新しい生命を与えているようだ。

風呂敷が再評価されているもうひとつの理由は、エコロジー。小泉内閣時代の環境大臣だった小池百合子氏は、レジ袋や紙袋の代用品として使い回しできる風呂敷に注目し、リサイクル素材を活用した「もったいないふろしき」を考案した。これがきっかけになり、エコ意識の高い主婦層が風呂敷に目を向けるようになったという。

現在、宮井は京都、東京、名古屋で直営の風呂敷専門店「唐草屋」を運営している。需要を拡大するためには包み方などの啓蒙が必要という考えからスタートした、新しい活動拠点だ。
中に入ると、多種多様なデザイン、大胆な色使い、意表を突く包み方の提案など、初めて目にする風呂敷の世界に驚かされる。もちろん「唐草風呂敷」も万全の品揃え。伝統的なものからモダンなものまで、多くの種類が販売されている。

考えてみれば、風呂敷は長い歴史の中で、たびたびその用途を変化させてきた。室町時代は風呂の敷布だったし、江戸時代は包みものとして重宝され、戦後は運搬道具として人々の生活に欠かせないものとなった。だからワインを包んだり、ショルダーバッグにする使い方も、驚くには当たらない。
極限までにシンプルな一枚の布だからこそ、使い手は知恵を絞って新たな用途を見つけようとする。一つの役割が終わっても、また別の役割を与えて使い続ける。風呂敷ほど人間の生活に近い道具は他にない。ロングセラーの理由は、おそらくそこにある。

取材協力:宮井株式会社(http://www.miyai-net.co.jp/
期間限定! 「とらや」とのコラボレーション商品

風呂敷の新しい展開を図る宮井。同社が2009(平成21)年から続けている試みが、羊羹の老舗「とらや」とのコラボレーション商品だ。今年の商品は「京都限定 小型羊羹2本セット 1包み」と「京都限定 和三盆糖製『京の山』1包み」の2種類。羊羹は上品な風味の白味噌と、香ばしい風味の黒豆黄粉を組み合わせている。どちらも京都にちなんだ原料を使用した逸品だ。「京の山」は、春の桜と秋の紅葉をイメージした砂糖菓子。両商品とも、宮井特製の「鯉唐草柄 はんかち風呂敷」でパッケージされている。販売店は「京都唐草屋」と京都の「とらや」のみ。9月30日までの限定商品なのでお早めに。

コラボ商品

羊羹は840円、和三盆は1365円。風呂敷はグリーン・紺・ピンクの3色ある。

タイトル部撮影/海野惶世 タイトル部撮影ディレクション/小湊好治 取材編集/バーズネスト
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