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ニッポン・ロングセラー考 Vol.122 ピーナッツクリーム

1952年 発売

ソントン食品工業

恩師の志を受け継いだ
ピーナッツバター由来の味

アメリカ人宣教師から引き継いだピーナッツバター製造

画像 石川郁二郎氏

創業者の石川郁二郎。事業家であると共に熱心なキリスト教徒だった。

画像 ソーントン先生

郁二郎の師となったアメリカ人宣教師、ソーントン先生。

画像 ピーナッツバターロール掛け作業

ピーナッツバターのロール掛け作業をしているところ。1955(昭和30)年。

グルメやヒット商品など、さまざまなジャンルのランキングを発表する人気テレビ番組がある。「パンのおとも」をテーマにした回では、15位以内にソントン食品工業(以下ソントン)の商品が5種類も入った。そのうち4種類は主力のFカップ(ファミリーカップ)。14位「ブルーベリージャム、」8位「チョコレートクリーム」、6位「イチゴジャム」。1位は逃したものの堂々の2位に輝いたのが、今回取り上げる「ピーナッツクリーム」だった。このアンケートは10~50代の男女合計1万人からの集計だから、市場の実態をほぼそのまま表しているといっていいだろう。ソントンの「ピーナッツクリーム」は、パンに塗るスプレッド類でトップクラスの人気商品なのだ。

誕生の背景も興味深い。創業者の石川郁二郎は1892(明治25)年、京都府生まれ。14歳の時に大阪へ出て、塗料を取り扱う問屋で働いた。若き郁二郎が大阪で出会ったのは、キリスト教の伝道師。その純粋さに胸打たれた郁二郎は、18歳の時に洗礼を受けてキリスト教へ入信した。
仕事と同時に布教活動を手伝っていた郁二郎は、兵庫県の教会に在籍する牧師、J.B.ソーントン先生の存在を知る。ソーントン先生はキリスト教が重視する聖書研究・労働・伝道の一体化を実践する人物で、労働の手段としてピーナッツバターの製造を行っていた。栄養状態の悪い日本人のために、本国から機械を取り寄せて作っていたのだ。

その姿に感銘を受けた郁二郎は、「自分もこの意義ある仕事をしてみたい」と思い、先生にピーナッツバターの製造とソーントン先生の名前を使用することを願い出た。ソーントン先生は喜んで承諾。戦争で千葉県佐原市(現在の香取市)に疎開していた時、事業をスタートさせた。当時の佐原は落花生の産地。このような食糧難の時こそ、ピーナッツバターの製造で役に立とうと考えた。

やがて東京に移った郁二郎は、落花生をばい煎し、チョッパーで少しずつ擦り潰してピーナッツバターを作った。ピーナッツバターはアメリカ人にとってはなじみ深いが、当時の日本には全く浸透していない食べ物。郁二郎はソーントン先生の紹介とともにピーナッツバターの栄養価や使い方を手紙に書き、各地の教会や病院へ送った。その甲斐あって全国の教会から注文が入るようになり、都心に倉庫を兼ねた営業所を設けるまでになった。それでも郁二郎は自ら電車や汽車を乗り継ぎ、佐原まで落花生の買い出しに出かけていたという。


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子供が食べやすいよう、ピーナッツクリームを開発

画像 家

郁二郎が製造を始めた田園調布の家

画像 初期の「ピーナットバター9kg缶」

初期の製品「ピーナットバター」9kg缶。当時は「ピーナッツ」ではなく「ピーナット」と表記されていた。

画像 初期の「ピーナットミルククリーム20ポンド缶」

「ピーナットミルククリーム」20ポンド缶。詳細は不明だが、初期のピーナッツクリームと思われる。

画像 初期の「ピーナットミルクバター20ポンド缶」

こちらは「ピーナットミルクバター」20ポンド缶。ソントンはピーナッツバター販売時から随時改良を加えていた。

1948(昭和23)年には前身となる法人を設立。2年後には商号を「ソントン工業」に改称した。社名はもちろん、ソーントン先生から頂いたもの。ちなみにソーントン先生のスペルは“Thornton”だが、社名のロゴは“SONTON”。確かに日本人には特に、この方が覚えやすく親しみやすい。

ソントンが創業当時に販売していたピーナッツバターの詳細は分からない。1950年代に入るまで、ピーナッツバターに糖蜜を加えて加熱処理したものを販売していたようだ。糖蜜を加えたのは、ピーナッツバターを子供に食べさせたかったから。落花生だけから作る純粋なピーナッツバターは、甘みに欠けているのだ。子供の栄養改善はソーントン先生の願いでもあった。

1952(昭和27)年の春、加糖ピーナッツバターの開発者が郁二郎に新しい試作品を差し出した。今までのピーナッツバターに比べると色が白い。口に入れてみると、舌触りもずっと滑らかだ。しかもピーナッツの香ばしさは全く失われていない。郁二郎は思わず「これはいける!」と声を上げた。

試作品は「ピーナッツクリーム」として商品化された。販売先は街のパン屋。当時はコッペパンの背を二つに割り、真ん中にジャムを塗ったものがよく売れていた。ジャムの代わりにピーナッツクリームを塗って売ってもらったところ、ジャムとは違った新しい味が評判が良く好調な売れ行きだった。
手応えを感じた郁二郎は、工場を増設して生産体制を整えていく。販売したのは「ピーナッツクリーム」「ピーナッツジャム」「ピーナッツチョコ」の3種類。工場は常に生産に追われていた。


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失敗と成功を繰り返してたどり着いた容器、「Fカップ」

画像 「ピークリーム」

学校給食用に製造された「ピークリーム」。三角袋と呼ばれ、子供たちに好評だった。

画像 セロ袋

セロ袋入り「ピーナットバター」。1個30円。

画像 ポリ袋

ポリ袋入り「ピーナットバター」。1個40円。

画像 初期の「Fカップ」

初期の「Fカップ」。「ピーナッツクリーム」と「ピーナッツチョコ」のほか、「イチゴジャム」「オレンジマーマレード」があった。

画像 1975年頃の「Fカップ」

1975年頃の「Fカップ」シリーズ。“SONTON”ロゴが大きい。

画像 1994年頃の「Fカップ」

1994年頃の「Fカップ」シリーズ。

半斗缶だけでなく、ピーナッツクリームはさまざまな形で商品化されていく。1950(昭和25)年に学校給食が完全パン化されると、当時油脂メーカーが発売していた給食用マーガリンを参考に小さなキャラメルタイプの商品を発売した。後に固形タイプのモノからパンに塗りやすいペースト状のものを合わせて発売することになった。包装はラミネート紙を三角に折った袋に入れ「ピークリーム」という名で親しまれた。
市販用としては、包装材にポリエチレンやセロファンを使用し、口の部分をリボン結びにした袋入りの商品が発売されていた。小袋入りの商品は売りやすかったが、セロ袋入りは長続きしなかった。

1959(昭和34)年の秋頃からパン屋に紙容器入りのジャムが並び出し「ピーナッツクリーム」はじめソントンの袋入り製品は、徐々に注文が減っていった。営業部員は社長(郁二郎の長男・望)に紙容器入りの商品を出すよう嘆願したが、社長はなかなか首を立てに振らなかった。
そこで社員は容器メーカーとともに紙容器を表面加工した容器を新開発。耐湿性・耐水性・耐熱性に優れたこの容器は「Fカップ(ファミリーカップ)」と呼ばれ、60(昭和35)年に社長に承認を得て正式採用された。

その後「Fカップ」は少しずつ改良を加え、現在の高機能カップへと至っている。最大の特徴は、香りを逃さないために採用された独自の5層構造。内側から、ポリエチレン、バリアーフィルム、ポリエチレン、紙、ポリエチレンという多層構造になっているのだ。中でもバリアーフィルムが香りの成分をキープするのだという。
紙容器には必ずある重なり部分にも、内側の断面を折り曲げて成型するエッジカバー加工が施されている。これで、中のクリームやジャムが外に漏れ出す心配はなくなった。


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冷蔵庫に入れても固まりにくく改良し、売れ行きも上昇中

画像 現行の「Fカップ ピーナッツクリーム」

現行の「Fカップ ピーナッツクリーム」。市場での人気は圧倒的。150g。

画像 ホイップタイプクリームの「ピーナッツソフト」

ホイップタイプクリームの「ピーナッツソフト」。滑らかでコクがある。190g。

現在の「Fカップ ピーナッツクリーム」は、1998(平成10)年にリニューアルされたもの。この時は、食感と味に大きな改良が加えられている。それまでの「Fカップ ピーナッツクリーム」には、冷蔵庫に保存すると硬くなってしまうという弱点があり、時にはパンに塗るのも一苦労。場合によってはパンがめくれ上がることもあった。ソントンは配合材料を検討し直し、固まりにくい状態を作り出すことに成功。同時に味も消費者の嗜好の変化に合わせ、甘みを若干抑えた。
このリニューアルにより、それまでほぼ横ばいだった「Fカップ ピーナッツクリーム」の販売量は、徐々に上向きになっていく。

現在「Fカップ」シリーズは、クリーム系が「ピーナッツクリーム」「チョコレートクリーム」「キャラメルクリーム」「カスタードクリーム」の4種類。ジャム系が「イチゴジャム」「ブルーベリージャム」「オレンジマーマレード」「リンゴジャム(シナモン入り)」「マンゴージャム」の5種類。計9種類のラインナップとなっている。
また「ピーナッツクリーム」系の商品として、よりパンに塗りやすいホイップタイプクリームの「ピーナッツソフト」「つぶピーソフト」「きなこピーナッツソフト」も販売されている。

その「Fカップ」シリーズの中で最も人気のある商品が「ピーナッツクリーム」。日本の食卓に「ピーナッツクリーム」がある光景を、ソーントン先生と石川郁二郎は天国から笑顔で眺めていることだろう。

取材協力:ソントン食品工業株式会社(http://www.sonton.co.jp/
キャラクター「トンちゃん」にはモデルがいる?

キャンペーンプレゼントの目玉にもなっているソントンの人気キャラクター、「トンちゃん」。帽子と蝶ネクタイ、手にはステッキを持っているこのデザインは、ソーントン先生がモデルだと言われている。初代が誕生したのは1956(昭和31)年。胴より頭が大きく、全体にふっくらしたイメージだった。2代目に変わったのは63(昭和38)年。初代よりほっそりし、現在の「トンちゃん」に近づいた。現在の「トンちゃん」に変わったのは66(昭和41)年。蝶ネクタイがなくなって若々しくなり、親しみやすさが増した。ちなみに上を向く「トンちゃん」の視線は、「前向きに上を目指して頑張ろう!」というソントンの企業姿勢を表している。

画像 「トンちゃん」3世代の変遷

左から初代、2代目、3代目。

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タイトル部撮影/海野惶世 タイトル部撮影ディレクション/小湊好治 取材編集/バーズネスト
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