矢野 僕は1988年に『ASAHIパソコン』を創刊して以来、電子メディアの便利さを伝えようとしてきました。それはいまでも変わらないのですが、創刊以来の社会の激変ぶりを考えると、電子メディアは便利だとばかりも言っていられない面がありますね。現在、メディアが置かれた環境は、グーテンベルグの活版印刷術発明以来、あるいはそれ以上の激変期です。そういう時代に、新しいメディアがどういうものなのか認識せずに、便利さだけを追求するのは具合が悪い。それで、「サイバーリテラシー」という表現を使い、サイバースペースの構造や特徴をきちんと理解すべきだと主張しているわけです。
黒崎 『ASAHIパソコン』創刊のころはまだパソコン雑誌に意味があったし、勢いもあった。だけど、いま2002年におけるパソコン雑誌の意味は何か、雑誌で何を言えばいいか、わからないですよね。
矢野 創刊当時は、これからパーソナルコンピュータはだれもが使うツールになる。いずれみんな使わざるをえなくなるのだから、ガイドブックを出すことに意味がありました。それも5年くらいで役目を終えるだろう……くらいに、実は思っていたんですね。『ASAHI電気洗濯機』という雑誌がないのと同じように(笑)、パソコンがだれにでも使えるようになれば、ガイドブックは必要なくなる……。だけど『ASAHIパソコン』は、いまだに刊行されている。パソコンは洗濯機のようには、やさしくならなかったのです。
 さらにインターネットが加わったこともあり、パソコンはどんどん高機能化した。そうなったいま、何が問題なのか、社会問題についても考えなくてはいけないのですが、切り口がなかなか見つからないというのが現状です。パソコンの置かれた状況を、法律や技術など様々な切り口でとらえなおし、さらにトータルに考えていく必要があると、僕自身は思っています。
黒崎 僕が自分の専門外のことにも言及できるようになったのは、インターネットで情報を得やすくなったからです。それまでは、たとえば、工学系の分野の問題に関して発言しようとするなら、工学系の人脈に取材をし、考察して書いていたわけですね。そういった人脈が途絶えてしまえば、その分野で何が起きているかわからなくなる。
 ネットの威力を痛感したのは、1997年のチェスコンピュータ「ディープブルー」と人間との対戦でした(IBMのコンピュータ「ディープブルー」がチェスの世界チャンピオン、カスバロフを破った)。あの後、朝日新聞社から「ほんとうに人工知能が人間に勝利したと言っていいのか」と聞かれた。「いや、そんなことないよ」と言うと、「じゃあ、それを書いていただけませんか」と頼まれました。  僕は、コンピュータがチェスを打つというのはどういうことか、ディープブルーが基本的には膨大な計算量でいわば力ずくの検索をする手法だったこと、コンピュータにそういった改良を施したのは、プログラマー集団だったこと、だからあれは人間対人間の戦いであり、人間がコンピュータに負けたわけではない……などという基本的なことはわかっていたものの、詳しい状況をよく知らなかったので困りました。そこで、学生に「ディープブルーについて調べてくれ」とメールしたんです。半日後には、日米のIBMサイトに情報があると報告があり、検索してみると、「ディープブルー」の装置から、対戦者のガルリ・カスバロフ、対戦結果などについて、あらゆる具体的な資料が閲覧できた。アメリカのサイトには評論家たちの意見も載っていました。
 それで3日くらいで書いたのですが、この記事が割に評判がよくて(笑)、それ以来、何か書くときは、まずインターネットでだいたいのことを調べるようにしています。具体的な事実だけでなく、世の中の人がそのテーマについてどう考えているかもだいたいわかる。いまは、インターネットがなければ書けないくらい(笑)。
矢野 恩恵を受けているんですよね。
黒崎 ええ、ものすごく。いまは何か問題が起こったら、すぐインターネットに「相談」です。先日はわが家のレーザーディスクが壊れたので、すぐに相談しました。いくつかキーワード検索して関連サイトを見ると、ショップにつながり、定価11万7000円の品が6万9000円で買えるとわかった(笑)。それで、すぐに注文しました。こんなふうに日常生活でかなりネットを利用しています。そんなことはわざわざ新聞には書かないですけれどね。
 人工知能批判の急先鋒に、『コンピュータには何ができないか』(産業図書)という本を書いたヒューバート・ドレイファスという哲学者がいます。『インターネットについて』(同)という最新刊を読むと、「トレード・オフ(Trade off)」という言葉が頻出している。トレード・オフ、つまり「これを得ることによってこれを失う」という言い方でインターネット社会を語っているのです。  ドレイファスはたいへんな毒舌家で、人工知能に関しても、「機械に人間の知能をのせることなど絶対にできない。なぜなら我々は知能だけではなく、身体性によって生きているからだ」と徹底して言ってきた。ところがその彼が、インターネットに関してはものすごく歯切れが悪い。 「インターネットは確かに便利だが、身体性をないがしろにしたままネット空間を浮遊していると、落とし穴があるぞ」というふうに言及するだけで、「やめなさい」と切り捨てられないんです。ドレイファスを言いよどませるほど、インターネット空間は巨大にふくらみ、日々、形を変え進展し続け、我々人間の知性では追いつかなくなっているのだと思います。
 コンピュータの進化によって情報速度が速くなり、知識が増大した。おそらく、我々の想像力や構想力や知力では、問題解決ができなくなっているのではないでしょうか。20世紀前半なら、例えば国際問題が起これば、チャーチルとだれかが首脳会議をし、彼らの決断が政治決定となり、時代を動かしてきた。しかし、現代は、あらゆる問題が加速度的に複雑化していて、もはや、大きな問題を一人二人の人間が判断できるほどの英知がないというか……お手上げ状態になっていますよね。  要素が多元化したとも言えます。2次方程式の変数はXとYだから、Xを解決するにはYをこうしよう、などと落としどころがわかりました。ところが変数がX、Y、Zと増えると、Zの答えを得るにはYとXがこうなって……とわけがわからなくなる。いまはさらに変数が加わっているような状態で、もう判断ができないと思うんです。
 余談ですが、私は大のオーディオマニアで、マルチアンプがはやったころ、音の低域・中域・高域をそれぞれ鮮明に表現できるよう、自分でいろいろ調整していました。3ウェイ(低域・中域・高域)までなら、うまくいく。低域が重すぎるから高域を下げて中域をこのまま、というふうに。そうなると、今度は「中低域」をつくって4ウェイにしたくなるんですが、要素が4つになるともう調整できない。最後はノイローゼになるのが落ち(笑)。
矢野 なるほど。
黒崎 以来、どんなことでも要素が4つ以上になると判断ができなくなるんじゃないか、というのが僕の持論になったのですが、そんなふうに、複雑な時代に我々は突入していると思う。総理大臣も大学の学長も、何かを判断したり、意志決定したりすることができなくなっています。人間の器や質の問題というより、社会が複雑化しすぎたからじゃないですか。
矢野 そうなると思考停止になる。とにかくお手上げ、思考停止だから、身辺の限られた範囲内だけを考える。これは現代人の精神状態にも通じますね。では、全体の問題をだれが考えるのか。それはコンピュータの役割ということになったりして(笑)。
黒崎 そうかもしれないですね。

矢野 いままでのパソコンの進化は、OS(基本ソフト)をはじめとする、コンピュータという箱の中の能力を高めることが主眼でした。いまは箱の中が問題ではない。パソコンは、サイバースペースに浮かぶサイトという無数の島々を周遊するためのボートになった。肝心なのは、島に入るための認証問題や新しい島づくりのノウハウ提供です。いまやパソコンメーカーは、サイバースペース上のディベロッパーになっているんです。
 技術と社会の関係でいうと、サイバースペースと現実空間とでは明確な違いがあります。現実空間ならば「技術が社会を変えるのか、社会が技術を変えるのか」と、議論する余地がある。しかし、サイバースペースは完璧に技術の上に乗ってつくられている空間です。だからサイバー空間は技術に支えられて無限に拡張するだろうし、もちろんそこでビジネスもできる。そして、このサイバー空間のあり方が現実世界にも反映され、現実そのものを変えていく。なのに、大半の人が判断停止に陥っているのは、非常に具合が悪いと思います。
黒崎 技術者も、自分がかかわっている技術はわかるけれど、別の問題となるとどうでしょうか。
矢野 この技術がどういう社会的影響を与えるか、もっと考えてほしいと思うけれど。
黒崎 それは、わからないでしょう。例えばフォードが車をつくったとき、その社会的影響なんて予測がつかなかったに違いない。都市が空洞化するとか、若者の間にセックスが広がるなどとは、考えもしなかったはずです。  テクノロジーにかかわる人は、このエンジンは来年には倍のスピードになっているなどという技術達成の予測はできる。でも、世の中に車がどう普及して、社会がどう変わるかというのは社会学者の仕事ですから、技術者にはわからなくてもしかたない。ならば、ほんとうに社会学者ならわかるかというと、いまやテクノロジーがあまりに肥大化しすぎているから無理。特にサイバースペースについては、これが何であるか、だれにもわからないでしょう。こういうのを「無知の知」と言いまして、「わからない」ことをまず悟るのが哲学者のいいところです(笑)。



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