一覧に戻る
デジタル時代の「知」の案内人:名和小太郎さん
コム人対談
名和小太郎さん

Part1 「情報倫理」とは何か

 専門家だけでコントロールするのは不可能

Part2 「セキュリティ」と自由のせめぎ合い

 S1文化とS2文化

Part3 情報倫理の土台は「自己決定」

 NPOが市民の代弁者に



Part3 情報倫理の土台は「自己決定」

矢野

『デジタル・ミレニアムの到来』の中で、現代人はあるときは消費者であり、あるときは企業人であり、あるときは専門家として、タイム・シェアリングで活動しているのだから、どの理念や倫理に高いプライオリティを与えるかどうかは場面場面において当事者が「自己決定」しなければならないとお書きになっていますが、やはり情報倫理の土台は自己決定ということですか。

名和

格好よく書きましたが、本当にそう言い切れるかどうか、正直、よく分からないですね(笑)。
 その本でも書きましたが、ケネス・ロードンは過去の倫理学説を2つの視点で4種類に分類しています。第1の視点は、倫理は経験を超えた規範であるか(規範指向)、現世における実績として示せるものか(結果指向)。第2の視点は、倫理は社会全体の中で評価されるべきものなのか(集団指向)、個人の内面に充足感をもたらせばよいものなのか(個人志向)。この2つの視点を軸に4分類すると、規範指向で集団指向が「義務論」、個人志向が「宗教的信条」、結果指向で集団指向が「功利主義」、個人志向が「自由主義」ということになります。
 研究者などの専門家の倫理は義務論でしょうし、企業人の理念は自由主義にあるはずです。消費者の価値観はこれらの4つに分裂して、さまざまな価値観をもっています。インターネットはもともと研究者のメディアであり、当初は義務論によって特徴づけられていました。彼らはこれを「しつけのよいアナーキズム」と自賛したのです。つまり性善説にのっとり、権威に頼らないということです。
 ところが商用化が始まると、ビジネスの論理で私有化の理念が共有化の理念を駆逐し、「しつけのないアナーキズム」に変えてしまったようです。また逆の流れとして、しつけのよいアナーキズムを企業人や消費者にも押しつけようとする「インターネット原理主義」的な発想もないわけではありません。「インターネット原理主義」などというと、ネット上ではそれだけで批判されそうな気分もありますが、それはとにかく、消費者の世界に自己責任、つまり弱肉強食の理念を押しつけ、しつけのよいアナーキズムを結局は「破壊的なアナーキズム」へ変質させてしまうようです。
 インターネット上ではこうしたさまざまな理念や価値観が錯綜し、ぶつかり合い、普遍的な価値観を求めることは不可能です。
 個人はこうしたサイバースペースの状況をまず認識し、その中で自分の位置づけを理解し、それに応じた行動をとる必要がある。それが「自己決定」の意味です。ただし、やはりデジタルデバイドの問題は残り、あらゆる人にその理解と力量を求めるのは難しい。そういう人たちの代弁者として、さらには支援者として、NPOなどがもっと登場してくれればいいと思っています。

矢野

末尾に「消費者のなすべきことは、愛想のよいネチケットなどに同調することでは足りない。疑問があれば、臆せず、それを専門家に質す。これしかない」とお書きになっています。

名和

この5〜6年、「科学技術への市民参加を考える会(AJCOST)」というNPOの活動を手伝っているんですが、この会の目的は一般市民の視点で科学技術政策に影響を与えたいということです。1980年代なかばにデンマークで生まれた「コンセンサス会議」という市民参加によるテクノロジー・アセスメント(事前評価)の一方式です。これは公募によって選ばれた市民たちが専門家と討議を重ね、コンセンサス(合意)を得て結果をまとめ、公表するのです。デンマークでは実際に社会に影響を及ぼすようになっており、スウェーデンやオランダでも制度化されています。
 AJCOSTではこれまで遺伝子治療や遺伝子組み換え作物に関する会議を行い、先日は東京湾の三番瀬の問題などを討議しました。市民や研究者、地元の代議士、地権者、漁民など40人ほどに集まってもらい、3日間議論しましたが、面白かったですよ。性別も年齢も職業もちがう人たちが、プロのまとめ役がいたとはいえ、活発に議論していました。
 コンセンサス会議の約束事として、専門家が素人に教えようなどとは思ってはいけないということがあります。一般の人の質問は専門家から見ると、体系にのっとらず、あちこちに話が飛びますが、遺伝子組み換え作物の問題などは、技術や健康から農業問題まで幅が広くて当たり前なんです。
 こうした活動は一つ間違うと、行政に取り込まれかねない危険はありますが、熱心なボランティアも増えて、そういうことができる時代になったといえます。資金的な支援も得やすくなりましたしね。会議の運営には参加者とほぼ同数のボランティアが必要ですが、みなさん、頑張ってくれますよ。今後は、情報倫理や技術倫理の問題もこの場で討議できないかという話があります。

NPOが市民の代弁者に

矢野

アメリカでは政策に影響を及ぼすほどの強いボランティア団体がありますが、日本でもボランティア活動が少しずつさかんになっているんですね。

名和

僕もこの活動をはじめて、似たようなことをやっている人たちが多いのに驚きました。ボランティアの人たちは熱心のあまり、会員同士でぶつかってやめてしまうなど、人の出入りは激しいのですが、全体として増えていることは間違いないですね。
 杉本泰治さんという僕よりやや年長で、熱心にボランティア活動をされている方がいて、「科学技術倫理フォーラム」というNPOを主催しています。僕も手伝っています。杉本さんは応用化学のご出身で、ベンチャーを若くして立ち上げられましたが、働き盛りの真っ最中に突如転進して大学の法学部に入学され、会社法の勉強をされた変わり種です。その後、PL法の本も書かれて、これがベストセラーになった。技術倫理や原発の内部告発の本などもお書きになっています。

矢野

インターネットの世界を専門家がコントロールできなくなり、一方で非専門家がNPOを作って動き出している。つまり、世の中の構造が変わりつつあるなかで、古い組織が崩壊して、新しい秩序が生まれようとしているのだが、まだ力を持っていないという段階でしょうね。
 メディアの世界もこれまではマスメディアがジャーナリズムを担ってきましたが、いまや組織ではなく、機能でジャーナリズムを考えるときですね。組織に属さない専門家も増えているわけで、専門家とは何か、現代におけるプロフェッショナリズムとは何かというのも、たいへん興味深いテーマだと思っています。

名和

杉本さんは技術士です。技術士は専門家としての社会的認知もあり、自立してもいます。だが、そうした資格も持たず、組織も持たない市民がどうやって社会的に自立できるのか。1人では持てる力は小さい。その1人を支援するところにNPOの役割があるんだと思います。
 一昨日、神奈川県立川崎図書館(日本で有数の技術系の公共図書館)に行ったら、定年退職して毎週、専門書を図書館に読みに来る人がいると聞きました。その方はこれからの日本の技術をどうするかということについていろいろな意見をもっているという。それならば、図書館は、こうした人たちの社会的発言の場所を提供してはどうかと、スタッフに提案しました。
 もう一昔も前になりますが、川崎市に呼ばれて、市民が生活上で必要とする科学技術の目標を調査したことがあります。市民の希望を聞くことになって、いろいろな学会の名簿から川崎市民を探して、アンケート用紙を送ったら、「よくぞ聞いてくれた。喜んで協力したい」という方が多いんですよ。専門知識を持っていてリタイヤされている方や、子育てを終えた主婦のみなさんは活躍できる場を求めている。そういう人たちのための拠点作りをするべきだと思いますね。

矢野

いまのお話は、「消費者のなすべきことは、愛想のよいネチケットなどに同調することでは足りない。疑問があれば、臆せず、それを専門家に質す。これしかない」とお書きになったことに続くものとして理解していいですね。

名和

そうです。その通りです。したがって逆にいえば、市民の疑問に応えるのが専門家の倫理、また、市民の疑問をしかるべき専門家を探してそこに繋ぐのも専門家の役割、こう考えています。

矢野

僕は長らく編集者をやってきて、編集者の仕事というのは、「現代」という土俵の上に多くの著作者、あるいは時代のテーマを引き出すことだと考えています。これからは誰もが編集者になる時代でもありますが、それはとりもなおさず、いたるところに交流の場を作っていくということでもありますね。

今日はたいへん興味深いお話をどうもありがとうございました。

前のページに戻る
コム人対談TOPに戻る
撮影/岡田明彦 Top of the page

月刊誌スタイルで楽しめる『COMZINE』は、暮らしを支える身近なITや、人生を豊かにするヒントが詰まっています。

Copyright © NTT COMWARE CORPORATION 2003-2015

[サイトご利用条件]  [NTTコムウェアのサイトへ]