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二木 |
基本的なリテラシーは、疑似空間の身体性をつうじて具体的に伝える方がいいと思います。メタフィジック(形而上)な理解はそこから出てくるのではないでしょうか。
私たちがしつけを受けるときは、抽象的なことも言われると同時に具体的なことで叱られます。きわめて具体的な判断の累積で身につく、身体感覚のようなものですね。倫理性は、まず局面ごとの判断として親や周囲から教わっている。サイバー空間の中でも同じような具体的累積が必要だし、有効だと思います。
メタフィジックな倫理観と具体的な対処の仕方という両方が必要です。子どもたちにも、最初は「これはこうするものだ」と提示するしかない。最初はわからないままそう振る舞っていることが多いのですが、それでいいと思います。
メールの引用にしても、きちんとルールにのっとれば、引用・転載は充分可能ですが、わからなければ不必要におびえることになる。これはリテラシーの問題と直結すると思います。 |
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矢野 |
昔からあるような「○○読本」といった具体的なガイドが必要かもしれません。一時、ネットとエチケットを掛け合わせた“ネチケット”ということがよく言われましたが、もう少しサイバー空間の生き方そのものを考えるべきでしょうね。それがぼくのいうサイバーリテラシーの基本テーマでもあります。 |
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二木 |
サイバーリテラシーは、じつは現実世界の生活感と密接に結びついているのだと思います。例えば、人からもらった手紙を本人に断りなく他の人に見せていいのか、悪いのか。もし、子どもたちがデジタル以前の現実世界での経験や判断力をまだ持っていないなら、いきなりサイバー空間について教育を始めて、デジタルの世界で学んだことを現実に応用すればいいのではないかと最近思うようになりました。仮想空間は身体を投影しつつ作り出される。決して、身体性から脱しきれないのです。 |
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矢野 |
たしかにしつけは身体の問題ですが、デジタル空間ならではの特徴はありますか。 |
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二木 |
変化が速いこと。技術の進展で2年ほど経つとルールが通用しなくなったりしますね。例えば以前は長すぎるメールや日本語のサブジェクト(メールのタイトル)はタブーでした。 |
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矢野 |
ネットワークのトラフィック(交通量)を節約しろと。 |
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二木 |
URLの最後に「/」(スラッシュ)をつけるのも基本でした。つけないと1つのスラッシュを確認するためにワンパス(往復)が使われ、トラフィックが無駄に増えるためです。いまはブロードバンドが普及して、トラフィック上はほとんど実質的な問題ではなくなっていますが、それでもサーバー側の処理容量には影響します。私はいまでもスラッシュを入れる方がエレガントだと思っているんです(笑)。電車の中でたくさん席が空いていても、なんとなく一人分のスペースでおさまるよう座るじゃないですか。うまくいえませんが、そういう感覚に近いと思います。 |
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矢野 |
子どものころに身についたしつけで、これまで世の中がうまく回ってきた。メールもリプライ(返信)が続きすぎると、適当に削るのが常識だった。だが、それを気にしない人もいます。しかし、それは何か美しくないですね。 |
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二木 |
面白い発想が出てくる面もあるでしょうが、技術的な理由や慣例を知った上で判断する必要がありますね。全文引用して返信するのは基本的に商取引や契約のやりとりです。ルールを支える感覚は、モラルも含めて総合的なものですね。 共同社会を築く上では、倫理やルールが必要です。トラブルが起きてルールが破たんし、対応を考えることも含め、いま、その模索をしている段階といえます。たとえば自分が出したメールは自分の意志にかかわらずどこかに無断転送されるかもしれない。技術的にそれが可能であることは知っている。しかし、そうしてほしくないし、自分はしない。ですが状況によっては、あえてそうすることもある。タブーだと知っている、ということがまず肝心だと思いますが、この倫理観やルールはきわめて微妙で繊細なものが要求されますね。決してデジタルだからこれまでとまったく違うということではないと思います。
例えば9.11のテロのときに、さまざまな情報が転載されてインターネット上を駆けめぐりました。そこには間違いも危険も入り込みますが、そのリスクを承知の上であえて転送した場合もある。何が悪いかを知っていて、それでも自己責任で実行するわけです。赤信号だけれど、いま渡る必要があると判断すれば自分の責任で渡るようなものです。
いっぽうで私自身、旧来の法律に限界を感じる部分がたくさんあります。自己責任がますます重くなっていく。今後は言語の能力、つまり文章としていかに相手に伝えられるかが重要な課題ですね。いまはかつてないほど人々が文章を書いています。自分でも言語の力と怖さを認識しなければいけないと思います。
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矢野 |
引用をすることに対して、どういうやり方で、どこまでならいいのか、それを教えるのは難しいですね。 |
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二木 |
難しいです。が、基本線は引けると思います。原文を複写したら、当然出典を記す。時には多くのサイトからさまざまな引用をして、コラージュのように一つの作品を作り上げることもありうるでしょう。でもクレジットはいれないと(笑)。 |
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矢野 |
実は、サイバーリテラシーでは、そうした具体的なしつけも含めて、これからの日本人の生き方そのものを考えたいと思っているのです。大テーマですが……。 |
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二木 |
デジタル化は危険もあるいっぽう、1つのチャンスでもありますね。 |
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矢野 |
そうですね。本日は興味深いお話をずいぶんたくさん聞かせていただきました。サイバーリテラシーに関して、貴重なご意見もお伺いしました。どうもありがとうございました。
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