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かしこい生き方を考える COMZINE BACK NUMBER
インターネット社会の新しいルールを作る「ねちずん村」村長:下田博次さん
コム人対談
下田博次さん

Part1 インターネットは自己責任が原則

 ケータイは「ハーメルンの笛吹き男」の笛?

Part2 子どもを管理する道具としてのケータイ

 放ったらかしにされる子どもたち
 新しい社会秩序構築は市民コミュニティで

Part3 誰もがハッピーになる知恵を身につけるために

 大人と子どもが考え、議論する場が必要
 一人ひとりが生き方を考えなおす時代



Part2 子どもを管理する道具としてのケータイ

矢野

日本では親が子どもにケータイを与える理由として、両親が共稼ぎなので塾に通う子どもと連絡をとりたいという声が多いんですね。

下田

それは親が子どもを管理する道具としてケータイをとらえているだけで、子どもの立場で考えていないからです。たとえば子ども向けの本を買うときには、子どもを育てるという教育的観点から本を選びますね。ところがケータイになると親の都合になる。
 僕たちが調べた結果では、親が子どもにケータイを持たせる理由で多いのが「子どもにせがまれたから」。その奥には「子どもに好かれたい」という理由があるとみています。そういう姿勢からは子どもへの教育という視点は出てきません。親に限らず、大人の条件というのは次世代を担う子どもたちを育てていく姿勢にあると思うのですが、実態は子どもにイタズラをしたり、性的満足を得るために買春をする大人が多い。少女を買うような連中は、子どものことを考えられないという点で、少なくとも大人とはいえない。

矢野

小学生数人がアルバイトを口実にマンションに監禁された2003年夏の渋谷の事件は、もちろん少女たちにも問題があるが、大人が環境を作っているわけですからね。

下田

子どもをきちんとしつけられなかった少女たちの親には大きな責任があるが、少女を買う大人たちの多くも親なんですから、あきれてものもいえません。

矢野

いまや近所に子どもたちを説教してくれる大人もいなくなり、過分なおカネを持って買いに行くと、叱ってくれる駄菓子屋のおばさんもいませんからね。

下田

こうなると大人の条件まで考える必要があるかもしれませんね。表向きは大人でも実際は子ども以下の大人が多い。昔は、子どもが赤線街に入ろうとしたら、追い返されたものです。そこにはリアルワールドの掟があった。しかし、いまやそんな掟は風化し、同時に大人の幼児化がずっと進み続けてきました。
 それを促したのはやはりメディアだと思います。1960年代以降、社会の情報化にともなって大人の幼児化が加速してきた。その背景には、親が教育に対する責任を学校に任せ、塾に任せ、映像や出版など情報産業から子育ての情報をカネで買うようになっていったことがあると思います。

矢野

その傾向をいまケータイが加速していると。

下田

本来、子どもは親と子の家庭愛を経てから、男女への愛へ目覚めていくのですが、最近、子どもが異様な性的成熟を示して、いきなり男女愛の世界に入るようになりました。ケータイがそれを促していることはたしかです。
 もう一つ気になる現象は、親が子どもをアクセサリーやステータス・シンボルとして扱うようになってしまったことです。母娘がペアルックで街を歩き、子どもに化粧をさせ、友だち同士のように振る舞う。メディアの影響を無視できないでしょうね。

矢野

サイバーリテラシー研究所ではいま、「子どものためのサイバーリテラシー」の一環として、朝日小学生新聞で月2回、「サイバー博士と考える ケータイ質問箱」という連載をしていますが、子どもだけではなく、母親たちにも読んでもらいたいと思っています。ケータイなどのリテラシー教育は、性教育とやや似ていて、あまり触れたくないという傾向があるのですが、ケータイはどんどん子どもたちの間に入り込んでいるので、親がリテラシーを身につけないといけませんね。

放ったらかしにされる子どもたち

下田

研究室の2年間にわたる調査研究で、子どもたちは自分の持っているものを客観視できないということがわかってきました。つまり、「第三者の視点で自分の持っているケータイを見直してみなさい」と子どもたちに言うと、「そんなことは初めて言われたし、考えたことがなかった」と答えるんですよ。
 ねちずん村では、子どもたちにいろんな問題を自覚してもらうプログラムとして、FM群馬で1年間、「ティーンズ・エクスプレス〜10代からの発信」というラジオ番組をやってきました。中高生たちをスタッフとして、彼ら自身がケータイや援助交際、インターネットなどの問題を考える番組を作るんです。
 あるスタッフの女の子は、制作に参加しているうちに、自分がケータイにどれほどおカネを使っているかを知らなかったのに気づいて、親に聞いたら「月に3万円だ」と言われて、その料金の高さに驚いたんです。一方、番組の中で、ある高校1年生の女の子が「ケータイがほしいのなら、なぜ必要なのか理由をちゃんといえ」とお父さんに言われ続けてなかなか買ってもらえないという話がありました。それを聞いた月3万円を使っている女の子が「うちの親は私に関心がないのかしら」と言ったんですよ。
 僕にはそれがショックでしたね。本当の大人としての視点から、子どもとちゃんとしたコミュニケーションをもっとするべきではないかと痛感しました。

矢野

そのような状況でケータイが普及するのは危険ですね。

下田

インターネット時代は個々の判断能力と責任能力を問われる社会になるというのに、ケータイが逆に物事を考えない親子を生み出しているとしたら危険なことです。じつは群馬大に行った当初は、こんな危険があることを考えていなかったんです。ある時、妻の友人がやってきましてね、「高校生の子どもにパソコンを与え、インターネットをできるようにしたら、部屋でこんなわいせつ画像を見ていた。どうしたらいいか」という相談だったんです。
 そこで、少なくとも僕が知っているアメリカの家庭では、子どもにインターネットを使わせるにしても基本をちゃんと教え、有害情報を遮断するフィルターソフトを入れて、使用時間やルールを決めている。最初から子ども部屋などには置かないという話をしたんです。使っているうちに判断能力や社会ルールを理解するようになったら、フィルターを外したり、個室に持ち込むことを許可すると。
 それを聞いた友人は驚いて、日本のIT講座などでは「使え、使え」というばかりで、そんなことを聞いたことがないというんですよ。それで、そんな話を他の親たちの前でもしてくれと引っ張り出されるようになり、各地のPTAのみなさんと付き合うようになったんです。
 日本の行政や企業は、インターネットの子どもへの影響に無頓着ですが、アメリカでは96年頃から国ぐるみでこの問題に取り組み始めました。当時のクリントン大統領は「インターネットを使え」と号令をかけたが、「大統領といえども、自分たちの子どもの責任をとれないはずだ」と親たちが立ち上がったのです。インターネットだろうと何だろうと、親が子どもに新しいメディアを与えるときの一貫した態度はさすがだと思います。
 そんな話をしているうちに、群馬県青少年子ども課の課長だという方がやってきまして、「じつは学校も警察もインターネットの問題に悩んでいるので、活動を支援させてほしい」というんですよ。それで、2001年5月にねちずん村のサイトを立ち上げ、僕が村長になって、本格的に活動するようになりました。運営やコンテンツづくりは親御さんたちや学校の先生がボランティアで協力してくれています。
 僕が前橋市にある「NPOカレッジ」というNPO活動の教育啓蒙を行うNPO法人の初代理事長を引き受けたこともあって、NPOカレッジの中にねちずん村を組み込む形にして、県から助成金をもらうようにしました。いまではねちずん村の活動が大きくなって、近々NPO法人として独立することになると思います。

新しい社会秩序構築は市民コミュニティで

矢野

ジャーナリストから群馬大学へ転身されるきっかけは?

下田

6年ほど前、毎日新聞の編集委員から群馬大学教授に転進した友人が急に亡くなって、その後釜というかたちです。大学に入るに当たっては、NPO市民メディア論をやらせてほしいとお願いしました。マスメディアのカウンター・メディアとして、NPOという社会的組織を持った市民たちがどのようなジャーナリズムを作り出すことができるか、ということに興味があったんです。だから、当時はリテラシー教育は視野に入っていなかった。
 そのうち、先ほどお話しした友人らの相談があって、学校では家での利用も含め子どもたちにITリテラシーを教えることは難しいということがわかってきました。しかし、インターネットはどんどん子どもたちに入り込んでいく。最初はパソコンからのインターネット利用を考えていましたが、そのうち、iモードのサービスがスタートして、ケータイからのインターネット利用があぶないということに気づいたのです。

矢野

それがねちずん村発足のきっかけですね。活動は年々、活発化しているのですか。

下田

少なくとも僕に代わって、ケータイ問題のワークショップを開ける人は4人育ちました。県が「キッズセーフネット・インストラクター」と呼んでいるのですが、登録者は全部で11人。日常的に活動しているインストラクターはその4人ですね。2人が主婦、後は退職した元サラリーマン、そして県の青少年子ども課の職員です。

矢野

全国的には下田さんたちと同じような活動をしているグループはありますか。

下田

僕は少なくとも知りませんね。背筋が寒くなるような話ですが。

矢野

我がサイバーリテラシー研究所としても、地元の自治体などと連携をとるなど、ねちずん村のような地に足のついた活動をしないといけないですね(笑)。先日、新聞にインターネットの出会い系サイトなどを通じて子どもが犯罪に巻き込まれる事件が多発しているので、文部科学省が来年度から「メディアリテラシー教育」に取り組む方針を固めたという記事が出ていましたが、これは正確には「サイバーリテラシー教育」とすべきだと思うんですよ(笑)。「サイバーリテラシー」が普及していないせいでもありますが、いま大切なのは、サイバースペースと現実世界の全般にかかわるサイバーリテラシーなんですね。

下田

たんに有害情報を子どもたちから遮断すればすむということではありませんよね。バーチャルワールドはリアルワールドとは仕掛けも人のつき合い方もちがう。僕に言わせれば、情報空間の中に、法律もなく、価値観も崩れかけた荒々しい中世の世界が一挙に生まれたというイメージですよ。そこには新たに社会秩序を建設する必要がある。メディアリテラシーなどという生やさしいものではなく、警察や行政、学校だけでは対応できないでしょう。カギを握るのは市民コミュニティの活動だけだと思います。

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Part3 「誰もがハッピーになる知恵を身につけるために」
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