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矢野 |
日本では親が子どもにケータイを与える理由として、両親が共稼ぎなので塾に通う子どもと連絡をとりたいという声が多いんですね。
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下田 |
それは親が子どもを管理する道具としてケータイをとらえているだけで、子どもの立場で考えていないからです。たとえば子ども向けの本を買うときには、子どもを育てるという教育的観点から本を選びますね。ところがケータイになると親の都合になる。
僕たちが調べた結果では、親が子どもにケータイを持たせる理由で多いのが「子どもにせがまれたから」。その奥には「子どもに好かれたい」という理由があるとみています。そういう姿勢からは子どもへの教育という視点は出てきません。親に限らず、大人の条件というのは次世代を担う子どもたちを育てていく姿勢にあると思うのですが、実態は子どもにイタズラをしたり、性的満足を得るために買春をする大人が多い。少女を買うような連中は、子どものことを考えられないという点で、少なくとも大人とはいえない。
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矢野 |
小学生数人がアルバイトを口実にマンションに監禁された2003年夏の渋谷の事件は、もちろん少女たちにも問題があるが、大人が環境を作っているわけですからね。
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下田 |
子どもをきちんとしつけられなかった少女たちの親には大きな責任があるが、少女を買う大人たちの多くも親なんですから、あきれてものもいえません。
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矢野 |
いまや近所に子どもたちを説教してくれる大人もいなくなり、過分なおカネを持って買いに行くと、叱ってくれる駄菓子屋のおばさんもいませんからね。
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下田 |
こうなると大人の条件まで考える必要があるかもしれませんね。表向きは大人でも実際は子ども以下の大人が多い。昔は、子どもが赤線街に入ろうとしたら、追い返されたものです。そこにはリアルワールドの掟があった。しかし、いまやそんな掟は風化し、同時に大人の幼児化がずっと進み続けてきました。
それを促したのはやはりメディアだと思います。1960年代以降、社会の情報化にともなって大人の幼児化が加速してきた。その背景には、親が教育に対する責任を学校に任せ、塾に任せ、映像や出版など情報産業から子育ての情報をカネで買うようになっていったことがあると思います。
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矢野 |
その傾向をいまケータイが加速していると。
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下田 |
本来、子どもは親と子の家庭愛を経てから、男女への愛へ目覚めていくのですが、最近、子どもが異様な性的成熟を示して、いきなり男女愛の世界に入るようになりました。ケータイがそれを促していることはたしかです。
もう一つ気になる現象は、親が子どもをアクセサリーやステータス・シンボルとして扱うようになってしまったことです。母娘がペアルックで街を歩き、子どもに化粧をさせ、友だち同士のように振る舞う。メディアの影響を無視できないでしょうね。
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矢野 |
サイバーリテラシー研究所ではいま、「子どものためのサイバーリテラシー」の一環として、朝日小学生新聞で月2回、「サイバー博士と考える ケータイ質問箱」という連載をしていますが、子どもだけではなく、母親たちにも読んでもらいたいと思っています。ケータイなどのリテラシー教育は、性教育とやや似ていて、あまり触れたくないという傾向があるのですが、ケータイはどんどん子どもたちの間に入り込んでいるので、親がリテラシーを身につけないといけませんね。
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