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かしこい生き方を考える COMZINE BACK NUMBER
インターネット社会の新しいルールを作る「ねちずん村」村長:下田博次さん
コム人対談
下田博次さん

Part1 インターネットは自己責任が原則

 ケータイは「ハーメルンの笛吹き男」の笛?

Part2 子どもを管理する道具としてのケータイ

 放ったらかしにされる子どもたち
 新しい社会秩序構築は市民コミュニティで

Part3 誰もがハッピーになる知恵を身につけるために

 大人と子どもが考え、議論する場が必要
 一人ひとりが生き方を考えなおす時代



Part3 誰もがハッピーになる知恵を身につけるために

矢野

IT社会に向けて、新しい倫理やルールを作らなければいけないということまで、なかなか理解されませんね。

下田

たぶん、普段の、日常的生活で、ケータイやインターネットの問題を解決していく中から、新しいノウハウやルールが生まれるのではないでしょうか。バーチャルワールドがリアルワールドに与えた問題を解決し、それをバーチャルワールドにフィードバックすることによってしか解決できないと考えています。
 援助交際なども含めて家庭や地域社会で起こっている問題をつぶしていかなければ、本当のインターネット世界のルールは確立できないでしょうね。

矢野

来るべきIT社会は、「サイバースペースの特性と構造の理解」と「サイバースペースからの働きかけによって激しく変容する現実世界」という2つの側面からとらえるべきだと思っています。つまりは現代社会そのものがテーマということですね。
 雑誌『法学セミナー』で連載中の「サイバーリアル・イズム『サイバーリテラシーと情報倫理』考」で、IT社会の技術と法について書きました。技術の暴走を防ぎ、コントロールするための法がある一方で、法が新しい技術の可能性をつぶすこともある。既存企業が既得権を守るために法を使って新技術を叩くなどのケースですね。いずれにしろIT社会では技術と法のいたちごっこを通じて、両者が肥大化、それが結果的に現実世界を息苦しいものに変えていく危険があります。それを防ぐためにも、基本的な人間の生き方やルールを考えなおすことが必要だと思うんです。僕はそれを「情報倫理」と呼んでいますが、その倫理は具体的なしつけやルールから始まるんだろうと思います。その点、ねちずん村にもルールがちゃんと定められていますね。
「寂しいからといって出会い系サイトにアクセスしない」
「ネット上で知り合った人に自分の悩みや個人情報を教えない」
 など9つほどの具体的なルールが掲げられています。大人も含めて、こうしたルールをこれから考えていくべきでしょう。

下田

それができないとバーチャルワールドは維持できないでしょうね。僕も実践の中で少しずつそれがわかってきました。

大人と子どもが考え、議論する場が必要

矢野

ルールや倫理などについて、具体的に我々が考えるべきポイントをいくつかあげていただけますか。

下田

まず倫理面でいうと、これまでのようにエライ人が作った倫理教育を上から押しつけることはできないでしょうね。もっと各人が自覚的に、こうした方が自分にも他人にも役立つという「うまく生きていくための知恵」ともいうべきルールと倫理を作るべきです。日本の子どもたちも、ケータイを間違って使うとあぶないということはわかっているんですよ。あとは自分も他人もハッピーになる方法を整理してあげればいい。
 もう一つは、インターネットの世界がどんどんアナーキーになっていく中で、リアルワールドにとっていいメディアとして機能させるにはどうするかという視点です。たとえば、従来はポルノ画像についていいとか悪いとか、ヘアヌードまでならいいとか、表現の自由はどうするとか、あくまでも大人の視点で議論してきた。しかし、議論している間に、こうした有害情報はインターネットを通じて、子どもへ垂れ流しになっているのです。何しろ、インターネットには大人も子どもも境界がないからです。
 「情報の有害性とは」などとのんきに大人の立場で議論している場合ではなく、子どもを育てていくという視点で問題を解決するべきでしょう。コミュニティというものは、大人が子どものことを考えることで成立するものだと思っていますから、インターネット社会の新しいルールも次世代を担う子どものために再構築すべきです。それこそインターネットの設計者たちが考えていた理想だと思うのです。

矢野

やはり信濃毎日新聞にお書きになったコラムで、高校の教師が授業の妨げになるため生徒からケータイを「お預かりしている」という話がありましたね。これも子どもに気を遣っているだけで、本質的に子どものことを考えていないのではないかと思います。教育はある種、強制を伴うもので、教室内に余計な外部との「通路」があるというのはおかしな話です。学校外でケータイを持つのはいいが、いったん校門をくぐったら、学校側がケータイを「取り上げ」て、また返せばいいと思うのですが。

下田

「お預かりする」という言葉には、できるだけ問題をそっと先送りしたいという姿勢が現れていますね。じつは先送りするほど問題は大きくなるのですが。
 ただ、問答無用で学校側がケータイを取り上げればいいとは思いません。もし、学校側がそう考えるならば、校長は親たちと議論すればいいし、親たちに問題を投げかけて考えてもらうべきでしょう。僕は講習会では必ず子どもたちに「僕はこう思うが、君たちはどう思うか」と聞くようにしています。何かを命令すれば、親と子どもの考える機会を奪うことになるからです。
 校長が「公共の教育の場にケータイがあるのは困るから学校内では取り上げたい」と親や子どもに問いかけ、もし親と子どもが例外を認めさせたいなら、議論して校長を説得するべきでしょう。これに対して、「お預かりする」姿勢には二枚舌のようなずるさを感じます。
 なるべく波風を立たせないようにことをすませるという姿勢は我々民族の悪い癖かもしれませんが、インターネット時代には通用しません。その意味では、ウエブケータイの問題は、親と子が自己責任で物事を判断する力を養ういい機会かもしれません。この機会に文部科学省などは下手な号令をかけない方がいいですね。黙っていてくれる方がいい。

一人ひとりが生き方を考えなおす時代

矢野

群馬県には、ケータイやインターネットの問題に取り組んでいる学校はどのくらいありますか。

下田

自分たちでケータイ問題を考えたいので、材料を提供してほしいという学校は増えています。僕も「講習会で子どもたちにケータイを使うなと言わせたいのなら、招かないでほしい」と言っているんです。あくまでも、この問題を議論して考えてほしいのです。

矢野

ああしろ、こうしろとはいいにくい時代ですね。編集者であり、ジャーナリストである我が身としても、現代という土俵の上に、こういう問題があるよと、考えるきっかけを提示する役割が大切だと思っています。

下田

そういう役割の人をもっと全国に増やさなければなりません。僕をワークショップ型講習会に呼んでくれる学校は、問題を抱えながらも解決していこうという熱意のある学校なんです。
 というのも、ワークショップに当たっては、事前にアンケートを送り、学年別のケータイ所有率や、性や援助交際などに対する子どもの意識調査などをお願いするわけです。ところが、寝た子を起こすようで、怖くて調査ができない学校もある。最近は援助交際の背景にケータイがあることが分かってきて、調査に応じてくれる学校が増えてきました。かなり面倒なことに学校側が取り組み始めたことは一つの希望だと思います。

矢野

ねちずん村のホームページには、援助交際に関する具体的なインタビュー記事(ティーンズ・エクスプレス)もあって、そのあからさまな内容には驚かされます。これは大学の学生さんや中高生のスタッフたちがインタビューしているのですね。

下田

そうです。大学生がサポートして、子どもたち自身がインタビューなどを行っています。大学3〜4年生は僕のゼミ生ですが、群馬大学以外の学生さんも協力してくれています。ゼミ生は演習や卒論の一環として活動しているわけですが、「ケータイ小説」を卒論テーマにしている4年生の女性もいます。
 このケータイ小説というのがすさまじい代物で、「Deep Love」などは安直なハードコアポルノですよ。それが女子高生を中心に人気となり、書籍化もされて、全シリーズで発行部数が60万部を超えているというのですから。この作者は、まさに矢野さんがおっしゃる「ハーメルンの笛吹き男」ですね。もともと少女たちが中心になって自分たちの経験を作者にメールで送り、それを編集して作っただけの安手のポルノ小説で、あげくに子どもたちに資金まで出させて出版したのですから凄腕ですよ。しかしうちの学生も含め,こうした手法に若者は好意的なことも事実です。

矢野

ホームページにあるインターネット関連の記事を集めた「ねちずん新聞」は、どなたがお作りになっているのですか。

下田

ネタを中心になって集めてくれているのは青森にいる協力者で、編集は僕と妻が一緒にやっています。新聞・雑誌・ネットニュースからインターネット利用に関するニュース、子どもたちをめぐる事件などをピックアップし、データベースを作ろうとしているのです。いろいろと活動していますが、まだまだ質量ともに不足していて、もっとちゃんとやらなければと思っているのですが、どうにも資金がかかるので、簡単ではありません。
 じつは、来年の2004年1月に、アメリカから親たちを呼んで、日本の親と交流する国際会議を前橋市で開催することになったのですが、海外から人を呼ぶためにかなり費用がかかり、資金協力してくれる企業や市民たちを探しているところです。ジャーナリスト時代のかつての友人たちは、僕が大学に入ってから、すっかり子どもやNPO寄りになったと冷やかしますが、親と協力しながらこうした活動をしている組織は他にないので、もう後には引けないですね。
 いずれにしても、いまは働き方や生き方の問題で、普通の人も切実に考えなければならないことが増えている。やはり時代の転換期だと思います。

矢野

おっしゃる通りですね。それは私たちの肩にのしかかった「重い荷物」ですが、誰も避けては通れない。

下田

とくにウエブケータイは家庭の問題であり、日本特有の現象ですからね。あまりに変化が激しい中で、なるべく早くこの問題を英訳して海外に発信し、外国から「逆輸入」しないと、日本人自身はなかなか自分で問題の深刻さと進展の速さに気づかないのではないかと思うんです。

矢野

その意味でも、海外の親たちと交流するのは有意義ですね。この問題は一人ひとりが親として、大人として真剣に考え、子どもたちと向かい合って話し合うべきですね。僕もぜひ国際会議には出席させてください。本日は貴重なお話をどうもありがとうございました。

(なお、今回の対談では携帯電話のことを「ケータイ」、インターネットにつながる携帯電話のことを「ウエブケータイ」と表記している。下田さんが携帯電話とお話しになった部分の一部も、同一表記してあることをご了承ください。
ケータイは電話の最新形態というよりも、声もデータも送受信できるモバイル情報端末だとの認識によるものです
― 矢野注記)

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撮影/岡田明彦 Top of the page

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