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矢野
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isedに集まったメンバーはそれぞれ優秀な人材だと思いますが、よく集められましたね。
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東
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インターネットがなければ知り合えなかった人たちばかりです。その意味では、逆に、僕にとって出版メディアがいかに意味がなくなっているかを示している。このisedを作るにあたって、出版メディア上で面白い人を探そうという発想そのものがなかった(笑)。
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矢野
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東さんの発行している『波状言論』には詳細な注がついているが、すべてネットの引用ですね。出版メディアはほとんど載っていない。出版メディアを参照する必要を感じないということですか。
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東
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感じなくなりつつあります。僕自身は本を読んでいる方ですが、isedの議事録をインターネット上でまず公開するというのも、いまは、情報がネット上にないと、存在しないと同じになってしまうという認識だからです。読者層にもよるかもしれませんが、僕の年齢の前後10歳ほどをターゲットと考えると、彼らはまずグーグル(インターネットの検索サイト)で探す人たち。いわゆる「ググる人たち」だと思うんです。それを前提に動いています。
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矢野
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僕らとはまるで違う世代だということを実感しますね。あるオーストラリア人がブログでこんな話を書いていました。イラクの武装勢力に拉致された友人のジャーナリストが、自分はアメリカのやり方を支持していないし、実際にそういう記事を書いていると主張した。それじゃグーグルで検索しようということになって、実際に記事を読むとたしかにその通りだったので、解放されたというんですね。これには驚きました。
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東
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さすがグーグルですね(笑)。年号や人名をネット上で調べるのは正確さの点で危ないこともありますが、複数のサイトでクロスチェックすると、だいたい正しい情報になりますね。
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矢野
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『ウィキペディア (Wikipedia)』を見ると、まず知っている人がある項目の解説を書き、その間違いに気づいた人や補足したい人が加筆修正していくことで、膨大なネット上の百科事典が出来上がっている。イラクの捕虜虐待事件の詳細を知りたいと思ってウィキペディアを調べたら、事件の詳細な顛末が整理されていました。梅田さんがいう「不特定多数への信頼感」ということと関係があるでしょうね。その一方で、いい加減な情報もあり、もはや紙だからネットだからという問題ではなく、主体的に判断すべきだと思います。しかし、こうしたネットの世界を知らない人たちも大勢います。
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東
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昔から大多数の人たちはあまり活字を読まないし、自分から情報を集めることにさほど熱心ではありません。これは今後もあまり変わらないと思うんです。問題は、いま教養層や知識人、官僚や政策決定に関わる人たちも、ネットに頼るようになっていることです。ウエブと現実の政治、経済、文化の動きは明らかに循環を起こし始めており、それがわからないと見えないことが多くなってきた。イラクの人質事件をめぐるネットの盛り上がりもそうだと思います。
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矢野
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ブログというのは個人が直接、社会に向けて情報発信し、それに対して返信があるというのが特徴ですね。ところが、「はてな」などもそうですが、日本のブログは議論を交わすというよりも集合住宅の心地よさを求めて、同じテーマで集まった人たちが閉鎖的な安心感の中で落ち着こうとする傾向が強い。歴史学者の阿部謹也さんがいう「世間」がそこにあるわけです。日記は全世界に公開されていても、実際には仲間内のコミュニケーションを楽しむだけといったのが多いですね。2ちゃんねるも一種の閉鎖空間での話し合いです。これは欧米的なネットのあり方とはだいぶ違います。
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東
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おっしゃる通りです。僕の周辺では2ちゃんねるから「はてな」に流れ、いまかなりの人間がソーシャル・ネットワーク・サービスの「ミクシィ」(登録者からの紹介がないと利用できない。出会い系サイトに対して「知り合い系サイト」とも呼ばれる。実名が基本)に移動しています。ミクシィでは日記を公開する階層の設定ができるので、友だちだけが日記を見られます。プライベートな書きなぐりのようなものをぐるぐる回している人たちがいっぱいいますね。僕自身はあまり関心がないのですが、周囲では驚くほど多くの人が登録しています。
ミクシィでは相手のページに飛ぶと、自分の足跡が残る仕組みになっています。つまり誰が来たかわかるわけです。そして実名が基本なので、まさに矢野さんのおっしゃる「世間」そのものです。そこがいま、若い人に一番人気がある。それは日本のインターネットの一つの形じゃないかと思います。僕としてはそこまで閉じこもるのは面白くないので、「はてな」程度がいいかなと。
「はてな」はハンドル名を使うので、まだ偽名性がある。これに対して、ミクシィはリアルワールドと密接につながっていて、中には仲間と一緒に仕事をしている人もいます。また「はてな」はキーワード単位でまとめられているのに対して、ミクシィは人単位。「この人の日記を読みたい」という閉鎖性が強いですね。
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矢野
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アメリカでソーシャル・ネットワーク・サービスの「meetup.com」が登場したとき、僕はいわゆる出会い系サイトが、現実世界と関係を絶ったところに成立する好ましくない面があるのに対して、ソーシャル・ネットワーク・サービスは現実世界に足をつけた健全なコミュニケーションを促進するのではないかと思いました。現実との接点をもっていることが今後の倫理やネット上の新しい生き方を考える上で重要だと考えたのです。しかし、今の東さんのお話によると、ミクシィは新しい「世間」というか、かえって閉鎖的になる傾向があるようですね。
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東
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僕とすれば、すでに知っている人との関係をさらに深めても仕方がないんじゃないかと思います。知らない人間に出会う仕組みがミクシィにはないのに対して、「はてな」はキーワードリンクでどんどんいろいろな人の意見に飛んでいける。自分の関心に寄り添っていると、見知らぬ人の日記を読むことができる。そこが魅力なんです。
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