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デジタル思考の陥穽を突く老機械技術者:寺垣 武さん
コム人対談
寺垣 武さん

Parat1 17年間と5億円を費やした「究極のプレーヤー」を開発

モーターを使わず、重力で動く「真に究極のプレーヤー」にも取り組む

Part2 デジタル化は手段であって、目的ではない

寿司ロボットを初めて開発

Part3 技術者は自然から学べ

つねって痛くないものは身につかない



Part2 デジタル化は手段であって、目的ではない

矢野

音楽はCDによってデジタル化が進み、残念ながら、アナログレコードは日本から消えつつありますね。

寺垣

デジタル化が悪いわけではない。デジタル化しないと、コストがかかりすぎる分野はあります。一定の時間軸で切って、フォーマットに押し込めれば効率的ですからね。デジタル化には必然性があり、私もそれは認めます。ただ、オーディオ同様、デジタル化は手段であって目的ではありません。
 レコードはエジソンが発明して、これまで多くの演奏を記録、複製して文化遺産を積み上げてきた。本来、芸術はコピーされるべきものではないのですが、優れたオーケストラや演奏家はそう生まれるわけではないので、彼らの名演をコピーしてきたわけです。芸術の分野でこれほど長期間、膨大な社会資本が投下されてきた例は他にないですよ。ところがその成果たるレコードが、一度も正しく再現されないまま、捨て去られるのは文化遺産への冒涜だと思っているんです。

矢野

先頃、蓄音機展を見る機会がありました。10台ほどの蓄音機でミニコンサートを開いており、なかなか素晴らしい音なのであらためて感心しましたが、出展者は200台もの蓄音機を持っている有名なコレクターで、「レコードはいい音だが、CDはやせた音しか出ない」と言っていました。CDは人間の耳に聞こえない音域をカットして、デフォルメしているため、生の演奏や古いレコードに比べて音に潤いがない、ということのようですね。

寺垣

CDを開発したソニーが、量子化数16ビット、サンプリング周波数44.1キロヘルツと決めました。量子化数とはデジタル信号を何段階の数値で表現するかを示し、サンプリング周波数は1秒間にアナログ信号からデジタル信号へ変換する回数を示しています。44.1キロヘルツでは理論的には約2万2000ヘルツまで表現できます。私のような年寄りは1万ヘルツの音は聞こえないし、若い人でも1万3000ヘルツを超えると無理でしょう。したがって、44.1キロヘルツでフォーマットを切ったわけです。
 ところが、音には「倍音」というものが含まれています。倍音とは、基本となる音の整数倍の周波数を持つ音です。この倍音が楽器などの音色の違いを生み出す重要な要素なのです。つまり1万ヘルツの音には2万、3万、4万ヘルツなどの倍音が含まれています。人が2万ヘルツを聴き分けられないからといっても、10万ヘルツの音があるかないかは分かるんですよ。デジタルにする以上、ある一定の数値で処理するのは仕方ないにしても、人間が分かるわけがないから切るというのは傲慢な話です。
 とはいえ、私は当時として16ビット、44.1キロヘルツが不十分だったとは思いません。何しろ、いまのオーディオ装置はそのフォーマットすら満足に再現していないんですから。ちなみに、このスピーカーでCDをお聴かせしましょう。

矢野

CDそのものではなく、スピーカーの方が問題だと。

寺垣

ええ、CDの音がやせているんじゃなくて、スピーカーやプレーヤーが悪いんです。箱型のスピーカーではCDの音に素早く追随できないし、安いCDプレーヤーは内部の機械が手抜きで、音に変調を与えています。このスピーカーは振動板が動いて音を出していませんから、音の立ち上がりが既存スピーカーよりずば抜けていい。ガラスの割れる音が入ったCDをかけてみましょうか。

矢野

驚くほどリアルな音ですね。

寺垣

これだけ表現できるスピーカーは他にないと思いますよ。だからスピーカーを変えるだけでも、CDの音はとても豊かになります。もちろんレコードにはかないませんけどね。

寿司ロボットを初めて開発

矢野

目からウロコの話が続きましたが、寿司飯を握る寿司ロボットも開発なさったそうですね。

寺垣

蒲原機械工業(現在は富士通フロンテック)の嘱託として富士通の本社工場に通っていたときのことです。昼時になると工場内の4カ所の食堂にたちまち長い行列ができる。それなら、ご飯を箱に入れて棒状にし、押し出してかじれるような製品を作れば、気軽に手を汚さず食事できるのではないか。白いご飯だけでなく、ケチャップやカレーを混ぜたご飯も自由に作れるのではないかというアイデアが浮かびました。
 「ライススティック」という名前まで思いつき、このアイデアを商品化しようと、蒲田にあった弁当屋に持ち込みました。するとそこの社長は、代わりにおにぎりを作る機械ができないかと提案してきた。それは面白いと思って安請け合いしたのですが、これがなかなか難しかった。型に押し込んでプレスするとまずくなるので、ゴムでご飯を包んで握る機械を考えたのですが、ゴムが縮んでシワがご飯に残ってしまう。このシワがどうしても取れないのです。
 私は行き詰まったときは深追いせず、しばらく放っておくんです。いつも同時並行でいくつも開発をやっており、そのときは先ほどお話ししたレコードプレーヤーに集中した。しばらくしておにぎりロボットに戻ると、突然ひらめきました。ゴムは伸び縮みするんだから、握ったときにゴムが元の状態に戻っていればいいと。そうすればシワも出ない。つまり、ゴムを引き伸ばした状態で握り始め、終わると元に戻る。これだけのことが煮詰まった頭には思いつかないのですね。こうしておにぎりロボットが完成しました。
 弁当屋の社長も喜んで「おにぎりの会社を作る」とその気になったのですが、残念なことに、その直後に膵臓ガンと分かり、亡くなってしまいました。代わりに引き受けてくれる企業はないかと『食糧新聞』に電話すると、現在の鈴茂器工という会社を紹介してくれました。鈴茂の社長は「おにぎりの機械はあるから、代わりに寿司を握る機械は作れないか」とまた提案してきたのです。そこで、鈴茂の顧問になって、寿司ロボットの開発を始めました。
 しかし寿司の難しさは、おにぎりの比ではありませんでした。寿司飯にはお箸ではさんで7秒後にぽろっと崩れる程度の固さが必要で、米ひと粒ひと粒をつぶしてはいけない。機械では寿司飯を「いじめて」しまうから絶対に無理だと専門家は言いました。それを聞いて俄然やる気になりましたが、協力してくれるはずの鈴茂の技術者たちが「機械握りの寿司など食べたくない」と乗ってこない(笑)。
 そこで、寿司は太田道灌が江戸城を築城したときに、手早く食べられる職人の食事として生まれたんだから、高級品ではなく、機械を使ってまた庶民の食べ物に戻すんだ、と本当かどうか分からない話をして、やる気にさせました。心地よく人を引っ張るというのも開発には必要なんですね。結局、2年かかりましたが、昭和56(1981)年に日本初の寿司ロボットが完成しました。やはりゴムを使って握る装置です。鈴茂がこれを売り出し、現在のような寿司ロボットのトップメーカーになりました。
 特許料でも頂いていたら、私も金持ちになったんでしょうが、顧問料と試作研究費しか受け取っていません。役員として迎えたいというお話もありましたが、断りました。ここまでの市場を作ったのは鈴茂の社長の力ですからね。私が口出しすることもないし、実際、それ以降、一度も鈴茂に顔を出していません。

矢野

鈴茂もそうですが、寺垣さんは一時期をのぞいて、正社員として会社勤めをされたことがなく、基本的にはフリーですね。自立して生きていくことを心がけておられたのですか。

寺垣

私は回りにお構いなく好きなことをやってしまうので、組織の中にいると、周囲とのバランスが崩れるのです。だから、会社も私をうまく使っているんだと思いますよ。必要なときだけ利用して、成功しても失敗しても、組織の誰も傷つかない。私自身、自分でそういう立場を作ってきた面もあります。
 自分でも非常識だなと思うんですが、例えばリコーの顧問をやっていたとき、頻繁にキヤノンに出入りをしていた。もちろん、リコー内部のことは何もしゃべりませんが、普通は遠慮してライバル企業には近づきませんね。リコー顧問を辞めてからは、キヤノンに誘われて、現在、生産本部技術顧問を勤めています。キヤノンの生産システムのアドバイスや技術開発および技術者の指導を行っています。
 いまの若い技術者は基礎ができていない。基礎を分からずに先端技術に手を出すと、それは先端というより、単なる「先っぽ技術」になっちゃうんですよ。後ろの大切な胴体が切れちゃっていますからね。だからキヤノンでは機械や歯車などの基本を教える装置を作って、自分で動かす感覚を教えているんです。

矢野

寺垣さんは本当に自由に生きてこられてハッピーだと思いますが、オーディオテクニカのように、寺垣さんに投資しても回収できなかった企業もあったということですかね。

寺垣

たしかにオーディオテクニカは、レコードプレーヤーとしては3億円の回収はしていませんね。ただ、他の部分で元は取っていると思いますよ。たとえば開発の副産物としてターンテーブルにレコードを吸着させる「ディスク・スタビライザー」という製品が生まれて、けっこう売れましたし、テクニカで電動式と手動式の寿司ロボットも作りました。業務用の「すしメーカー」はいまでも毎月40台ほど売れており、家庭用の「にぎりっこ」という手動式すしメーカーは累計で10万台ほど販売したようです。プレーヤー開発でさまざまな付帯技術が生まれ、テクニカの製品がバラエティ豊富になったのもたしかでしょうね。オーディオメーカーには珍しく、いまでも業績は好調ですよ。

矢野

なるほど、そういうことですか。なるほどねえ。

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Part3 技術者は自然から学べ
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