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デジタル思考の陥穽を突く老機械技術者:寺垣 武さん
コム人対談
寺垣 武さん

Parat1 17年間と5億円を費やした「究極のプレーヤー」を開発

モーターを使わず、重力で動く「真に究極のプレーヤー」にも取り組む

Part2 デジタル化は手段であって、目的ではない

寿司ロボットを初めて開発

Part3 技術者は自然から学べ

つねって痛くないものは身につかない



Part3 技術者は自然から学べ

矢野

これまでのお話は、手段であるデジタル化が目的化してしまったために、アナログである自然の世界をゆがめている、ということでもありますね。そういうデジタル化の陥穽に、世の中はまだあまり気づいていないようですね。

寺垣

情報には実体も質量もないから、デジタル化すれば瞬時に地球の裏側まで届く。ところが、1円玉1枚でさえ、質量のある物を地球の裏に運ぶのは大変です。現代人はそれを忘れて、実体から遊離した情報にどっぷりと浸かっているんです。

矢野

実際の1円玉はここにしかないのに、デジタルならばバーチャルの1円玉がどこにでも瞬時に行けて、便利だとみんな思っているわけです。それはそれでたしかに便利なんだけれど、実物はここにだけしかないということですね。

寺垣

誰もが基本を忘れてしまっているので、原点に戻ることができず、とんちんかんな場所から出発してしまう。その一つの例ですが、ここに街で見つけた350円ほどのおもちゃがあります。直径8センチほどの安っぽい鉄板で作られた円盤で、真ん中がおへそのように下にへっこんでいる。これを回すと、きれいな模様が浮かび上がりますが、止まりかける瞬間に少し逆転して静止する。そして止まっても、倒れない。
 不思議に思って買い求め、何度も試すうちに分かったのは、これが見事に物理法則を利用しているのです。下に突き出たおへそは中心にあるわけではないので、どちらかに倒れるはずだが、倒れそうになるとおへその重心が移動して反対側が重くなって釣り合うようになっている。意図して作ったわけではないでしょうが、結果的には円盤とへその半径が絶妙の比率になっているんでしょう。
 いまの技術者に「円盤が倒れないようにしなさい」という命題を与えたら、円盤の姿勢をセンサーで読み取って、空気圧などを使い2軸で制御するといった、えらく複雑なシステムを考え始めることでしょう。しかし、物理法則を使えばハイテクなど使わず、より高度に解決できるのです。
 これが原点の認識という意味です。考え抜いて原点に達すると、必ず正しい解決に向かうが、そうでないとあらぬ方向に向かい、“解決”ではなく“対策”で終わってしまう。しかし1円もかけずに目的を達成してしまうと、産業界は儲からなくて困るんでしょうね。そのため目的も原点もどこへやら、金儲けや他社との差別化競争に熱中して、機能が複雑だけで役にも立たない製品や、とんだ化け物を作り出すんです。

矢野

情報とは何か、情報の原点とは何かということでいえば、寺垣さんは、大半の情報は「お知らせ」に過ぎないとおっしゃってますね。

寺垣

本当の情報というのは人間の判断を含んだもので、そう簡単に入手できるものではないんです。インターネットで誰もが自由に引き出せるのは情報ではなく、単なるお知らせですね。だいたい高度情報化社会などといいますが、昔から「高度」と名がつくものにろくなものはなかったですよ。しかも情報は質量がないから、実体と遊離しやすいことをもっと認識すべきだと思います。

矢野

現実世界にはさまざまな物理的制約があって、そのために一定の秩序が保たれているが、サイバー空間にはその制約がない。そこに落とし穴がある。

寺垣

「田舎は静かでいいね」というときの静けさは、決して無音じゃないですよね。小川のせせらぎや虫の鳴き声など、「静か」という音がある。ところが、デジタル的発想では音が「ない」となってしまう。その違いでしょうね。

矢野

以前、無響室を見せてもらったことがありますが、その中に入ると数分で感覚がおかしくなるそうです。

つねって痛くないものは身につかない

寺垣

砂漠の中で自分の声が反響しないと、ものすごい孤独感に襲われると言いますからね。音を含めて、人間は自然の中でしか生きられないようにできているんです。だから、何でも「ない」と決めつけるのは危険ですよ。「ない」が「ある」と思わないと。デジタル的発想だと、ゼロと1の間に無限の連続があることを忘れがちで、見えないものは「ない」と判断してしまう。数値制御の工作機械などをいじっていると、1ミクロンの次は2ミクロンという数値に惑わされて、その間に無限の数があることをついつい忘れてしまうんですよ。

矢野

現実がもっと豊かな内容を含んでいることを忘れてしまうのが問題ですね。とくにこれからの子どもたちが最初からこういう環境で育つようになると、いろいろ問題がでてきそうです。

寺垣

そうですね。だから自然から学べと、いつも若い人に言っているんです。私は自然や現象をじっと観察しているのが好きで、先日も風呂おけの水を抜いて、ゴミが水と一緒に流れるのを見ていました。排水溝に全部流れ込むんだろうと思っていたら、軽いゴミはなんと流れに逆らって風呂おけの方に登っていく。流速は一律じゃなく、渦を巻いたり、流れが遅れる箇所があるから、そこを逆流していくんですね。これが鯉の滝登りかと思いましたよ。理論的には、下り落ちる水を鯉が登れるわけがないが、渦などの流速のむらを鯉は本能的に分かるんでしょう。

矢野

いまのお話でエドガー・アラン・ポーの『メルシュトレームの大渦』という短編小説を思い出しました。定時に大渦が起きるある海峡はいい漁場でもあり、漁師たちは渦がおさまった時を見計らって漁に出る。ところが兄弟の漁船が運悪く大渦に巻き込まれてしまう。漁船が巻き込まれる中で、軽いものは重いものより沈んでいく速度が遅いこと気づいた弟は、兄の反対をおして漁船から樽に飛び移って助かるという話です。混乱の中の冷静な観察が命を救ったわけです。

寺垣

自然はいろいろなことを教えてくれますよ。もちろん人間も自然ですから、機械などとは比べ物にならない能力を持っている。たとえば人間の耳は、ジェット機の騒音を聞いた後でも、すぐに虫の声を聴きとれる。こんなレンジの広い測定器は存在しません。ところが技術者は、自分よりも測定器を重視する。測定器は一種の変換器ですから、変換ロスも生じるし、決して正確じゃないのに、測定器の数値を絶対と思ってしまう。それは「測定器」という名前だからで、人間はコード、あるいは取り決めに弱いんですよ。そういう物だと思ってしまう。
 ハイビジョン映像は、自然と見まちがうような高い解像度だと宣伝していますが、本当にそうでしょうか。試しにすべての窓をハイビジョンで埋めて、365日の風景を再現するソフトを用意して暮らしたらどうか。窓の風景を見て想像の世界に浸るなんて、とてもできませんよ。自然は機械で再現できないものを多く含んでいる。人は無意識でそれを感じているんです。だから、想像に浸れる。
 私は一貫して人を含めた自然に関心を持っている。技術なんて小さなものです。人という存在のすごさに敬意を抱き、それを作り上げた自然の偉大さに畏れを持っています。技術者は根本にそうした気持ちを持ち続け、絶えず人や自然に向かう心がなければ、決して人を幸せにするものは開発できないでしょう。
 研究所に大手企業に勤める3人の工学博士がいらっしゃったとき、みなさん、ハイテク信奉者だったので、「ゴキブリはなぜ畳や壁やガラスの上まで平気で這い回ることができるかご存じですか」と質問してみました。すると、なぜゴキブリの話なんかという怪訝な顔をしますので、「ゴキブリは足先の繊毛で場所の状況を瞬時に把握して、滑りやすい場所では粘液を出すんです。これをハイテクで再現できますか。ゴキブリほど正確に素早くできないでしょう。自然に比べれば、我々の技術など3ケタぐらい幼稚です」と、まあ偉そうにお話ししたことがあります。

矢野

自然を観察しないで、コンピュータ・シミュレーションに頼ってばかりいると新しい技術を生み出せない。シミュレーションでうまくいかなければ、やらない理由にもなる。新しいことに直面したとき、やらない理由はいくらでも思いつきますからね。

寺垣

実際、大変な努力をしてダメな理由を探している企業の技術者は多いですよ。それだけ努力するならやった方がいいのに(笑い)。

矢野

「つねって痛くないものは身につかない」という寺垣さんの名言があります。結局、身体を動かして学んだことは応用が利き、知らないことに直面しても難局を切り開いていけるが、デジタルで得た知識だけだと、壁にぶつかったときに応用が利かず、だから、すぐにあきらめてしまう、と。

寺垣

連続した体験の中で人は記憶し、自分の物にするので、その流れを断ち切ってしまうのはよくないですね。ただし何でも体験すればいいというわけでもない。何かに感動したり、疑問に思ったら、それを突き詰めて考える訓練は必要です。
 何でもいいから無になれる時間を作ると、妙な力が抜けて本来の力が出せる。ストレスの除去にも役立つ。もともとストレスがたまる方じゃないんですが、無になることがけっこう役立っているのかもしれないなと思っているんです。

矢野

一種の座禅ですね。

寺垣

そうかもしれませんが、座禅のように何もしないというだけでもなくて、1日1回は、たとえば音楽や絵、演芸でも、自分の好きなことに没頭して無心の境地で遊ぶことが大切です。そこから感性が生まれる。そして、自然現象などから何かを見つけたら、素直な心を持って徹底して追求することです。資料を調べて安易に分かったつもりになるのではなく、自分で考え抜くことですね。

矢野

今日は、思わず膝を打ちたくなるようなお話をいろいろ聞かせていただきました。素敵な音楽も含めて、どうもありがとうございました。

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撮影/岡田明彦 Top of the page

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