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コム人対談 プロフィール

技術者・寺垣研究所代表
1924(大正13)年埼玉県生まれ。小さな頃から無類の工作・機械好きで、機関車に熱中し、小学校の授業を休んで大宮の機関車修理工場に日参、6年生の時に落第。39年、中学2年生の時に考案した爆弾の命中精度を上げる装置が読売新聞に取り上げられ、「少年エヂソン」と呼ばれる。
43年、日本大学専門部工科に入学するも、兵器開発に忙しく中退。中島電気工業嘱託として、無線用アンテナ装置や船舶無線用水素発生機を開発。水素発生機により陸軍より技術有功賞を受賞。
47年からIFC(インストラクション・フィルム・コーポレーション)取締役、日本広告興業取締役、日本電気玉川事業所嘱託などを歴任、日本電気では誘導弾ジャイロ試験装置、潜水艦探知用水中検出機などを開発。
61年、大船に寺垣研究所を設立。同年、蒲原機械工業(現在は富士通フロンテック)の嘱託となり、各種機械表示装置、大型コンピュータ冷却装置、茨城県大洗町の日本原子力研究所の大型扉開閉装置などを開発。79年には職人に代わって寿司飯を握る寿司ロボットを開発。その頃から、アナログレコードの音を最大限引き出す究極のプレーヤー作りに取り組み、オーディオテクニカ、リコー、セイコーエプソンなどの協力を得て、Σ3000(87年)・Σ2000・Σ5000(94年)を開発。最高峰のアナログプレーヤーとして海外でも高い評価を得ている。
現在、キヤノン生産本部技術顧問、長田電機工業技術顧問など現役技術者として現場や技術者の指導、開発などの支援を行うかたわら、全国を講演して精力的に活動している。
著書に『知恵 知識だけではダメになる』(実業之日本社)。寺垣氏の生涯を描いた作品に『アナログを蘇らせた男』(森谷正規著、講談社文庫)がある。

寺垣 武さん
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Parat1 17年間と5億円を費やした「究極のプレーヤー」を開発

モーターを使わず、重力で動く「真に究極のプレーヤー」にも取り組む

Part2 デジタル化は手段であって、目的ではない

寿司ロボットを初めて開発

Part3 技術者は自然から学べ

つねって痛くないものは身につかない

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撮影/岡田明彦 Top of the page

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