
暮れのうちに買い置きしたものを年が改まるのを待って下ろす、ということが普通に行われていた頃、節々、折々、けじめ、といった日本語は、改まることの新鮮さ、近づく喜びや待つ楽しみといった、わくわくするような期待感を伴って使われていた。
下駄(げた)買うて箪笥(たんす)の上や年の暮(永井荷風)。
いくつになっても、もういくつ寝るとお正月、なのである。
下駄らしい下駄があったら正月らしい正月が迎えられそうな気がして茨城県の関城(せきじょう)まで出かけた。
京浜東北線の赤羽駅から湘南新宿ラインに乗る。車窓はどこまでも刈り取られた稲田と畑ばかり。関東平野なのである。小山から水戸線に乗り換えて川島駅で降り、県道をひたすら南下すると、市町村合併によって今は筑西(ちくせい)市となっているが、桐下駄の関城として知られたかつての真壁郡関城町に入る。この辺りは昔から養蚕が盛んで、隣接する結城市は結城紬で名高い絹織物の産地である。その関連で古くから箪笥などの調度品を作る木工が栄え、江戸中期以降には下駄作りも始まったという。
原木から育てた桐材を加工する「猪ノ原桐材木工所」は、県道15号線沿いのくだもの直売所脇の路地を入った所にある。頼めば原木伐採から鼻緒スゲまでの全工程を見学できるが、取り急ぎ併設の「桐ノ華工房」で製品を見せてもらうことにする。製造直売所ならではの飾らぬ雰囲気の中、絵描きのアトリエで描きあがったばかりの絵を分けてもらうような心持ちで下駄を選ぶことができる。
一目で惚れ込み即刻求めた本柾(ほんまさ)は絵に描いたような桐下駄で、鼻緒の白い斑点以外何の飾り気もない。これならジーンズにも履けそうだ。おとそ気分で不景気風を受け流し、カランコロンと荷風のように歩いてみたくなる下駄である。
- 1949年
- 東京生まれ。
- 1973年
- 東京造形大学デザイン学科卒業
- 1982年〜88年
- INDUSTRAL DESIGN 誌編集長を歴任
- 1989年
- 世界デザイン会議ICSID'89 NAGOYA実行委員
- 1991年
- (株)オープンハウスを設立
- 1994年
- 国際デザインフェア'94 NAGOYAプロデューサー
- 1995年
- Tennen Design '95 Kyotoを主催
- 現在
- (株)オープンハウス代表取締役。近年は特にエコロジカルなデザインの研究と実践をテーマに活動している。