
草萌え、啓蟄(けいちつ)、春分に向けて草も虫も動き出す季節。淡雪の中から甘く香る沈丁花(じんちょうげ)に人の心もそわそわし始める。嗅覚が最も敏感になるのもこの頃である。最近、事務所のそばの路地裏に昔からある小さなコーヒー豆店で、煎りたての豆を分けてもらってガリガリとミルで挽くことを始めた。さて、そうなると良いコーヒーカップが欲しくなるのが人情である。
山口県へ行ったついでに萩まで足を延ばすことにした。萩は遠い街である。地理的にも本州の西の果てのしかも日本海側に位置し、いかにも毛利家改易転封の地にふさわしい。それが、明治維新の震源地となったものの、その後百年あまり何もなかったごとく眠り続けているようで、萩を訪れるたびに遠く時間をさかのぼるような錯覚にとらわれるのである。
今回コーヒーカップが欲しいと思った時、すでにあるイメージが頭にあった。それは赤い土の上に真っ白な釉薬(ゆうやく)がたっぷりと掛かった大ぶりのもの。萩焼は萩の街中で買うことができるだけに、なまじ勝手なイメージを持っていると、その通りのものはなかなか見つからない。諦めかけていた頃にふと出会ったのがこのマグカップ。
さて、早速ガリガリと挽いた豆をドリッパーに移して湯を落とす。香り立つ漆黒の液体を注がれた淡雪の器が少しずつ解けてゆくようだ。
萩焼窯元 大谷雅彦
- 1949年
- 東京生まれ。
- 1973年
- 東京造形大学デザイン学科卒業
- 1982年〜88年
- INDUSTRAL DESIGN 誌編集長を歴任
- 1989年
- 世界デザイン会議ICSID'89 NAGOYA実行委員
- 1991年
- (株)オープンハウスを設立
- 1994年
- 国際デザインフェア'94 NAGOYAプロデューサー
- 1995年
- Tennen Design '95 Kyotoを主催
- 現在
- (株)オープンハウス代表取締役。近年は特にエコロジカルなデザインの研究と実践をテーマに活動している。