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賢いはたらき方のススメ
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アイドル百花繚乱時代が続いている。新陳代謝が激しい世界のなかで、地道に活動を続け、ローカルアイドル日本一の称号を得て以来変わらずに走り続けて17年目になる、新潟のご当地アイドルNegicco(ねぎっこ)※。そのNegiccoにデビュー以来楽曲を提供しているconnie(コニー)さんは、音楽業界で一目置かれる音楽プロデューサーだ。

注目される理由は、もし、その職種を本業としていることでプロと呼ぶならば、connieさんはプロでありアマチュアでもあるハイブリッドなプロデューサーだからだ。本業は建設会社の営業担当。会社員として働きながら、長くNegiccoを支え、プロのアーティストたちをも巻き込んで曲を提供している。驚くのは、音楽制作の収益は会社の売り上げとして計上されていること。ユニークなダブルワークを続けるconnieさんに、これからを生き抜くストレスフリーな働き方について伺った。

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※Negicco( negicco.net
2003年に結成された新潟発のアイドルユニット。メンバーはNao☆、Megu、Kaedeの3人。connieさんが音楽プロデュースを担当。小西康陽、ミト(クラムボン)ら有名アーティストから楽曲提供され、メンバーと観客が繰り広げるライブでのラインダンスも評判。2013年から「にいがた観光特使」を務め、苗場プリンスホテルでの恒例イベントが話題になる、地元新潟のみならず、ご当地アイドルの先駆者的存在として活躍。全国17か所でのツアーや私立恵比寿中学とのジョイントライブなどを行い、全国にファンが多い。

本業と副業の音楽制作を融合。会社の定款まで変えたダブルワーク

写真:connieさん

―connieさんの現在のダブルワークの仕組みについて教えてください。

connie:本業は、株式会社新光ハウスという建設会社の営業担当です。ただし、会社の定款に“建設業”のほかに最後に“音楽事業”と入っていまして、正確には、営業兼音楽事業担当ということになります。会社の営業担当として年間予算を組みますが、プレハブ営業と音楽で予算を達成するという仕組みですね。

―あまり聞いたことがないスタイルですが、音楽制作の収益はどのような形で反映されているのですか。

connie:Negiccoの音楽製作費と年4回の著作権収入(connieさんに帰属)が会社の売り上げとして計上されて、私はその評価として会社から給料をいただいています。

―そのような仕事スタイルになったきっかけはありますか。

connie:2010年、結婚を機に安定した収入が必要と考えて、新光ハウスに転職しました。その前までは派遣社員としていろいろな職種についていました。転職する前からNegiccoに楽曲を提供していたのですが、もともとファンということもあり、歌ってもらえたら嬉しいという気持ちで、当時は無償に近いボランティアでした。趣味の範囲で土日に制作できればいいと考えていたんです。

 Negiccoがタワーレコードのアイドル専門レーベル、T-Palette Recordsに所属することになり、それまでの楽曲もきちんとセールスして形にしようということになったんです。そうすると、会社の給料のほかに、音楽の収入が個人に入ることになります。

 この段階で会社側と相談したところ“音楽の収入も会社の収益”として計上すれば、音楽の仕事も堂々とできるのではないかと提案がありました。
 会社の定款にきちんと明記して仕事として両立してくださいと。そうすれば、ほかの社員にも音楽活動していることを公表でき、それが会社の売り上げとなって給料に反映されるのであれば、お互いに気持ちよく続けられます。音楽の収入は一時的なものと思っていたので、良い提案だと思い、現在の形になりました。

―定款まで変えたというのは大きいですね。

connie:そうですね。好きなことができて、安定した収入を得られる今の環境は理想だと思います。もちろん、営業にも音楽制作にも納期や締め切りがあり、重なるとしんどいこともありますが、それはどんな仕事でもあります。

―どのように営業の仕事と音楽制作を両立しているのでしょうか。

connie:営業活動の帰り道に車の中で鼻歌を歌いながら曲を作ることが多いですね。その時間がちょうどいい気分転換になっています。一つの曲を作るためにいくつもアイデアを出して、その中でこれはいいなという段階まで試しながら仕上げていきます。いいメロディーができた段階で、自宅で編曲作業をして仕上げます。メロディーを作るのは作詞に比べると得意なほうなので、早いときは数日で出来上がります。楽曲制作をするにしても、ローカルアイドルのNegiccoのペースは私にとってちょうどいいんです。

―曲の仕上げはご自宅で作業するんですね。

connie:はい。音楽活動を会社で公表してから、勤務スタイルも変わりました。平日に自宅で楽曲制作ができるのは大きなメリットだと思います。

Negiccoの第一印象は「なんじゃこりゃ」

写真:connieさん

―Negiccoとの出会いはデビュー当時とうかがっています。どんな印象でしたか。

connie:学生時代にモーニング娘。にはまりまして、卒業後に東京で働いていた時は、心おきなくハロプロのライブが観られると嬉しかったですね。2003年に会社の異動で新潟に戻ってから、地元にもアイドルがいると知り観に行きました。それがデビューしたばかりのNegiccoで、新潟産の「やわ肌ねぎ」のPRのために結成された1か月限定のアイドルでした。持ち歌は『恋するねぎっ娘』の1曲だけ。

 当時は、東京で観てきたアイドルとは比べものにならない、「なんじゃこりゃ」と思うほどの地方色を感じてしまいました。しかし、地元で夢を追いかけている姿を見ているうちに、全国区のアイドルとは違うカッコよさを感じました。応援したいなと思うようになったのです。

 私は新潟に戻ってから、DJイベントを時々主催していて、ファンになったNegiccoをゲストとして呼べないかなと打診したら快く引き受けてもらったので、せっかく来てもらうならば、イベント用に何か歌ってほしいと思い、曲を作ったのが始まりです。これが『トキメキ★マイドリーム』です。

―『トキメキ★マイドリーム』がconnieさんの音楽活動のきっかけで、ファンからプロデューサーへと変わったのですね。

connie:当初はイベントで一度歌ってもらうだけのつもりでしたが、当時のNegiccoは持ち歌が1曲しかなくて、「引き続き歌っていいですか」と言ってくれて、Negiccoの持ち歌のひとつになったんです。「どうぞどうぞ」と無償で渡しました。ファンとしてはこんなに嬉しいことはないじゃないですか。その後しばらくしてから、楽曲の依頼が来たんです。

―それから15年以上も楽曲の提供が続くと思われましたか。

connie:いやー、まるで思わなかったですね。期間限定アイドルでしたし。Negiccoの所属していた芸能スクールが閉校してしまったのですが、ファンも多く、地元のイベント会社EHクリエイターズがマネジメントをすることになって、ファンからもCDをもっと作ってほしいという声があり、じゃあ一緒に盛り上げていこうということになりました。

connieさん

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