矢野 インターネットの世界は、もともとボランティア組織によるセルフガバナンス(自己統治)が基本で、それは緩やかな連帯というか、参加者の合意を重んずる運動であり、作業に献身的に携わる人たちが、小さいグループというと語弊があるかもしれませんが、和気あいあいと楽しくやってきたんだと思うんですね。
 ところが、インターネットそのものが、あっという間に世界的、グローバルに展開されたために、現実世界の利害と密接に絡み合うようになって、政治、経済など既存の体制との間で軋轢が出てきた。そのために牧歌的な形ではじまった組織が、だからいい加減な部分もあったと思うんですが、そうもいかなくなった。きちんと制度化しなくちゃいけなくなって、ICANN(Internet Corporation for Assigned Names and Numbers、アイキャン)という組織が生まれるわけですね。ICANN誕生そのものが矛盾を反映したものだったけれど、ここへ来ていよいよその矛盾が露呈してきたというのが現状だと思います。
 会津さんはずっとICANN問題にかかわってこられたわけですが、今年(2002年)2月に出されたスチュワート・リンCEOの「改革」提案はどういう意味をもっているのかということを軸に、ICANNがかかえる問題などについてお聞きしたいと思います。
 まず1998年のICANN成立のいきさつから。
会津 ICANNって非常に複雑な利害がからまってできたもので、立場によっていろいろな解釈ができると思います。
 一番大きい要因はインターネットがグローバルに広がったということです。コマーシャライゼーションという言い方はちょっと問題がありますが、もともと限られた研究者とか技術者の間で使われていたインターネットを民間企業が使うようになった。商用化というよりは一般化されたと言ったほうがいいですね。
 特定のエンジニアや研究者の世界とはまったく違う世界がインターネットに入ってきた。そういうなかで、一部の人間が主要インフラの運用管理を独占しているのはけしからんという話が出てきます。「.com」などのドメインネームの登録管理業務をアメリカ政府が一定のお金で外注委託していた一企業(NSI)が、これを独占して大きな利益を得るようになて、この問題が大きくクローズアップされてきた。そこに競争原理を導入せざるを得なくなったんですね。
 何でお金をとりはじめたかというと、みんなが急にインターネットを使うようになって、登録事務に手間ひまかかってしょうがないから、とてもボランタリーではできなくなった。誰かがやらなきゃしょうがない、金がないから何とかしよう、みたいなところでやっていたんです。
 もう1つの要因は脱アメリカ化しようとしたことです。アメリカ政府自身もそうしようとした。反アメリカの立場の人もいっぱいいたし、そういう政治の力学、特に冷戦が終わってからは、「スーパーパワー・アメリカ」がインターネットを含めて全部コントロールするのはおかしいといった意見も出てきた。つまりアメリカナイゼーションなのか、グローバライゼーションなのかという問題です。
矢野 インターネットのセルフガバナンスが転機を迎えたと。
会津 インターネットって、たしかにボランタリーにセルフガバナンスでやってきたんです。そのセルフはだれが決めるかというと、だれでもいいんです。IETF(Internet Engineering Task Force)という技術標準化のための作業グループがそうですが、メーリングリストに参加して、継続的に活動する意志さえあれば、資格は一切問いません。IBMから1000人来ようが、NTTから10万人来ようがかまいません。ただし決定にあたって多数決はしません。したがって、1社で100人送ったって、決定力にはならない。そのかわり、議論を尽くす。
 そういったやり方をICANNに適用するのか、しないのかというのが大きな問題になった。純粋に技術的な問題ならともかく、たとえばドメインネームということになると、当然商業的な利権が入ってきますから、それはちょっと悩ましい話になる。これまでインターネット・コミュニティの外側の世界にあったビジネス上の利権(たとえば登録商標)とのかねあいを考える必要も出てきたんですね。そうした摩擦がはじまったときに、従来の解決方向ではまずいということを、インターネット・コミュニティの中からも、たとえばドメインネームの管理を担当していたジョン・ポステルのような人が言い出しました。
 もう1つ、別の問題もあった。システムの維持管理がジョン・ポステルという非常に卓越した個人に相当の重荷がかかっていたというか、彼が一人で全部していたんです。新しい国がドメインネームをほしいと言うと、たとえばパレスチナに与えるか与えないかとか、あるいはインドネシアで対立する勢力のどちらがインドネシアのアドレスとプロトコルを管理するか、IPアドレス、ドメインネーム管理というときに、どっちにするかというようなことを彼がほとんど一人で決めていた。よく言われていたんですが、ジョン・ポステルがトラックではねられたらどうするんだと(笑)。
 スモール・コミュニティのエリートたちをコアにして、それに異議を唱える人たちを入れるのをなるべくやめようという意見が、一方ではたいへん強かった。どちらかというとISOC(アイソック=インターネット協会)系の人たちです。飛行機の管制システムに客を入れて決めるのか、そんなことをして飛行機を落としていいのかと。ドメイン名を管理するのは技術の専門家だけでいいんだという主張です。一方、僕らは、インターネットは飛行機じゃないんだから、意思決定のプロセスには、経済的な利害のある、法的側面も含め、一般利用者でもドメイン名に利害や関心があって希望する人にはオープンに、だれでも参加できるようにすべきでは、と議論していたんです。
矢野 それが、AtLargeMembershipと呼ばれる一般会員の問題ですね。
会津 AtLarge(一般会員)は、言ってみれば、エンドユーザーを含めた利用者、一般市民だれでも関心のある人だったらセルフガバナンスに参加できるという考えです。インターネットはみんなが使っているものだから、使っている人たちの代表が入れるのが基本だ、と。あるいは「コンセント・オブ・ザ・ガバンド」ということがよく言われますが、民主的なガバナンスの基本は、その決定によって影響を受ける人たちは、当然その決定プロセスに参加し、意見を言う、主張する権利があるという考えが定着しています。
 じゃ、インターネットのドメインネーム・マネジメントにまでそれを直接導入するのか、しないのか。間接的に我々を信頼してくれれば、我々がやりますという路線が、インターネット・コミュニティであったり、あるいはドメインネームのビジネスをする人であったり、あるいはインターネットのISPなんかも含めてのサービスプロバイダーであったり。それに対してユーザー=市民も入れるのか。そういった理念的推移というか、対立があったわけです。
 ICANNができる前から、最大の問題点はこの一般会員をどう考えるかということでした。新しい組織はだれが成員になるのか。だれが決めるのか。どうやって決めるのか。それはオープンかクローズか、と。
 アメリカ政府は、グローバルでプライベート(非政府)のノンプロフィット(非営利)組織をつくることを望みました。つまり政府は直接手を出さない、金も出さない、口も出さない。アメリカだけでやらないで、グローバルにやる。ただし、オープンにやれと。それから希望者全員を集めろと言った。これに対して、インターネット・コミュニティの一部はオープンにするのが嫌だったんですね。
矢野 インターネット・コミュニティがオープンさを嫌うというのは、僕なんかから見ると、ちょっと腑に落ちないところがある。
会津 アウトサイダーとかニューカマーは入れたくないわけですよ。
矢野 インターネットの世界は、もはや圧倒的にニューカマーとアウトサイダーなんだから。
会津 そういうなかで、インサイダーも分裂してくるんです。古くからの人全員がコミュニティを守り続けているのなら話がわかりやすいんだけど、その中でもやっぱりあいつのやり方についていけない、おかしいんじゃないのといって批判に回ったり、あるいはもはやICANNに関しては口も出さなくなったり。裏で厳しく批判している人もいます。
矢野 ICANNはアメリカ政府のリーダーシップのもとに、とりあえずオープンな組織としてできるわけだけれど、インターネット・コミュニティの一部の人びとは、むしろ押し切られたという気分だったわけですね。
会津 対立する双方ともいったん「妥協」せざるを得なかったといえます。ICANNの組織の基本的性格をめぐって、誰が構成員かというところが一番大きな問題です。それによって権力の構造が変わってきますから。しかし、いつまでも論争しているわけにはいかないんで、アメリカ政府に「一般会員を入れます」と、ともかく約束した。暫定チェアマンのエスター・ダイソンが、今後自分たちできちんとやるからICANN設立を認めてくれという覚書を書いてアメリカ政府に約束した。それで初めてアメリカ政府もICANNを正式に認知したんです。
矢野 そういう経過のもとにICANNという組織ができた。そこで一般会員からの代表を選ぶ選挙ということになったわけですね。
会津 ICANNではメンバーシップ・アドバイザリー・コミッティ(MAC)というのをつくって委員を公募しました。全世界で80人ぐらいが応募し10人が選ばれましたが、僕もそのうちの1人です。アジアからは3人です。この委員会で半年議論して、一般会員からの理事を2000年に5人、翌2001年に4人選ぶと決めました。

矢野 2000年の選挙だけれど、たまたま日本でもICANN会議が開かれたので、僕も現場をのぞく機会がありました。ISOC系の人も、NSIの人もそれぞれの思惑をもちながら、とりあえず建前としてメンバーシップということを言ってきたわけでしょう。
会津 はい。
矢野 その一般会員というのが、理屈としては、じつに膨大なわけですよね。
会津 MACで議論したときは、選挙の参加者が5000人いけばいいということだったんです。こんな面倒くさい問題に本当に参加する人がいるんだろうか、よくて1000人ぐらいかな、もっと集めなきゃいけないかなとか、そんな感じだったんですよ。
矢野 しかし、建前としては、全地球人を対象としている。
会津 そこは考え方のバリエーションがすごくあるんです。理屈としては地球市民という話が一方であるんですけど、反対側に何があるか。希望者は誰でも、ということですね。希望しない人まで入れるとは言っていない。だから、自分が影響を受けて、それに参加したいと思う人はそんなにいないんじゃないかという考えが成り立つわけです。ただし、希望するのに入れないのはおかしいよねと。だから、無理矢理に人を増やそうとか、全人口に沿った形のメンバーにしようとか、そんなことは言っていない。開かれたメンバーシップというと、そこが往々にして、もちろん地球民主主義者は全地球市民とか言うわけですよね。でも、それはそんなに強い主張ではなかったと思います。
矢野 なるほど。
会津 そこが誇張されて、ある種最初の実験だから、みんな逆の意味で関心を高めなきゃ、と。ICANN理事の村井純さんたちも言っていたけど、全人類による民主的な選挙の初めての実験だとか。だけど毎回の会議に出席したのは200人とか300人ぐらいだし、メディアにバンバン出たわけでもないし。だから、オリンピック型の国別競争になるまでは、あんなに有権者の登録が集まるなんてほとんど誰も考えていなかった。
 ところが、ICANN理事は国を代表するものではないはずなのに、日本が郵政省(当時)と業界が先頭に立って国ぐるみ・組織ぐるみでの選挙運動を行った。その結果、全登録者15万人のうち日本人が7万何千人を占めるという、ICANNの日常活動ぶりから考えて、たいへん異常な事態になったのです。似たようなことがブラジルとドイツになかったとは言いませんけど、日本だけが圧倒的に突出した……。
矢野 日本の突出は、それはそれでいかにも日本的だと思うけれど、そういうことが可能な仕掛けだったわけですよね。
会津 そう。あえて僕が言うのもなんですけど、いろいろ問題が起きる可能性があるから、選挙のルールをちゃんとつくらなきゃだめだとICANNの場で事前に言ってきたのですが、誰も聞こうとしなかった。「選挙監視委員会でルールを決めて、違反があったらそれをアピールするようにするとか、無効にするとかしないと、何が起きるかわからない」と言ったのですが、「そんなこと起きるわけない、大丈夫だよ」というのが本部のほとんどの人の意見だった。僕は、この点はICANN執行部の怠慢だったと思います。もっと強く主張すべきだったのですが……。
矢野 その結果、とにかく日本の加藤幹之さん(当時富士通ワシントン事務所長)を含めて、5人の理事が選ばれた。これについて、関係者の感想はどんなふうだったのですか。
会津 アジアではメンバーが突出した段階でインターネット・コミュニティのメンバー間に亀裂が一瞬入って、「とんでもない」とキルムナム・チョン氏が怒った。
矢野 韓国の人ですよね。
会津 アジアのインターネット・コミュニティでもっともシニアなメンバーです。インターネットがはじまったころにUCLAでジョン・ポステルと同じクラスの大学院学生でした。韓国にインターネットを持ち込んだのは日本より早かったとか、そうじゃないとかという話があるんですけど……。彼は日本の組織的な選挙運動は非常に問題だと表明しました。
 日本サイドから言うと、一番大きかったのは、初期理事の1人である村井純さんが任期切れで理事をおりるんじゃないかという説が流れたことですね。日本人の理事がだれもいなくなると重要な情報が入らなくなるのでまずいというのが、日本のインターネット・コミュニティとその話を聞いた役所や政界の反応だった。韓国には任期の残っている理事がいたわけです。



      リン提案のねらいは一般会員つぶし

      韓国で新しい動き


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