キヤノン(株)MRシステム開発センター 所長
 兼(株)エム・アール・システム研究所専務取締役

 




矢野 通産省(現経済産業省)の音頭のもとに、1997年に基盤技術研究促進センターとキヤノンの共同出資で、エム・アール・システム研究所(MR研)が設立され、現実世界と仮想世界を継ぎ目なく融合する研究プロジェクトがスタートしました。このプロジェクトでの目標と具体的な成果を聞かせてください。
田村 聴覚に訴えるもの、触覚に訴えるものなどもいろいろ考えられますが、私たちの公的プロジェクトでは、ビジュアルな部分に絞って研究しました。人間の感覚は8割が視覚ですから。
 1つは、「オーグメンテッド・バーチャリティ」ですね。すべてをCGにして、コンピュータに絵を描かせるのでは、やはりリアリティに限界がある。そこで、現実世界の実写データをもっとふんだんに使ってやろうじゃないか、と。
 たとえば、多数の実写写真を利用して仮想空間をつくる。共同研究者の廣瀬通孝先生(東京大学先端科学技術研究センター教授)が「丸暗記」と言っておられる方法です。従来のテレビや映画の映像とは違い、あたかもその空間の中にいるような視覚体験ができるもので、実写電脳空間とでも言ったらいいでしょうか、そういう空間をつくることを1つのテーマとしてやってきました。
 すべて実写を使って、街全体をサイバー化してしまえば、観光ガイドに使えるだろうし、新しい都市計画を立てるときにシミュレーションもできる。その街が将来、再開発などで変貌しても、現在の状態が映像的に保存されているので、いつでも追体験できる。50年後に見たら懐かしいだろうし、この街をバックに映画もつくれるでしょう。世界遺産などを、丸ごと保存して映像アーカイブとして残す、ということもできます。
矢野 実写データを使って、立体的な3次元空間をコンピュータの中に組み立てていくんですね。
田村 生のデータ、現実世界をそのまま保存できるのは素晴らしいことです。もう1つのテーマが「オーグメンテッド・リアリティ」で、現実の世界にCGを出そうというものです。
 プロジェクト初期の97年ごろ、「現実と仮想を融合するのに取り組む」と言ったら、ある人から、「田村さん、そんなこととっくにできてますよ。映画の『ターミネーター2』や『ジュラシック・パーク』などで」と言われちゃったんですよ。たしかに、『T2』や『ジュラシック・パーク』では、CGの液状金属ロボットや恐竜が暴れ回っていました。あれは、実写映像にCGでつくった恐竜を1コマ1コマ時間をかけて合成しているんです。だけど、私たちの技術は、それとは似て非なるものです。映画はストーリーは変えられないし、スクリーンやテレビの画面でしか見られない。私たちのMRは、リアルタイムかつインタラクティブで、目の前の現実空間にCGを合成することができるし、このCGを変更することもできる。いま矢野さんと私の間に、妖精でもいいし、建築予定のビルや買おうとしている車でもいい、それを瞬時に出せるんです。そして、どこから眺め回しても3次元的に見えるようにする。だから、この技術は映画よりはるかに難しいですよ。
矢野 やはりメガネをかけて見るんですね。
田村 いまのところはメガネ、HMDが必要です。そうでないと自由な視点から見られない。私がセールスマンなら、「矢野さん、今度、新車がでたんですよ」と、いままでならカタログで見せるところですが、MRなら実寸大のものが見せられる。いろんな角度から眺め回してもらうこともできます。
矢野 新車が丸ごと見えて、車内にも入れる。
田村 入れます。ドアを開けて。
矢野 座ることもできますか。
田村 ほんもののシートを置いて、そこに座って視界を確認することもできます。現実のものと仮想のデータを融合するのが「ミクスト・リアリティ」なんです。自分はじっとしていて、車だけをクルクル回すのなら、従来のVRでとっくにできています。車のメーカーでは、大きなスクリーンに実寸大のものを映し、立体メガネで飛び出し感を出すことを日常的にやっている。そうではなくて、ほんものを触る感覚とバーチャルなものをうまく混ぜたいという発想です。いま、ある自動車関連会社から依頼されているのは、ほんもののハンドルやコックピットを設置して、メーターだけバーチャルでやってほしいというものです。ほんものの車体があって、ボンネットを開けるとエンジンや電気部品だけがバーチャルで見えるとか、シャシーとシートがあってバーチャルなボディのデザインを変えてみるとか、組み合わせは自由です。現実何割、仮想何割は、好きなように加減できます。
矢野 実際に仕掛けのあるところに出す。
田村 コンピュータやサイバースペースの中に描く技術はもうあるから、今度は自分たちが住んでいるこの空間に混在させたい、きちっとそこに置きたいんです。現実世界で使えるというのは価値があることで、使い道はいっぱいあります。さっき話した環境や景観のシミュレーションのほかに、CGデータさえあれば、床下や地中に埋まっているケーブルや配管を確認することもできます。実際、ガス会社ではガス管データはすべてコンピュータで管理されているそうですから、あらかじめHMDをかけて場所が確認できれば、工事のときに無駄なところを掘らなくてもすみます。
 医療分野からの要請もあります。いまはCTの画像を、コンピュータのモニターで見るか、フィルムに現像したものを見てチェックしていますが、MR技術を使えば、実際に患者さんの身体に重ね合わせて見ることができる。どこに腫瘍があって、どう手術をしたらいいか、あらかじめ計画を立てるのに役立ちます。

矢野 ミクスト・リアリティ技術がたいへん高度なチャレンジであることがよくわかりました。この実用化はもうすぐですか?
田村 少なくとも、構想に過ぎなかったことをいくつも実証してみせたことは確かです。限られた対象でコストを問わなければ、もう十分使える技術です。ジャンボジェット機のボーイング社では、配線作業の補助に使っていますし、宇宙開発の分野でも導入の計画があります。しかし、もっと広く使えるようにする、普及させるという意味では、まだまだ耐久性、安全性、そしてコストの面で課題はたくさん残っています。
矢野 2001年3月に研究成果発表会をやっておられましたが、MR研は一応の研究業務を終えたわけですか。
田村 国の援助による試験研究期間は終わり、今は成果管理会社となっています。法人としてはまだ存在しているので、私の身分も残っています。これは当初からの予定通りですが、研究者の大半は親会社のキヤノンに戻り、実用化のための「承継研究」を続けています。
矢野 日本のMR技術は、世界的にはどの程度の水準ですか。
田村 もちろん我々がナンバーワンですよ(笑)。そもそも、東大・筑波大・北大との共同研究体制で進めていましたし、阪大、奈良先端大などでも良い研究をされていますね。私たちのMRプロジェクトが契機になって、若手の研究者がどんどん増えているので、質・量ともに日本が世界をリードしているといえるでしょう。日本に触発されて、ドイツではシーメンス、ダイムラー・クライスラー、フォルクスワーゲンといった会社が資金を提供したプロジェクトが動いています。ECでも、同じ「Mixed Realities」という名前での研究プロジェクトが始まっています。
矢野 NTTヒューマンインタフェース研究所(当時)からMIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ准教授に転じた石井裕さんが提唱する「タンジブル・ビット」(Tangible Bits、触れるビット)もサイバースペースと現実世界を相互交流させる研究で、僕はすごく興味をもちました。
田村 石井さんのコンセプトは、サイバースペースの情報を現実に触れたり感じ取れたりできるようにしようというものです。感覚重視の物理的インタフェースが研究対象です。デジタル一辺倒の風潮、ビットの時代に、物質的なアトムの感覚を大切にしようというのは、ユニークでオリジナリティの高い発想だと思います。実は、私の本でも石井さんへのインタビューの章を設け「タンジブル・ビット」を紹介したんですが、素晴らしい考え方だ、目からウロコが落ちた、という読者が多かったですね。
矢野 石井さんは日本でもよく研究発表会を開いておられますが、そのなかに、ビンの蓋を開けると、センサーが湿度を感知して、湿度があるときには湿った音楽が、カラカラの天気のときはスカッとした音楽が流れるというように、天気予報的な音楽が鳴る作品がありました。現実世界のデータを一度デジタル化して、サイバースペースをくぐらせて再び現実世界に戻すような仕事ですね。それはビット=サイバースペースとアトム=現実世界の交流と言ってもいいでしょうね。
田村 サイバースペースからあふれ出る情報をどう受け止めるかという発想から研究を始められています。発想だけでなく、実際につくって見せるというのが世界中の共感を呼んでいると思います。
矢野 例えば電子メールの到着本数、言ってみれば、電子の風を受けて紙の風車が回るとか…。デジタル情報の力を借りて、見えないものを見、聞こえないものを聞き、直接触れることのできないものの感触を得るばかりでなく、目には見えないものを音に変えて耳で聞き、音を振動に変えて肌で感ずるようにする。さらには、部屋にただよう気配のようなものまでデジタル化して、別のかたちで現実に戻し、知覚できるようにする。ウォルト・ディズニーの映画で鳥たちがしゃべりだすのに似た一風変わったおもしろい世界を感じました。田村さんがやっておられることと非常に近いのではないかと。
田村 その通りです。ある意味では相補的ですね。現実と仮想の相互交流には2つのアプローチがあって、1つは私たちの流儀の「複合現実感」、もう1つが石井さんの「タンジブル・ビット」でしょう。ちょうど同じころに始めたのですが、我々は視覚中心で生真面目に現実と仮想の重ね合わせを追及してきたのに対して、石井さんは聴覚や触覚のインタフェースを重視しておられました。彼の作品の方が、よりアーティスティックでおしゃれでしたね。我々も大いに影響を受け、途中からは遊び心を増やしました(笑)。



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