矢野 サイバースペースと現実世界が相互交流するこれからのIT社会では、サイバースペースの特性をよく理解することが必要だとして、僕はそれを「サイバーリテラシー」 と呼んでいます。同タイトルの本を書き、その中で日本を比喩的に「ニッポン・イントラネット」ととらえました。組織はもともと、なかば外に開かれ、なかば内に閉じて、内部では独自の文化や特性を保持するといった関係にあると思いますが、インターネット時代にあっては、それを意識的に、しかもうまく展開していく必要があるように思います。日本全体を1つのイントラネットと考えると、いまの状況はどうもいびつではないでしょうか。
 そこで、「情報公開精神の欠如」、「創造的破壊の欠如」、「理念・ビジョンの欠如」、「公共倫理の欠如」という4つの問題点をあげて、それをもとにいくつか「ニッポン・イントラネット」の試練を考えてみました。イントラネットとは、社内ネットワークにインターネットの精神である公開性、平等性、自律性、分散性などを取り入れようとするものですが、実際には古い日本の企業体質とインターネットの精神がうまくマッチしていないケースが多い。依然として企業体質は閉鎖的でかえって余計なトラブルも生じている。この点をよく考えていかなくてはならないのではないかと。
 情報テクノロジーが要請する規格化や明文化が、日本的な以心伝心的なコミュニケーションとは相容れないなら、最低限のルールを習得しなければならないというのが第1のポイント。同時に、分散型のインターネットでは、国それぞれの文化が世界とうまく共存できる余地もまたあるというのが第2のポイントです。だから、そこをうまく調整するルールを考える必要があるんですね。現実世界では以心伝心、あるいは根回し、談合みたいなことをやっていて、サイバースペースとしてのネットの方はネットで、建前だけでやっているようではだめです。
坂村 そう。そうそう、それで思い出したんですが、根回しとかが得意だと言っているわりには、電子メールのコミュニケーションが下手な日本人が多いですね。つっけんどんに書いてよこすから、何だこれ、と思う。会って話すと、そうでもなかったりする。メールだと妙にストレートになって、誤解を生んだりトラブルを起こしたりしている人、けっこういますね。電子的なコミュニケーションに慣れていなくて、うまく使いこなしていないひずみがあちこちで出ているんじゃないかなあ。
矢野 「ニッポン・イントラネット」を考えるうえで、『21世紀日本の情報戦略』にはいろいろ教えられました。本文を引用させていただきながら、お聞きします。
 まず、「日本人の悪いところは、形だけまねて心底どうすべきかということを全然追い詰めようとしていない」点だと書いておられます。「『すべてについて形から入る』というこの無意識の基本戦略のみが日本のアイデンティティ」であると。もっとも全面否定ではありません。「取り込んだものの背景にある思想を理解せずに表面的に他国文化を取り込んだことで多くの失敗をし、また現在もしているが、同時にアジアの中でもっとも早く巧みに近代化できた」と。
坂村 結果として日本はそうなってきたと思うんです。
矢野 なかなか深い洞察だと思いました。これからのIT社会に言及されて、「この状況は徹底的に、日本人の本質の国民性にも、それをベースとする『形から入る』という日本の基本戦略にも合っていない。根本のレベルでここまで日本にとって合わない状況に至ったのは実は歴史上初めてなのかもしれない」と書いておられます。これこそまさに「ニッポン・イントラネット」の試練なわけですね。
坂村 競争しなきゃいけない、競争すべきであるという考え方も、アメリカを手本にしたものですよね。競争しなさいと言うときには、まず競争するための土俵をちゃんと用意しなきゃいけない。具体的には、まず独占禁止法の整備、次には情報公開ですね。そういうことを日本はやらないでしょ。アメリカの通信業界が破綻しても、情報公開がされていれば事態の認識や理解ができるんです。
 それと、自由競争のいきつく先は、当然、独占に近くなりますね。とくにインフラに近いものの競争は値を下げるしかないわけで、価格競争の最後は資本力があるところが勝つことになります。競争の結果、待っているのは強い1社が支配する世界です。そういうことはやはり防止しなきゃいけないでしょう。
 しかし、そのどっちも日本はやらないですからね。独占禁止法も手ぬるいし、情報公開なんてほとんどしていないに等しい。ですから、普通の意味での競争というようなことに対しては、まだ国の体制が整っていないと言うべきでしょう。
矢野 そうですね。規制緩和はいいことだ、規制緩和のほうへ向かうべきだ、などとよく言いますが、規制緩和をして自由に競争するためのグラウンドが、この国にはない。だから、規制緩和がかえって弱者に不利益に働くことが起こるわけです。
坂村 そうそう、現に競争をしたことによって失業率が上がったり、いままでうまくいっていたところがうまくいかなくなるとか、いろんな不都合が出てきている。
 そもそもの根本は何なのか。僕がいちばんおかしいと思っているのは、アメリカは世界最強の国で、その国に追いつき追い越すなんてできないにもかかわらず、どこかで勘違いしちゃっている人がまだいることです。日本人は、何でもできると思っているんですよ。日本だけでなく世界全体がそうだと思うんですが、いまやすべてのジャンルで何でもできるなどという時代ではない。すべてはできないという前提のもとで、メリハリをつけなきゃいけない。
 じゃ、日本としては何をやるのか、日本人は何をするのかを考えなきゃいけないときに、そういうグランドデザインも何もなく、いろんなことを場当たり的にやっている。それでは、うまくいくわけがない。いま失敗していることは、ほとんどそういうことではないですか。
 僕が嫌になっちゃうのは、それが、コンピュータ、ITの分野に限らないということです。うまくいっていないものをよく調べてみると、どこかの真似、たいていはアメリカの真似が多いんですよ。たとえば年金が問題だ、破綻している、と言われていますが、年金制度だってアメリカがお手本で、日本が独自に考えたものではないでしょう。そういったひずみが、いまは少しひどすぎるんじゃないかという気がしますね。
 だから我々は、根本原因から間違っているということをまず認識しなきゃいけない。それが、僕が本を書いたいちばん大きな動機なんです。何かがおかしい、ということをまずみんなが認識することからはじめないと、日本はだめですよ。
矢野 こうも書いておられますね。「人間の決め事がすべてで思想や哲学が設計に直結し大きな枷になるというIT分野の特質。そして試験が終わればそれで済むのではなくて永久に試験をやり続けるような、安定のない状況。ITを中心とする過去に例のない科学技術の進歩があり、それが生んでいるのがまさに過去に例のない状況なのである」と。
 ITの基本的な考え方、理論がたいへん重要であるということを言っておられます。しかし、日本の場合には議論がほとんど行われていない。こういうことでは百年の計は立てられないではないか、と。
坂村 まったく、本に書いてある通りです。

矢野 坂村さんのこの本は「警世の書」ですね。
坂村 ではどうしようというところまでは、まだたどり着いていないんです。そこへ行く前に、まずおかしいとみんなが認識しないことにははじまらないですね。おかしくないと思っていたら、それをずうっと続けていたんじゃ、いつまでたっても事態は立ち行かないでしょう。
矢野 いろんな問題が日本に押し寄せている、日本は挑戦を受けているわけですね。それに対して逃げたり、いい加減にすることはもうできない。
坂村 もう逃げられないでしょう。
矢野 ときどき、ふっと思い出すんですが、映画で勝新太郎演じる座頭市が、人を斬ったあとに目をぱちぱちさせながら、「いやな渡世だなあ」と決り文句を言います。たしかに、ある種いやな渡世でもあるわけ。やらなくちゃいけない、降りかかってくる荷物がすごく増えていて、個人一人ひとりがそれに応えないといけない時代なんです。
 思えば、明治維新以来の長い歴史を通じて、日本は何度「個」を確立しなければいけないと言ってきたことか。にもかかわらず、個はまだ確立されていないですね。いまこそほんとうに「個の確立」を考えなくてはいけない時ではないでしょうか。
坂村 その通りです。私は、最近、日本人の最大の問題点は「自律」できていないことだと言っているんです。そうすると、みんなが「自立ですか……」と言う。違う。日本はいま卑しくも世界第2の経済大国なんだから、自分で立てているんですよ。そうじゃなくて、「自律」ができていない。辞書を引いてもらえばわかるけれど、外部からの影響を受けないで自分で物事を考え判断する力のことを「自律」というんです。それができていない。
 何を食べましょうか、というときに、「あなたは?」「あなたは?」といつまでも決まらなくて、みんながラーメンなら「私も」。おそばが食べたきゃ食べりゃあいいのに(笑)。
矢野 それで思い出しました。大ヒットした映画「タイタニック」に絡んだジョークですが、豪華客船が沈没するときに、子どもと女性から先に降ろしたい船員が客をどう説得したかという話です。イギリス人に対しては、「レディファーストである」。アメリカ人に対しては、「残れば、お前はヒーローになれる」。ドイツ人に対しては、「これが規則だ」と言う。そして、日本人には、「みんな残っている」(笑)。
坂村 「みんな、残っている」か。「自律できていない」という話とまったく同じですね。だから嫌になっちゃうんですよ(笑)、どうしたらいいのかな、と。
 でも、いま何となく、少し良くなってきているかなと思うのは、みんなも何かおかしいと思いはじめている。いまの状況をいいと思っている人はいないということです。情報公開がなかなかできなかった日本でも、少しずつ公開されるようになってきている。遅ればせながら、なんとなく改善していくような感じがあるんですね。僕は、日本人って、改善とか改良するのは得意な民族だから、そういうふうにいくんじゃないかと思ってはいるんです。
 先ほどの話に戻りますが、小ちゃなものをつくるのが上手なのは、改善、改良のたまものです。常に問題点を見つけて、こういうふうにしたほうがいい、こうしたほうがいいと。だから少し前向きに考えると、日本人が気がついた場合は、意外と早いんじゃないかなと。いつまでもだめということはないだろうと。逆に言えば、日本のこれからの戦略は、得意な改善、改良のところに持ち込まないとだめだと思いますね。
矢野 僕も、ある種の気運は満ちているというか、時代の波はいい方向に動いていると思います。
 ユビキタスは、一神教の神があまねく存在するという意味ですよね。日本の神はどうかというと、八百万(やおよろず)の神です。そこで僕は、「ユビキタスは八百万のコンピュータ」というキャッチがいいんじゃないかと思いました。どこでも、いつでも、コンピュータにアクセスできるという状態に、日本の神々のイメージを重ねてはどうか。それは坂村さんもどこかでお書きになっていたと思いますが。「ユビキタスは八百万のコンピュータ」と言うと、日本人にとって得意の時代が到来するんだという意味も含ませられます(笑)。
 それはともかく、きょうは大変有意義で、かつ楽しいお話をどうもありがとうございました。



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