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かしこい生き方を考える COMZINE BACK NUMBER
メディア・プロデューサーとして活躍する:松本恭幸さん
コム人対談
松本恭幸さん

Part1 ブロードバンドビジネスの難しさ

 メディアを限定しないメディア・プロデューサー

Part2 ナローキャストの可能性

 ビデオジャーナリストの作品を配信
 学生たちがすぐれた作品を発表
 NPOの情報発信を支援するプロジェクト

Part3 始まった情報発信のうねり

 映像の発信は日本人に合うか
 120回続いたメディア研究会



Part2 ナローキャストの可能性

矢野

ブロードバンドは、とりあえず市民や地域、あるいは学校などの情報発信のメディアとして利用されていく、と松本さんは書いておられます。それが「ナローキャスト」だと。

松本

ナローキャストとは、マスを対象にした放送(ブロードキャスト)に対して、特定の地域、その他の様々なコミュニティの人たち向けに情報を発信することを意味しています。これまで映像メディアの領域では、ブロードキャストとともに、顔の見える仲間を相手に情報を発信するパーソナルキャストは存在しましたが、その中間がなかったというか、従来のCATVなどの放送では必ずしも充分にカバー出来ませんでした。ブロードバンドの普及によって、こうしたナローキャストの役割を担うメディア環境がやっと整ったのではないかと思います。
 私自身、ブロードバンドのコンテンツ・ビジネスに携わる中、ブロードバンドはあと何年かは、ブロードキャスト型の映像コンテンツ配信を配信する商用メディアとして成功しないのではないかと感じました。
 というのもブロードバンドを利用して映像配信することは出来ますが、その映像を制作(あるいは調達)し、配信するのに必要なコストを回収するビジネス・モデルが描けないからです。広告収入による無料コンテンツ配信、課金収入による有料コンテンツ配信とも、放送の方が遙かに費用対効果の面で優れています。
 それならばブロードバンドを放送と同じマスを対象にした映像コンテンツ配信のためのメディアとして考えるよりも、むしろ特定のコミュニティを対象に、情報を発信したい人たちが利用出来るメディアとして、その可能性を考えた方がよいのではないかと思いました。たとえばNPOやNGOが、自分たちのメッセージを映像に載せて不特定多数の人たちに伝えるため、ブロードバンドを利用するといったケースです。

矢野

松本さんご自身の体験から得た結論ですか。

松本

確かに私がNTT-Xでブロードバンド・サイト立ち上げの仕事に携わった経験は大きいですね。結局、ブロードバンドといいながら、現在はまだ実質ミッドバンド(中帯域)の状態で、これではテレビに対抗できません。もし本当の広帯域のブロードバンド環境が普及して、衛星や地上波放送に見劣りしない映像配信が、パソコンではなくテレビ向けに実現したら、状況は違ってくると思います。ただしその場合、光ファイバーのインフラを、インターネットとして利用するのではなく、波長多重技術を利用して放送(CATV)と同じ仕組みで映像を配信することで、著作権問題もクリアする形になるかと思います。

ビデオジャーナリストの作品を配信

矢野

ナローキャストの活用領域をビデオジャーナリスト、学生ネット、市民ネットの3つに分けておられますね。

松本

まずブロードバンドを利用したビデオジャーナリストの作品の配信についてお話しますと、私自身、NTT-Xでブロードバンド・コンテンツ事業に携わっていた時に、アジアプレス・インターナショナルに所属するビデオジャーナリストのドキュメンタリー映像をアーカイブしたサイトのプロデュース、ディレクションを担当しました。
 当時、gooのブロードバンドサイトで競合他社にないオリジナル・コンテンツを配信するのに、自らコンテンツを制作しても、コンテンツ・ホルダーの持つ優良コンテンツを1社独占契約で調達しても、まったく採算に合わない状況でした。そうした中で、オリジナル・コンテンツとして配信可能だったのが、日本、韓国、中国、フィリピンなどアジア各国のビデオジャーナリストが過去10年間に世界各地で撮影し、既に東京メトロポリタンテレビジョンや衛星放送の朝日ニュースターで放送されて制作費をリクープ(recoup=償却する)したドキュメンタリー映像でした。
 最近では放送局がプロダクションに発注して制作する映像作品の多くは、放送局に権利が帰属する(あるいは共同著作)契約になっていますが、ビデオジャーナリスト個人が制作し、完パケ(完成したパッケージ)で納品した作品については、放送後に一定期間を経て権利が本人にもどってきます。ですから作品の中で使われたBGMをカットすれば、そのままブロードバンドで配信可能です。
 また近年では、NHKを別にすると民放各局ともドキュメンタリー番組枠を減らしており、世界各地のドキュメンタリー映像を見たい人たちに、ビデオジャーナリストが撮った作品をアーカイブしたサイトは、そこそこ視聴ニーズがあるのではないかと考えました。そしてたまたま私自身、アジアプレスの野中(章弘)代表と何年も前から知り合いだったこともあり、アジアプレスに話をして実現するに至ったわけです。
 それでサイトの構成ですが、ただ単に映像をアーカイブしただけでは、ごく限られた人間がタイトルなどで検索して視聴するだけなので、映像を地域やテーマごとにまとめ、それを撮影したビデオジャーナリストに書き下ろしで解説記事を付けてもらい、ナビゲートする方式にしました。すなわち雑誌のルポのような構成で、記事中に配置されたサムネイル写真をクリックすると、その記事の内容に関連したドキュメンタリー映像を見ることが出来る仕組みです。アジアプレスから提供された約100本ほどのドキュメンタリー映像を、このようにしてサイトで公開しました。
 現在、インターネットにアクセスするユーザーの5割以上がブロードバンド経由になっていますが、それでもブロードバンド・コンテンツがほどんど視聴されないのは、今の実質中帯域の環境下で、パソコン上の小さなウインドウで映像を見るのが苦痛だからという理由が大きいと思います。そのため映像中心にテキストで注を付けるようなコンテンツの見せ方ではなく、テキストと写真で全体のストーリーを提示して、それに映像で注を付けるコンテンツの見せ方を考えました。
 このアジアのビデオジャーナリストの作品集は広告を入れて無料で視聴出来るようにしましたが、PRが充分でなかったこともあり、結果的にはそれほど視聴者は多くありませんでした。アジアプレスとの窓口となっていた私がNTT-Xをやめた後、契約の更新がなされず、アジアプレスが独自にサイトを立ち上げることになりました。

矢野

そのようなビデオジャーナリストの活動のサポートは意義のあることだと思いますが、なかなかユーザーには見てもらえない。それがいまのブロードバンドの現状ですね。

松本

これまで映像は、主に放送というマスコミを通して配信されてきました。活字はマスコミからミニコミまで様々な規模の公開手段があるのに、映像はマスを対象にした放送以外、個人で撮ったものを仲間内で見せるくらいしかありませんでした。けれどもブロードバンドは、その中間領域を埋めるメディアとして、多くの個人や団体の情報発信活動に利用されるようになるでしょう。

学生たちがすぐれた作品を発表

矢野

大学のブロードバンド活用はどんな状況ですか。

松本

稚内北星学園大学や京都精華大学など一部の大学では、数年前から学生にドキュメンタリーを中心とした映像制作について教えるクラスが開講され、そこで学んだ学生が自らの作品をストリーミング配信するインターネット放送局を立ち上げています。ここ1、2年は、他の大学でもそうした動きが相次いでおり、私が教えている武蔵大学でも、来年4月に社会学部の中にメディア社会学科を新設し、大学を拠点にしたインターネット放送局をプロデュースするような学生を育てる予定です。
 これまで大学の社会学の教育は、学生が社会の仕組みを主体的に読み解く能力を育むこと、すなわち社会の特質を理解し、メディアも含めた社会から発信される情報について、行間、背景を含めて理解する能力を身に付けることに重点が置かれたかと思います。けれども社会の仕組みを主体的に読み解くことが出来ても、それだけでは社会に対して主体的に情報発信し、働きかけていくことは出来ません。
 メディア社会学科では、学生が社会に対して、メディアを利用して主体的に情報発信し、大学という場を離れて不特定多数の人たちとコミュニケーションすることを通して、社会に働きかけていく能力を育みたいと思います。そのためには学生がインターネット放送局をプロデュースする体験を通して、学ぶことの意味は大きいと思います。

矢野

教える人が不足していませんか。

松本

おっしゃるとおり、不足していますね。稚内北星学園大学や京都精華大学の場合、かつてTBSで報道番組のディレクターをしていた松野良一さんが、在職中から夏休みなどを利用して、非常勤で映像制作の集中講義をしていました。松野さんはこの3月末でTBSを退職し、今、中央大学総合政策学部の助教授として、学生に映像制作を教えていますが、やはりこうしたキーパースンがいないと、学生が優れた映像作品を制作し、インターネット放送局を立ち上げてそれを学外に向けて配信して、パブリックなコミュニケーションを目指す方向へと向かうのは、なかなか難しいですね。

矢野

学生の自主運営によるインターネット放送局「めでぃすた慶應」もよくできたサイトですね。パレスチナに単独で出かけた女性の報告などよかったですよ。

松本

2年前に立ち上がっためでぃすた慶應は、もともと学内向けのキャンパス放送局としての色彩が強かったのですが、徐々に学生の関心が社会的なテーマに向いてきて、学外の人たちも対象に様々なメッセージを込めた番組を配信するようになりました。このインターネット放送局を立ち上げたのが、慶應大学メディア・コミュニケーション研究所の酒井由紀子先生のクラスの学生たちです。
 酒井先生は中央大学卒業後、出版編集者を経てしばらく専業主婦をしてから、慶應のメディア・コミュニケーション研究所の職員として勤められましたが、大学から学生にパソコンを教えてほしいと頼まれ、非常勤講師になりました。そして一昨年、NTTにいた慶應の卒業生の依頼で、NTT東日本のブロードバンド・コンテンツ配信実験で流す映像番組を、酒井先生のクラスの有志で制作することになり、そのため酒井先生自身も学生とともに映像を独学で勉強され、映像制作を教えるようになりました。
 そしてこの実験への参加がきっかけで酒井先生のクラスの有志は、実験終了後に今度は自分たちの手で映像番組を制作・配信すべく、めでぃすた慶應というインターネット放送局を立ち上げた次第です。
 最初はキャンパス・コミュニティ向けに、学内のニュースなどを映像で配信する番組が多かったものの、最近では昨年末にアフガニスタンを訪れた学生たちが、学生の視点で見た現地の様子を映像でレポートし、首都カブール市内のインターネット・カフェから日本に向けてデイリー配信するなど、学外の多くの人たちが関心を持つ企画が生まれるようになりました。  これは最初はキャンパス放送局からスタートとしても、それにとどまらず学生の関心が外に向かっていく可能性があることを示しています。

矢野

ドキュメンタリー制作会「Az(アズ)」も学生が運営しているのですか。

松本

Azは98年にドキュメンタリー制作を目的に慶應大学のサークルとして誕生しましたが、今は中央大学、早稲田大学、武蔵大学などの学生も参加するようになり、60人ほどの学生が所属するインターカレッジのサークルとなっています。メンバーが個人やグループで映像作品を制作するとともに、2000年からは「Azコンテスト」というドキュメンタリー専門の映像祭を毎年開催し、学生が制作した優れたドキュメンタリー作品の発表の場となっています。
 Azが誕生したきっかけは、TBS報道局ディレクターの黒岩亜純(あずみ)さんが、市民によるニュース報道の可能性を求めたことにあります。黒岩さんは91年にTBSに入社し、翌年から「ニュース23」のディレクターになりますが、取材の際に、カメラマン・音声・照明などテレビクルーが大人数で繰り出すやり方に疑問を抱き、自らでビデオカメラを持って取材するようになりました。
 というのも、大人数では取材対象者が臆してしまってなかなかホンネで話してくれないからです。だが、報道記者がビデオを持つことに、当時、社内では反発もあったようです。いまでは報道記者も最低限の映像をおさえられるようにと全員にカメラを持たせているようですが、黒岩さんが目指したのは最低限の映像をおさえることではなく、取材対象に密着して、ホンネを引き出すことだったのです。
 その後、94年に黒岩さんはメディア・ワークショップ主催のビデオジャーナリスト養成講座を取材し、自分のやろうとしていたことがビデオジャーナリストに近いことを知りました。そして翌年、夏休みを利用して、アメリカのビデオジャーナリズム視察ツアーに参加した際に、もしかしたらプロのビデオジャーナリストどころか、一般の市民でも様々なニュース映像が撮れるのではないかと考えるようになりました。
 帰国後、そうした思いを秘めていたものの、具体的にどう実現すればよいのかわからずにいたそうですが、たまたま97年に就職活動のOB訪問で慶應大学の学生が訪ねてきて、テレビ局に入ってドキュメンタリー作品を作りたいという話を、黒岩さんにしました。黒岩さんはドキュメンタリーならテレビ局に入らなくても作れると答えたところ、それなら作り方を教えてくださいと言われ、翌年にドキュメンタリー制作会Azを立ち上げたんです。
 当初は黒岩さんの母校である慶應大学の前でビラを配り、慶應のサークルとして出発しましたが、そのうちほかの大学にも広がりました。この前、外部上映会に武蔵大学の学生を連れて行ったら、何人かが関心を持って参加することになりました。

矢野

Azの会員が作った作品はホームページで公開しているのですか。

松本

一部公開していますね。毎年12月にはAz主催でドキュメンタリー映画祭「AzContest」を開催していますが、2001年にグランプリを受賞したのが引きこもりの兄を描いた弟の作品『home』でした。この作品は他の映画祭でもいくつか賞を受賞し、また劇場公開もされるなど話題となりました。日本映画学校の学生が卒業制作で作ったものです。2002年のグランプリを受賞した『向かい風来るまで〜おやじの唄〜』も強烈な作品で、やはり日本映画学校の学生が作りました。いまやAzのコンテストは、ドキュメンタリー制作をしている全国の学生の登竜門にもなっています。
 日本映画学校でドキュメンタリー制作を教えているのは、『ゆきゆきて、神軍』の監督の原一男さんと、その助監督をやっていた安岡卓治さんで、原さんはAzコンテストの審査員もやっています。

NPOの情報発信を支援するプロジェクト

矢野

最後に市民運動のツールとしてのブロードバンドはどうですか。

松本

これまでNPOは広報手段として、ミニコミやウエブサイトを利用して活字ベースの情報を発信していましたが、最近では自分たちの活動を映像で記録し、紹介したいというニーズも増えて来ました。こうしたNPOの取り組みを支援するプロジェクトも、いくつか動き始めています。
 関西学院大学の山中速人教授を中心としたグループと、神戸のNPOであるツール・ド・コミュニケーションが共同で2002年10月から「NPO/NGOのための"ビデオ制作ゼミナール"」を開講しました。これは市民団体を対象に、映像による情報発信力の向上を目的としたプロジェクトで、7つの団体の関係者が参加し、それぞれの活動を紹介する映像制作に取り組みました。その講座や制作の過程はビデオで記録され、映像制作の教材としてDVDに収録して全国の市民団体に配布される予定です。
 ツール・ド・コミュニケーションの代表は日比野純一さんという方ですが、日比野さんが世界を放浪しようと、毎日新聞の記者を辞めた直後の95年1月に、阪神淡路大震災が起きました。神戸に駆けつけて救援活動をおこなう中、被災した在日外国人に必要な生活情報を伝えるべく、韓国語、ベトナム語のミニFM局の立ち上げに関わり、それが今日、神戸市長田区で150名以上のボランティア・スタッフを抱え、8カ国語で放送を行っている多言語コミュニティ放送局「FMわぃわぃ」へと発展しています。
 その後、日比野さんはツール・ド・コミュニケーションというNGOを立ち上げ、NPO、NGOがコミュニケーションのツールとしてパソコンやインターネットを活用することを支援する活動を開始しました。当初は、企業や個人から不要になったパソコンを寄付してもらい、NPO、NGOに技術サポートと合わせて提供するリサイクル活動を中心に行っていました。現在ではその延長で、NPO、NGOがブロードバンドを利用して自らのメッセージを映像で発信出来るよう、関西学院大学と共同で今回のプロジェクトを企画しました。

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Part3 「始まった情報発信のうねり」
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