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矢野 |
大学のブロードバンド活用はどんな状況ですか。
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松本 |
稚内北星学園大学や京都精華大学など一部の大学では、数年前から学生にドキュメンタリーを中心とした映像制作について教えるクラスが開講され、そこで学んだ学生が自らの作品をストリーミング配信するインターネット放送局を立ち上げています。ここ1、2年は、他の大学でもそうした動きが相次いでおり、私が教えている武蔵大学でも、来年4月に社会学部の中にメディア社会学科を新設し、大学を拠点にしたインターネット放送局をプロデュースするような学生を育てる予定です。
これまで大学の社会学の教育は、学生が社会の仕組みを主体的に読み解く能力を育むこと、すなわち社会の特質を理解し、メディアも含めた社会から発信される情報について、行間、背景を含めて理解する能力を身に付けることに重点が置かれたかと思います。けれども社会の仕組みを主体的に読み解くことが出来ても、それだけでは社会に対して主体的に情報発信し、働きかけていくことは出来ません。
メディア社会学科では、学生が社会に対して、メディアを利用して主体的に情報発信し、大学という場を離れて不特定多数の人たちとコミュニケーションすることを通して、社会に働きかけていく能力を育みたいと思います。そのためには学生がインターネット放送局をプロデュースする体験を通して、学ぶことの意味は大きいと思います。
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矢野 |
教える人が不足していませんか。
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松本 |
おっしゃるとおり、不足していますね。稚内北星学園大学や京都精華大学の場合、かつてTBSで報道番組のディレクターをしていた松野良一さんが、在職中から夏休みなどを利用して、非常勤で映像制作の集中講義をしていました。松野さんはこの3月末でTBSを退職し、今、中央大学総合政策学部の助教授として、学生に映像制作を教えていますが、やはりこうしたキーパースンがいないと、学生が優れた映像作品を制作し、インターネット放送局を立ち上げてそれを学外に向けて配信して、パブリックなコミュニケーションを目指す方向へと向かうのは、なかなか難しいですね。
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矢野 |
学生の自主運営によるインターネット放送局「めでぃすた慶應」もよくできたサイトですね。パレスチナに単独で出かけた女性の報告などよかったですよ。
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松本 |
2年前に立ち上がっためでぃすた慶應は、もともと学内向けのキャンパス放送局としての色彩が強かったのですが、徐々に学生の関心が社会的なテーマに向いてきて、学外の人たちも対象に様々なメッセージを込めた番組を配信するようになりました。このインターネット放送局を立ち上げたのが、慶應大学メディア・コミュニケーション研究所の酒井由紀子先生のクラスの学生たちです。
酒井先生は中央大学卒業後、出版編集者を経てしばらく専業主婦をしてから、慶應のメディア・コミュニケーション研究所の職員として勤められましたが、大学から学生にパソコンを教えてほしいと頼まれ、非常勤講師になりました。そして一昨年、NTTにいた慶應の卒業生の依頼で、NTT東日本のブロードバンド・コンテンツ配信実験で流す映像番組を、酒井先生のクラスの有志で制作することになり、そのため酒井先生自身も学生とともに映像を独学で勉強され、映像制作を教えるようになりました。
そしてこの実験への参加がきっかけで酒井先生のクラスの有志は、実験終了後に今度は自分たちの手で映像番組を制作・配信すべく、めでぃすた慶應というインターネット放送局を立ち上げた次第です。
最初はキャンパス・コミュニティ向けに、学内のニュースなどを映像で配信する番組が多かったものの、最近では昨年末にアフガニスタンを訪れた学生たちが、学生の視点で見た現地の様子を映像でレポートし、首都カブール市内のインターネット・カフェから日本に向けてデイリー配信するなど、学外の多くの人たちが関心を持つ企画が生まれるようになりました。
これは最初はキャンパス放送局からスタートとしても、それにとどまらず学生の関心が外に向かっていく可能性があることを示しています。
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矢野 |
ドキュメンタリー制作会「Az(アズ)」も学生が運営しているのですか。
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松本 |
Azは98年にドキュメンタリー制作を目的に慶應大学のサークルとして誕生しましたが、今は中央大学、早稲田大学、武蔵大学などの学生も参加するようになり、60人ほどの学生が所属するインターカレッジのサークルとなっています。メンバーが個人やグループで映像作品を制作するとともに、2000年からは「Azコンテスト」というドキュメンタリー専門の映像祭を毎年開催し、学生が制作した優れたドキュメンタリー作品の発表の場となっています。
Azが誕生したきっかけは、TBS報道局ディレクターの黒岩亜純(あずみ)さんが、市民によるニュース報道の可能性を求めたことにあります。黒岩さんは91年にTBSに入社し、翌年から「ニュース23」のディレクターになりますが、取材の際に、カメラマン・音声・照明などテレビクルーが大人数で繰り出すやり方に疑問を抱き、自らでビデオカメラを持って取材するようになりました。
というのも、大人数では取材対象者が臆してしまってなかなかホンネで話してくれないからです。だが、報道記者がビデオを持つことに、当時、社内では反発もあったようです。いまでは報道記者も最低限の映像をおさえられるようにと全員にカメラを持たせているようですが、黒岩さんが目指したのは最低限の映像をおさえることではなく、取材対象に密着して、ホンネを引き出すことだったのです。
その後、94年に黒岩さんはメディア・ワークショップ主催のビデオジャーナリスト養成講座を取材し、自分のやろうとしていたことがビデオジャーナリストに近いことを知りました。そして翌年、夏休みを利用して、アメリカのビデオジャーナリズム視察ツアーに参加した際に、もしかしたらプロのビデオジャーナリストどころか、一般の市民でも様々なニュース映像が撮れるのではないかと考えるようになりました。
帰国後、そうした思いを秘めていたものの、具体的にどう実現すればよいのかわからずにいたそうですが、たまたま97年に就職活動のOB訪問で慶應大学の学生が訪ねてきて、テレビ局に入ってドキュメンタリー作品を作りたいという話を、黒岩さんにしました。黒岩さんはドキュメンタリーならテレビ局に入らなくても作れると答えたところ、それなら作り方を教えてくださいと言われ、翌年にドキュメンタリー制作会Azを立ち上げたんです。
当初は黒岩さんの母校である慶應大学の前でビラを配り、慶應のサークルとして出発しましたが、そのうちほかの大学にも広がりました。この前、外部上映会に武蔵大学の学生を連れて行ったら、何人かが関心を持って参加することになりました。
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矢野 |
Azの会員が作った作品はホームページで公開しているのですか。
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松本 |
一部公開していますね。毎年12月にはAz主催でドキュメンタリー映画祭「AzContest」を開催していますが、2001年にグランプリを受賞したのが引きこもりの兄を描いた弟の作品『home』でした。この作品は他の映画祭でもいくつか賞を受賞し、また劇場公開もされるなど話題となりました。日本映画学校の学生が卒業制作で作ったものです。2002年のグランプリを受賞した『向かい風来るまで〜おやじの唄〜』も強烈な作品で、やはり日本映画学校の学生が作りました。いまやAzのコンテストは、ドキュメンタリー制作をしている全国の学生の登竜門にもなっています。
日本映画学校でドキュメンタリー制作を教えているのは、『ゆきゆきて、神軍』の監督の原一男さんと、その助監督をやっていた安岡卓治さんで、原さんはAzコンテストの審査員もやっています。
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