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かしこい生き方を考える COMZINE BACK NUMBER
メディア・プロデューサーとして活躍する:松本恭幸さん
コム人対談
松本恭幸さん

Part1 ブロードバンドビジネスの難しさ

 メディアを限定しないメディア・プロデューサー

Part2 ナローキャストの可能性

 ビデオジャーナリストの作品を配信
 学生たちがすぐれた作品を発表
 NPOの情報発信を支援するプロジェクト

Part3 始まった情報発信のうねり

 映像の発信は日本人に合うか
 120回続いたメディア研究会



Part3 始まった情報発信のうねり

矢野

ビデオジャーナリスト、学生、市民と、3分野におけるブロードバンドの可能性をうかがったわけですが、映像で自分たちの表現活動をしようという動きはさかんになりつつあるということですか。

松本

昔に比べてかなり活発になりましたが、まだ欧米諸国と比べると充分ではありません。日本で市民による映像を利用した情報発信がこれまでほとんど行われてこなかった背景として、アメリカや多くのヨーロッパの国に見られるような政府や自治体が保障する制度としての「パブリック・アクセス」というものが、存在しなかったことが指摘されます。
 パブリック・アクセスとは、市民が番組を制作し、それを放送メディアを利用して不特定多数の人たちに発信することです。アメリカでは市民によるテレビ・メディアへのアクセス権の要求に対し、72年にFCC(連邦通信委員会)が、市場規模で上位100都市のケーブルテレビ局に、パブリック・アクセス・チャンネルの設置を義務づけたのが始まりで、それ以外の都市のケーブルテレビ局も自治体の要求によりパブリック・アクセス・チャンネルを設けるようになりました。
 その後、FCCの規制は連邦最高裁で違憲判決が下されますが、自治体が要求することは認められ、多くの自治体がケーブルテレビ局とのフランチャイズ契約の条件にパブリック・アクセス・チャネルの設置を義務づけるようになりました。
 ヨーロッパでも、ドイツのオープン・チャネルを始め、多くの国にパブリック・アクセスの制度が広まりました。ただ日本では政府、自治体が市民のテレビ・メディアへのアクセス権を制度として保障しておらず、アメリカと同様の放送事業者が(放送法に反しない限り)編集権を行使しないパブリック・アクセス・チャンネルは、鳥取県米子市の中海テレビ放送が設置しているだけです。また東京の武蔵野三鷹ケーブルテレビなど、市民グループに対してコミュニティ・チャンネルの番組枠の一部を開放している放送局は、数は多くないものの他にもありますが、市民メディアに理解のある人間が放送局側にいない限り、市民が放送番組枠を利用して自らの制作した番組を配信することは出来ませんでした。
 こうした中、ブロードバンドが普及し、市民自らストリーミング・サーバーを立ち上げ、映像配信することが出来るようになりました。多少の技術があれば、サーバーと無停電電源装置を購入する初期費用に100万円、あとは月額4万円程度の通信費でインターネット放送局を運営することが出来るのです。
 ただ多くのNPOにはまだそのノウハウがない。そこで先ほどお話しした「NPO/NGOのための"ビデオ制作ゼミナール"」のようなプロジェクトが生まれたわけです。一方、学生は社会人に比べてそうしたスキルを身につけやすく、また大学も学生に対して学内のインフラを開放するケースが増えています。その理由の1つは、学生によるキャンパス放送局から学外に向けての情報発信が、大学自体のプロモーションにもつながるからです。
 そしてメディアリテラシー教育が普及する中で、さらに一歩進んでメディアアクセス、つまりメディアを利用して社会の不特定多数の人たちに対して情報発信することに、関心を持つ学生が増えているといった状況も見られます。

矢野

底辺において大きなうねりが起こりつつあるということですね。

松本

これまでもナローバンドのインターネット環境下で、テキストや写真を利用して、不特定多数の人たちにメッセージを伝えようとする試みは多数ありました。今後、制作に手間はかかるがよりインパクトのある映像が、どれだけこれに加わるかだと思います。

映像の発信は日本人に合うか

矢野

僕は『情報編集の技術』という本で、これからの一億総エディター時代においては、誰もが編集の基本的技術を身につけた方が、個人のためにも、社会のためにもいいと書きましたが、そのときは映像はまだ早いと思って(ほんの1年前のことですが)、ほとんどふれませんでした。何しろ、映像の編集ソフトは1000万円オーダーの高価なもので、個人には手が届かなかったんですね。
 いまやその映像による自己表現が、若い人やNPOを中心に日本で広がっているわけですね。ところで、ブログ(Blog=HTMLなどの知識がなくても簡単に個人がウエブに情報を掲載できるソフト)のように自分の意見や日記をサイトにアップするツールは、アメリカではさかんに使われているが、日本ではそれほどでもありません。
 その一方で、メールマガジンは数多く発行され、読者も多い。また「2ちゃんねる」のような掲示板もにぎわっている。これは僕の仮説ですが、メールマガジンは半ばクローズドな仲間向けであり、2ちゃんねるは匿名です。これに対して、ブログは実名で、ストレートに社会とつながってしまう。いきなり個人対社会の関係になるわけですね。そういう関係を日本人は苦手なのではないかと思うんです。
 映像表現は言葉の壁もなく、ストレートに社会に伝えられる。こうした直接的に社会とつながり合う情報発信がどれだけ日本人に合うのか、どれほどの日本人がこうした情報発信をするのか、また見る人はどれほどいるのか。この点はどうでしょうか。

松本

制度としてのパブリック・アクセスが日本にないため、映像の利用が遅れたことは確かです。ただ、アメリカでもパブリック・アクセス・チャネルが誕生した当初は、それほど市民による映像を利用した情報発信活動が活発だったわけではありません。全米各都市でさかんになるまでには10年から20年という時間がかかっています。
 同じように日本でもブロードバンドが普及したからといって、すぐに誰もが映像を利用してメッセージを社会に向けて発信するようにはならないでしょう。やはり10年から20年の時間が必要だと思います。ゆくゆくはマスメディアにとって代わるということではなく、ブロードバンドによる情報発信が社会の中で、一定の役割を担うようになると思います。
 日本人は情報発信活動が苦手だという意見もありますが、一部のケーブルテレビでは市民による番組制作が活発に行われていますし、またラジオの世界では全国に150局以上あるコミュニティFMの多くで、市民が番組制作に関わっています。ですから一定のニーズはあると思います。

120回続いたメディア研究会

矢野

映像に限らず、テキストも写真も含めて、いろいろな情報がさまざまな形で流れるようになることは間違いないでしょうね。その中で、マスメディアは自分たちのアイデンティティをどう確立していけるか、という点についてはどうお考えになりますか。

松本

いかに市民メディアが増えていこうとも、私はマスメディアの地位は揺るがないと思います。新聞の発行部数が減るとか、若い女性がテレビを見なくなったとか、もしマスメディアの市場が縮小するなら、それは市民メディアの影響ではなく、日本の経済社会それ自体の影響ではないでしょうか。

矢野

しかし、人々にとって、見たり聞いたりする情報が増えていくことは避けられません。これまで情報の多くはマスメディアによって提供されていたわけですが、市民メディアなんかも24時間、質の高い情報を提供するようになったら、マスメディアを見る時間は相対的に減りますからね。
 なぜ週刊誌や雑誌が売れなくなったか。かつては電車の中や、ちょっとした待ち時間などに、時間つぶしのために雑誌を買った。いまはケータイでおしゃべりですよ。手持ちぶさたの時間がなくなってきた。放送も、地上波、BS(放送衛星)、CS(通信衛星)といろんな種類があって、BSはたいへん苦戦しています。地上波と同じ内容の番組をどうしてBSで見るのかという話は最初からあったんですね。多メディア下における個々のメディアの戦略があいまいなまま、ただひたすら拡張主義で走ってきた結果ともいえます。CSはBSよりさらに視聴対象が狭く、それだけ制作費もかけられない。その先にブロードバンド通信があるわけです。こうした中で、マスメディアが自らのアイデンティティを見出すのはなかなか難しいと僕は思いますね。
 ところで、長さ数分から30分程度の短編映画、ショートフィルムが一時はやりましたが、日本ではどうなんでしょう。

松本

ショートフィルムについては、日本では特殊な事情があって、これまでマーケットが出来なかったんです。それを作ろうとしたのがギャガ・コミュニケーションズのような配給会社です。ショートフィルムを束ねてそれを劇場で見せようとしたわけです。
 またヨーロッパでショートフィルムが多く作られたのは、テレビ番組の時間枠がまちまちで、その隙間を埋めるためにショートフィルムを流したことなどが背景にあります。ところが日本では番組の長さがきっちり30分や1時間の枠に収まるように制作されており、ショートフィルムを流す枠も見る習慣も生まれませんでした。

矢野

ブロードバンド・コンテンツは、映像ではなく静止画と音声が中心で、ラジオのようなトーク番組が過渡期的なものとして機能しているという話もありましたが……。

松本

トーク番組の方が映像番組より費用対効果の面で、商業ベースの採算に乗せやすい面はありますが、アメリカのようにインターネットラジオ局が日本で普及しないのは、音楽を配信する際の著作権問題があるからです。音楽を流すのが難しいため、結果として特定の層を対象にしたニッチでコアなトーク番組しかできないんですね。例えばアスキーが始めた(いまはAII)「ラジ@(ラジアット)」や、ビデオニュース・ドットコムの「マル激トーク・オン・デマンド」などは、主にサブカルチャーに関心の強い団塊ジュニア世代の若者をターゲットにして成功しました。
 「マル激トーク・オン・デマンド」は、若者に人気の高い社会学者の宮台真司さんとビデオジャーナリストの神保哲生さんのトーク番組で、有料のブロードバンド・コンテンツとしては数少ない成功例になりました。

矢野

最後に松本さんが主催しておられる「メディア研究会」という勉強会についてお伺いします。始められたきっかけは何だったのですか。

松本

バブルの頃、異業種交流会が流行っていて、その中でも最大手といわれたのが「丸の内青年倶楽部」という会です。ディスコを借り切って1000人以上の参加者を集めてパーティーを開き、メーカーにスポンサーになってもらい、ビンゴの賞品として車をプレゼントするなど、今から考えるとずいぶんバブリーなことをやっていました。その分科会の一つが「メディア研究会」で、私はスタッフとして関わっていました。
 ところがバブルがはじけて、企業スポンサーが離れると、本体は活動を継続出来ずに解散となり、分科会は自由に活動することになりました。そこでそれまでのような遊びのサークルではなく、幅広くメディアについて勉強する会にしようと、94年6月に内容を改めて再スタートしました。今でも続いており、これまで120回の勉強会を開催しています。他にも年に1、2回、国内外へのメディア視察ツアーを行っています。
 2001年12月には100回記念企画として、同時多発テロ事件後のニューヨークに9人で行って来ました。それまでメディア研究会では、「マイノリティ社会の中のメディア」をテーマに、国内の在日外国人メディアについて何度か勉強会を行ってきましたが、それと対比するためニューヨークでは、コロンビア大学の図書館の会議室を借りて在外日本人メディアについて勉強会を行い、「ジパング」、「週刊Nuts」などの現地の日本人生活情報誌の発行人の方から話をうかがいました。

矢野

研究会も多いときは50人ほど参加者があるようですね。それで120回とはたいしたものです。僕自身も講師として呼んでいただいたり、興味深そうなテーマの時に参加させてもらったりと、ずいぶん勉強させていただきました。今後も頑張って続けてください。今日は、あまりなじみのない映像の世界の興味深いお話を聞かせていただき、どうもありがとうございました。

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撮影/岡田明彦 Top of the page

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