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矢野
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話題を研究の方に移しましょう。実務の世界からアカデミズムにお入りになったからこそ、既存の学問領域にとらわれず、ある意味で“無謀”な挑戦もできるんでしょうか(笑)。その敢闘精神がすばらしいと僕は思っているわけです。それが、今日おうかがいしたい大きなポイントです。林さんが言っておられる「アナログからデジタルへの大転換にふさわしい法体系の抜本的見直し」というような大仕事は、アカデミズムの世界にずっといた学者にはなかなかできないことでしょう。
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林
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経済学的に言えば、投資効果から見ても、こんな分野はやるべきじゃないでしょうね(笑)。そもそも私がこうした問題に取り組みはじめたきっかけは、NTT民営化にあったのかもしれません。当時、私は民営化を指揮した真藤(恒)さんの下で働いていましたが、真藤さんはこんなことをいいました。
「船大工と船を使う人のビジネスはまったく別だ。通信自由化でも、インフラづくりとサービス提供会社は分けるべきである」
インフラ屋はインフラづくりに特化しろというんですが、私たちは抵抗して、結局、一種・二種の区分(設備を自前で作ってサービスを提供する事業者が一種、設備を他者から借りてサービスを提供する事業者が二種)ができました。そのとき、法律家は法律をつくれても概念を生み出すような大きな判断はできないと痛感しました。それならば経済学で答を見つけようと、独学で経済学の勉強をはじめました。当時、アメリカの航空輸送産業自由化の裏付けに使われていた「コンテスタブル・マーケット」理論などを学びました。職場においても、真藤さんの記者会見のためにその日のうちに資料を集めて、翌日までに案を作り上げるなんてことをやっていましたが、たいへん勉強になりました。それが私の原点です。
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矢野
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NTTでの部署はどこでしたか。
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林
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計画局総括課長というポストにいました。マスコミや識者に対して民営化の意義を説明するのが役割です。民営化以前はまさに計画経済の元締めみたいな仕事をしていたわけですから、仕事内容がまったく変わりました。だから先輩に聞いても分からず、手探りで進むしかありませんでした。
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矢野
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そこで将来の情報通信のあり方についてお考えになったわけですね。
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林
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サラリーマンとしては、たいへん幸せでした。初期のデータ通信の仕事をやり、予算担当として電話料金の大幅値上げも体験しました。親方日の丸から一気に民営化へという大仕事もして、その後は今のパケット通信の初代事業部長になりました。NTTアメリカの社長としてアメリカへ行ったら、“輝ける”クリントン・ゴア時代になった。ともかくいつも忙しかったですからね。その流れでいけば、大学院大学も期待できるんですけど(笑)。
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矢野
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「情報メディア法」を「情報(メッセージ)を運ぶ手段としてのメディアに関する法」と定義しておられます。取り上げるのが「法」とは言え、現代情報社会をまるごと対象にしているわけですね。林さんのこれまでの仕事の総仕上げですか。
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林
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昨年秋に論考をまとめましたが、メディア・インフラとコンテンツを含む情報メディアに関する法を包括的かつ体系的に記述したもので、マスメディア法と電気通信法を総合して情報メディア法という視点から書き上げました。
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矢野
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林さんの仕事はこのようにまとまっていくものだったのかと、ようやく分かりました(笑)。法、技術、メディアなど現代社会のさまざまな場面で起きている事象は、フラクタルのマンデルブロ集合のようにいずれも同じような要素をかかえており、その全体を見通すことはむつかしいけれど、だからといって個別に解決しようとしても無理なんですね。
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林
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97年に学者になって、いったい自分に何ができるのかと考えたときに、著作権は面白いと思ったんです。しかし、それを研究するためには幅広い分野をカバーする必要があり、あれこれやっているうちに7年もかかってしまいました。
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矢野
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7年の取り組みが結晶化したわけですね。
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林
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まだきれいな結晶ではないですが、世界で初めて挑戦したという自負はありますね。情報メディア法は、言ってみれば、情報基本権とマスメディア、著作権制度の三題噺のようなものです。
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矢野
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林さんのドンキホーテ的突撃精神(笑)に拍手、という感じです。そんな構想力のない僕自身は、林達夫が言うところの「ポピュラライザー」として、せめては問題の所在でも一般の読者にわかりやすく提示できればと思っています。
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林
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ポピュラライザーにお任せした方がいい書物になるかもしれませんね(笑)。
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矢野
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著作権でも情報基本権、メディア、あるいは会社組織でも、興味をお持ちになったものをずっと考えてこられて、ある結論に到達された。
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林
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それは後付けかもしれません。
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矢野
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情報基本権というのは、2000年に「包括メディア産業法の構想」という論文で示されたお考えですね。僕はこの考えが大いに気に入って、『サイバーリテラシー』の中でも紹介させていただきました。
これは、従来マスメディアの特権とされてきたものを、本来そうであるべき個人の権利として再構築するものだと思いますが、その背景には、ITの発達によって個人も情報の発信力を持ち、パーソナルメディアとマスメディアが錯綜するようになった「総メディア社会」があると思います。その中で、「表現の自由」はマスメディアだけの権利ではなく、個人のものとして再構築する必要があるということですね。
いわゆる「表現の自由」は、これまでマスメディアの権利として語られることが多く、個人の観点から論じられることは少なかったですね。東京大学の長谷部恭男教授などはその点から問題をとらえなおそうとしているようですが、そういう意見は、メディアの側からすると、従来の「報道の自由」をどちらかというと軽視すると受け止められますね。しかし、現実はどんどん進んでいる。もはや「表現の自由」も、マスメディアだけをめぐって議論することはできない。その問題の本質を、林さんは「情報基本権」という形ですっきりしすぎるくらいに提示された。いきなり個人の権利まで降りていったわけです。それはメディア産業法という構想の中で語られたけれども、非常に説得力がありました。
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林
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当初はあまり価値観に左右されないパイプの部分の産業的あり方を書こうとしていたんだけれど、パイプの自由とコンテンツの自由は無縁ではあり得ないことに気づきました。パイプと中身の関係をもう少し論じようと思って、憲法やアメリカの裁判例の勉強をはじめると、これが面白くてのめり込んでいきました。メディア・インフラとコンテンツのことを中心に論ずるつもりだったのが、結局、インフラ以外の話が重要になっていったわけです。
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矢野
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その突き進んでいった先に僕は共鳴した。例の論文では、情報基本権を以下の7つに分類しています。(1)思想・信条の自由、(2)言論の自由、(3)名誉権、(4)信用権、(5)プライバシー権、(6)創作者人格権、(7)ダイレクト・アクセス権(マスメディアのためのアクセス権ではなく個人のための)。この構想はいまも同じですか。。
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林
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今では9つになっていますが、基本は変わりません。情報権については、公文俊平さんが世界的に見ても相当早く言及されたと思いますが、一般的には情報という財の扱いを正面切って論ずるというのは、かなり無謀な試みでしょうね。というのも情報は無体物なので、盗まれたとしても刑法的には罰するのは難しい。法学者にはなかなか解決できない問題なんです。
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