矢野 ジャストシステムのワープロソフト、一太郎と、そのフロントエンドプロセッサ、ATOKについてお伺いします。
   フロントエンドプロセッサは、最近ではIMEと呼ぶことも多いようですが、ATOKの辞書をつくるために、小林さんはジャストシステムでATOK監修委員会を組織して、活動してこられました。11月29日(2001年)にはATOK監修委員会10周年記念シンポジウムが開かれ、私も参加させていただきましたが、そのときいただいた資料集はすばらしかったですね。
小林 監修委員会の座長をお願いしている紀田順一郎さんの設立当時の苦労話や、先日来『月刊アスキー』に連載されていた「ATOK監修委員会インサイドストーリー」などが載っています。これはお宝になりますから(笑)。
矢野 拝見しながら、わが身を思い出したんですが、僕は、1988年にパソコンの初心者向けガイド誌『ASAHIパソコン』を創刊しましたが、その1年前に『ASAHIパソコン・シリーズ』というムックを5冊つくりました。第1巻は「思いっきりPC98」というタイトルで、当時パソコンの圧倒的シェアを占めていたNECのパソコン、PC98シリーズがテーマです。
   興味深いのはワープロソフトの紹介で、最初に一太郎のバージョン2があります。それからアスキーのThe Word、大塚商会のオーロラエース、エー・アイ・ソフトの創文、東海クリエイトのユーカラart、管理工学研究所の松86、ダイナウエアのデスクup、日本マイコン販売のテラV世、ジィスクソフトウエアの美文、ビー・エス・シーのしのぶれど、リード・レックスの弘法U…。
小林 懐かしいですね。
矢野 表に載っているワープロソフトだけで24あります。群雄割拠のパソコン黎明期をよく反映していますね。一太郎の解説には、「パソコンをワープロだけでなく、表計算やデータベースとしても利用したい人には、入力フロントエンドプロセッサー機能がうれしい」と。ATOK5については、他のアプリケーションに組み込んでデータ入力できることが「非常にすばらしい機能」として紹介されています。ハードディスクがまだ普及していなくて、速度アップのためにラムディスクを装着するのが当時の先進的ユーザーだったんですね。
   ちなみに、当時僕が使っていたパソコンのスペックと、いまのを比べてみましょう──パソコンは9801UV2、ご存じですか。
小林 知ってますよ。3.5インチのやつでしょう。
矢野 3.5インチのフロッピーディスク・ドライブが初めてついた機種で(以前は5インチ)、基本ソフトであるOSはMS-DOS。CPUが16ビット、クロック数10メガヘルツ。X30です。メモリーが384キロバイト。ハードディスクなし、後に20メガバイト外付け――こういう具合ですね。いまはOSがWindows2000、CPUが32ビット、466メガヘルツ。466メガヘルツというのは、もはや遅いですね。
小林 遅いですね。
矢野 メモリーが192メガバイト、ハードディスク20ギガバイト。単純に比較して、パソコンの演算速度で45倍、さまざまな処理を行う仕事場であるメモリーで500倍、データなどの記憶装置、ハードディスクで1000倍です。つまり、いまのパソコンと比べると格段の差です。
   そんな「太古」の時代から、小林さんはパソコンの辞書づくりを通して、パソコンと文章、技術と言語、さらには技術と文化についてお考えになってこられました。
小林 そういうことになりますね。僕がジャストシステムに入ったのは1989年ですから、かかわったのはATOK8からです。
矢野 基本的なことをお聞きしますが、ワープロの日本語入力の方法は、ほぼいまの形でまとまったと考えていいのかどうか。いまでもキーボード入力が面倒だと言う人もいるんですが、今後どうなっていくでしょう。
小林 そう聞かれても困るんですが…(笑)。インターフェースとしてのキーボードは、多分これからもすたれないと思います。ジャストシステムがボイスATOKという音声入力ソフトを出しているので、不利になることは言いたくないですけれども(笑)、ディクテーションの習慣がない日本で、音声入力がどこまで定着するか、僕自身としては、慎重に見守っている状態です。
   「ツインピークス」というアメリカのテレビ映画では、殺人事件が起きるたびに、刑事が検死状況をテープレコーダーに吹き込むシーンがでてきます。他のミステリーや探偵物などでも、結構そういう場面が多いんです。そもそも欧米では、タイプライターの時代から、優秀な秘書の条件は、ボスのスケジュールを管理できることと、ボスのナチュラルスピードの口述をきれいにタイピングできることでした。つまり、音声を文字にするという作業が、伝統的にあったんですね。それに対して、日本では竹内均さんや竹村健一さんなど一部の方が活用されている程度です。編集者一般、読者一般には、口述でつくった本はどこか軽い、という印象を与えているのではないでしょうか。
矢野 話す言葉と書く言葉はまるで違う、ということだと思います。井上ひさしさんに言わせると、おかゆと赤飯ぐらい違う。話し言葉の背景には、その場で暗黙に前提としているいろんな想定がある。わかっていることはお互いに言わないけれど、書くときにはそれを普遍化しなくてはならない。だから、「話すように書けばいい文章になる」なんてとんでもない、という話です。
小林 ちょっと矛盾するようですが、それでは、キーボードは書くことに近いのか、話すことに近いのかと考えると、必ずしもキーボードというインターフェースをはさむことで、手で書くことを代替できるわけではない。僕は、キーボードは、書くというより話す感覚に近いのではないか、という印象をずっともっています。
   僕はローマ字変換を使いますが、同音異義語の間違いは見つけにくい。教育学の佐伯胖さん(東大名誉教授、現青山大学教授)の話では、読むという行為のなかで同音異義語を見つけるのは、やはり難しいんだそうです。読んでいるとき我々は、無意識に音声変換をしているのではないか、というのが佐伯さんの論点でした。
   先輩の編集者が、脳出血のために言語機能に障害が起きて、文章を書くことができなくなった。話すことはできる。さらに、キーボードを用いてワープロを打つことはできるのですね。だからキーボードは、やはり書くインターフェースというよりも、話すインターフェースに近いんじゃないかという話になりました。
   インターフェースというのは、慣れてくるとトランスペアレントになってきます。キーボードも慣れてくると、身体の一部のようになり、打っていることを意識しなくなりますよね。そういう意味でも、キーボードのインターフェースは滅びないだろうし、音声化に近いかたちで身体化していくのかもしれない、という仮説をもっています。まだ、解明されていませんが…。

矢野 ワープロが登場した当初から、ワープロで書く文章とペンで書く文章は違うのかという議論があって、『ASAHIパソコン』でも、「ワープロは文体を変えるか」といった特集を組んで、作家にインタビューした時期がありました。
人それぞれで、変わるという人もいれば変わらないという人もいましたが、僕個人は、ワープロで文章がとくに変わるという印象は持っていません。ただ、自分の字が自分でも読めないという悪筆なので、ワープロはひたすら便利であるという感想があるだけです。編集機能の便利さも含めて。
小林 賛成ですね(笑)。
矢野 今後さらに技術が進んで、キーボードを使わず、音声がそのまま文章になる時代がきたときにはどうでしょうか。人間の精神のありよう、基本的な考え方はどのように変わるのか。若い人たちの携帯電話の親指入力は?
小林 僕は携帯電話よりも、キーボードを使ったチャットのほうが、より音声言語に近いと思います。いずれにせよ矢野さんのおっしゃるように、何かは変わっていくだろうと思います。けれども、それはワープロが出てきたから変わっているのか、それとも時代につれて文体が変化して、それにワープロが寄り添っているのか、というのはわからないと思うんです。
   乱暴な言い方をすれば、そんなのどっちだっていい。言葉は変わるんだから。それをキャッチアップしていくのが技術を提供する者の義務だと僕は思うんです。フライングは避けたいですが……。
   ATOKが出てきたから日本語が変わったとか、変換機能によって漢字やかなが増えたとかは言われたくないと、ずっと思ってきました。日本の普通の人々が読みやすい日本語を、デフォルトで出していきたい。ちょっとおこがましい言い方になりますけど、僕がジャストシステムに入ってから、かな漢字変換の漢字に変換する量が減ったんですよ。
矢野 それは、機能的に?
小林 意図的にひらがなの量を増やしました。それは朝日新聞を含めて、一般的な日本語の文章が、かなが多い方向に動いていたからです。僕が最初に出会ったころのワープロのかな漢字変換は、明らかに過剰でした。それを引き戻して、できるだけコンテンポラリーな意味での、自然な日本語を出すようにしたんです。
   そのうえで言いたいのは、ATOKを使ったからって、文章がうまくなるわけではないんです。我々も、AI変換で誤変換を減らすなど、さまざまな努力は重ねていますが、やはり自分の言葉は自分で選びとっていくものだと思います。
矢野 一太郎で文章の書き方が変わったとは言われたくないけれども、ATOKを使ってから文章を書くのが楽になったと言ってほしい、ってことはありませんか。
小林 いやはや(笑)。そうやって書くことが楽になったせいで、世の中に駄文があふれるようになった、ともいえるわけで…。
矢野 そうか、ATOKの罪は非常に大きいと(笑)。
小林 以前、小学館時代のことですが、「コンピューター時代の教育」という連続シンポジウムを企画したとき、ある養護学校の先生のお話にとても感動したことを覚えています。
   それは、身体に麻痺のある女の子がMSXのパソコンのお絵描きソフトを使って、2枚の絵を描いたという話なんです。その絵は、今でもパッと思い浮かびます。1枚は、ウェディングドレスを着ている絵。もう1枚は、南の島の海辺で水着姿で立っている絵です。
   彼女は言語機能が不十分なうえに、手も震えて字が書けない。けれどキーボードなら、がんばれば、押すことができる。だから、一生懸命カーソルを使って描いたのでしょう。2枚の絵は、彼女の心象風景ですよね。MSXのパソコンがなければ、その先生も僕らも、決して見ることができなかった。極端な言い方をすれば、彼女がそういう絵を描くためだけだとしても、MSXのパソコンの存在意義はあった。そのためにこそMSXのパソコンはあったんだ、と思うんです。
   いままで文字を書く機会をもたなかった人々が、ATOKや一太郎といったツールを手に入れることで、書いてみようと思ってくださるのは、たいへん嬉しいことです。たとえワープロの浸透によって、つまらない文章が世の中に氾濫したとしても、100万粒の玉石混交の中に、あの女の子が描いてくれた絵のような、一粒のダイアモンドがあったら、良しとしなければいけないでしょうね。
矢野 その子は、新しいツールによって、新しい可能性を獲得したわけですね。そういう人がいるかぎり、僕らにできることをやっていきたいですね。
小林 その絵のことは、思い出すたび胸がキュンとなるんです。僕にとっては、ITの世界に関わっていく原点のようなものかな。



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