矢野 これからのジャーナリズムのあり方についてお聞きします。これまでジャーナリズムは、基本的には既存のマスメディア企業によって担われてきましたが、マスメディアがメディア界の中心として機能していた時代は終わりつつあります。コンピュータや通信インフラ、エンターテインメントといった異業種企業が続々とマスメディアに参入し、そのことによってマスメディアそのものが変質してきた。その過程でジャーナリズムとしての機能、言論機能が衰退しつつあります。
 一方でホームページや電子メール、メールマガジン、メーリングリストなどのパーソナルメディアが量的に拡大してきています。僕はこの現状を「総メディア社会の到来」(『インターネット術語集U』岩波新書)と捉え、マスメディアとパーソナルメディアが相互交流するなかで、それぞれのメディアがジャーナリズムをどのように担っていけるかを真剣に考えるべきだと思っています。水越さんのお考えをお聞かせください。
水越 既存のマスメディアがメディア界の中心ではなくなりつつあるという指摘は同感します。これまでもマスメディアは中心的存在ではないと言われることがありましたが、これは産業界のなかでの位置づけとして指摘される問題だった。しかし、現在では報道のあり方という本質的な問題としてこの傾向が現れていると思います。
 例えば現在の北朝鮮問題に関して、日本のマスメディアは社会の木鐸としての役割を十分果たせずに、大衆迎合的な報道姿勢に傾いている。社によって違いはありますが、テレビも新聞も、北朝鮮報道では、非常にナショナリスティックですね。我々のナショナリズムを煽る色彩を強めている。そういう報道姿勢に従来のマスメディアの力の衰えを感じます。一方で、マスメディアがいかに廃れたとは言え、やはり大きな力をもっている状況はそうそう変わらないでしょう。
  パーソナルメディアはどうかと言うと、これまでのマスメディアにとって代わってジャーナリズムの一翼を担うほどには成熟していない。ジャーナリズムに関して、パーソナルメディアとマスメディアの間で役割分担が十分にできていないと思います。大事なのは、マスメディアではないがパーソナルな世界に閉じていかない中間部分を、パブリックな言論機能として現実に沿った形で育てていくことだと思います。
  これは小さい物語だけでは片付かない。現在のパーソナルメディアは自宅の水槽で熱帯魚を飼っているようなもので、癒しにはいいが外に対して開かれていません。海の生態系にはおよそ関係のないことですよね。例えば携帯電話のコンテンツビジネスに乗って、パーソナルメディアを使っていくだけでは、今のデジタル技術の潜在力を十分に生かせません。一方で、日々宅配される新聞や刻々流れるテレビ放映を見続けるといった既存のマスメディアに頼ったスタイルだけでは、ジャーナリズムは荒んでいく一方でしょう。
 僕が言っている「メディア・ビオトープ」というのは、マスメディアとパーソナルメディアの中間。規模は小さいけれど、社会に向けて開かれた存在です。僕らはそういうメディア空間を積極的に作るべきだと思っています。
 余談ですが、生ゴミのリサイクルで腐葉土を作る活動がはやっています。僕も牛乳箱でやっていますが、あれはただならぬ広がりがありますね。自宅のベランダでやっている作業が、隣の家の庭とか近所の空き地につながる可能性を秘めている。こういう活動は地域貨幣の運動とかユニバーサルデザインで地域の公共施設をつくっていくという話と同調していくでしょう。メディアの世界でも、そういう展開が可能になると思います。

矢野 水越さんは『デジタルメディア社会』(岩波書店)でも、多層的な公共圏作りを提唱していますが、どういうふうにそれを作っていけばいいのでしょう
水越 あちこちに散在しているノウハウを紹介し、結びつけていく現実的な策をみんなで考えていく必要があります。重要なのは多様なネットワークを大事にしたメディア共同体を作ることです。ここがかつてのミニコミ誌の活動やセクト化していった市民運動との違いですね。自分たちだけがいいことをやっているという閉鎖的な姿勢では、地域のなかや他業種の人と関係が結べず、いずれ淘汰され死滅してしまうでしょう。それは絶対に避けるべきで、メディアの生態系に編み込まれる形で活動を継続するようにしなくてはいけません。
矢野 あくまでも自然的で、しかも気負いもない?
水越 「メディアリテラシー」という言葉は、単独で考えるとよく意味がわからないでしょう。一般的には、テレビや新聞を批判的に読み解くことだと言われていて、僕らの活動とは関係ないと思われるかもしれません。しかし、「メディアを読み解く」というのは、情報の送り手と受け手が循環することと絡んでいると思うんです。送り手と受け手が交わり、循環する活動によって健全なメディアリテラシーが身につき、メディアの生態系を回復させるプロセスにもなる。
 僕らがメルプロジェクトで実践としてやっているのは、情報の送り手と受け手とが対話できるような場を設けたり、素人が送り手になってプロが受け手になったりするような機会づくりです。
 具体的には2年前から続けている「民放連プロジェクト」があります。民放連と共同で、地方のローカル局と地元の子どもたちを結びつけ、お互いに交流しながら作った番組を放送しています。僕らはこういうプロジェクトを通して、地域の多様なセクターを結びつける。そこで、送り手と受け手がお互いに学び合え、次につながっていくような循環する関係を築けば、いずれマスメディアという大きな物語にも結びつくと思っています。
矢野 ジャーナリズムのあり方をめぐっては、報道の自由の問題も関わってきます。
水越 きちんと考えるべき大事な問題だとは思いますが、基本的には「大きいメディアの物語」の問題だと思います。もちろん「小さい物語」ともつながっているのですが、正直、僕自身はいまとてもそこまではできない。
 ただ僕は、マスメディアとパーソナルメディアの中間にある公共的なメディアは実現できるし、そこになんらかの解決策が生まれると確信しています。それは多元的な仕組みであって、一つには統一されないかもしれませんが。そう確信したのは去年の夏から民放連プロジェクトの一環として、福岡と台北の子どもたちをつなぐプロジェクトをやったのがきっかけです。このプロジェクトは、双方の子どもが自分たちで作ったビデオ作品を通して、お互いの地域について理解し合おうというねらいでした。参加したのは福岡と台北の子どもたちのほか、台湾公共電視台、RKB毎日放送。福岡側ではNPOとして活動している50歳台の元気な女性がサポートしてくれました。
 その彼女たちが「テレビはやっぱり地域にとって、とても大事だとよくわかった」と言うのです。テレビのプロとつき合いながら子どもたちが絵コンテを描き、ビデオカメラを回し、編集までやった経験が大きかったからでしょう。自分たちが経験してみると変わるんです。
 つまり僕らの小さい物語は、マスメディアがジャーナリズムとして機能することに大きな意味があると、一般の人に体感してもらうプログラムでもあるのです。
矢野 例えばいま論議されている個人情報保護法ですが、法の適用除外となる報道機関の定義が難しい。いままで報道機関と言えば、放送局とか新聞社、通信社、出版社とわりと明確に分けることができたけれど、パーソナルメディア、あるいは水越さんのいう「メディア・ビオトープ」的なものが報道機関に含まれるのどうか、報道を機関で定義するのは無理ですね。パーソナルメディアも含め、すべてを「報道の用に供するもの」として適用を除外すると言い切れればいいのですが、一方で違法行為や迷惑行為も増えている。こういう状況のなかで個人情報の保護にどう対応するか、これからのメディアのあり方も含めて考えていく必要があると思います。
水越 個人情報保護やデジタルメディアの規制に関する法律をどうするかは、この数年できちんと決めなくてはいけないでしょう。しかし、一般の人がマスメディアに対して抱いている不信感や無関心は、「NOテレビ・デー」や個人情報保護法を作ったからといっても、そう簡単には払拭されない。むしろ、このプログラムのように小さい物語を共有するほうが大事だと思うのです。小さい物語をともに経験しながら、マスメディアと市民の間にある溝を埋めていけば、いずれ制度作りのモチベーションは市民の側から生まれてくると思っています。
 既存のマスメディアの中で長年積もり積もった偏りやこわばりを揉みほぐしていかなければ、本質的な問題を解決することはできません。そのためにも僕らは小さい物語を積み重ねる必要があるんですが、時間が追いつかない状況です。「大きい物語」と「小さい物語」をつないだり、互いに協力しあったりしながら、メディア社会をいい状況に向わせたいけれど、本当にできるかどうか悲観的になることもあります。ただ、僕は楽天的な人間なので、元気よく本を書いたり、情報学環をもっと発展させるよう貢献したりしたいと思っています。僕がいまやっている活動は明らかに意味があると信じていますからね。
矢野 今日は水越さんのメディア論とそれに裏打ちされた具体的な実践活動を包括的にお聞きでき、たいへん参考になりました。どうもありがとうございました。

『鉄道旅行の歴史:十九世紀における空間と時間の工業化』
(ヴォルフガング・シヴェルブシュ著/加藤二郎訳、法政大学出版局、1982年 )

メディアの生態系を構成しているのは、テレビや新聞といった情報メディアだけではない。現代社会を最も基本的なところで成り立たせているメディアの一つである鉄道に焦点を当てた社会史の傑作。19世紀の人々に巨大な鉄の塊と蒸気機関がもたらした衝撃を明らかにし、エネルギー、事故、身体、余暇、プライベートとパブリックといった、今ではあたりまえのものの考え方、捉え方が、鉄道との関係でどのように生み出されたかを描き出している。

『ガラスの遊園地』(景山民夫著、集英社文庫、1993年)
1960年代、高度経済成長の喧噪と混沌の中、民放テレビの夢に満ちた草創期の物語。故景山民夫が自伝的に描き出す、日本テレビの制作現場の雰囲気と、表現者たちの心意気は、破天荒でユーモラスで若々しい。2003年、テレビ50年を祝福するプロパガンダばかりが聞こえるけれど、表現の現場の楽しみはどれだけ視聴者に伝わっているだろうか。僕たちがテレビのオールタナティブなあり方をイメージするために役に立つ、貴重でおもしろい読み物。

『限界芸術論』(鶴見俊輔著、ちくま学芸文庫、1999年)
戦後日本の市民運動や大衆文化をめぐる思想のたいまつを掲げてきた鶴見の未完の論考。権威化され、社会と切り離れた高尚芸術、商業化され、世俗化された大衆芸術に対して、人々の日常生活の中に編み込まれた美的価値を発展させた限界芸術に着目し、日々の暮らしや遊び、コミュニケーションの価値と可能性を説き語る。限界芸術の研究者としての柳田国男、批評家としての柳宗悦、実践家としての宮沢賢治に注目し、とくに宮沢の意義を再検討することで、当時の時代状況の中での市民の戦略を暗示していた。今日、デジタルの小さなメディアの物語を立ち上げる時に、鶴見の思想は再び召喚されることになる。

『僕らの鉱石ラジオ』(小林健二著、筑摩書房、1997年)
20世紀初頭に姿を現した鉱石ラジオという古ぼけたメディアの魅力を、余すところなく描き出してくれている。晴れた夜に星空を見上げ、電磁波の神秘を感じる無線少年たち。さまざまなクリスタルや功績を使った、宝飾品のような機器の数々。無線コミュニケーションの仕組みを学ぶことの楽しさ。そんな話題で満載のこの本は、メディアの魅力が技術の新しさだけにはないことを示している。「こんな本が作ってみたいよね」と、岩井俊雄が僕に教えてくれた。

『岩井俊雄の仕事と周辺』(岩井俊雄著、六耀社、2000年)
メディアアーティスト、岩井俊雄の仕事と作品の全体像ができるヴィジュアル本。岩井の作品は、映画以前のメディアの豊かな可能性をくみ上げ、日常生活の中で子どもたちや市民が普段おこなっているコミュニケーションの中に遊びや楽しみを見いだしていこうという姿勢に貫かれている。今あるメディアを組み替え、自律的なコミュニケーションを展開するために、メディアと人間の関係性をあらためて問い直していくきっかけを与えてくれる。




      「メディア・ビオトープ」でメディア生態系を多様化

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