矢野 本のはしがきに、「サイバー法は、現代ビジネスと密接な関連を有する分野を広範に含んでいます。たとえば、電子商取引や電子署名、ネット上のプライバシー保護、ネット犯罪、デジタル・コンテンツの知的財産権、電子メールの管理、ネット上の消費者保護などに関連する法律は、サイバー法の領域内にあると同時に現代ビジネスと密接な関連をもっています」とあります。いずれあらゆる法律がサイバー空間に対応するようになると、法律の1ジャンルとしてのサイバー法の任務は終わるのでしょうか。
夏井 はっきりしているのは、電子ネットワークと関係のない巨大な法律のかたまりは生き残り続けるだろうという点です。例えば、相続の問題は電子空間と関係ない。電子的な技術をまったく使わない犯罪はこれからも何万件と起こるし、電子的なものがまったく関与しない取引も日常何億件と起きる。だから、法律のかたまりとしては、@ネットと無関係の法律、Aネットが絶対必須の要素となっている法律、B両者の中間領域、と3つに分かれるだろうと考えています。
 Bの中間領域には、いろんなタイプがあり得ますが、現実世界の法律だけで対応できるものが比較的多いでしょう。例えば、電話でホテルの予約をする。現在の電話はだいたいデジタル化されていますから、ネットを使っているのですが、電話は声を伝えているだけで、別にネットに関わる問題は何も発生しない。だから、サイバー法の範囲ではない。しかしウェブ上にあるホテルのサイトでオンライン予約をしたら、それはサイバー法の問題になる。もちろん実際に宿泊するのは現実世界ですが、契約が成立したかどうかは、電子的なやりとりだけで決まる。要するに情報をインプットするのは人間ですが、処理するのはコンピュータで、データはパケットになって飛んでいって交換される。それはサイバー法が取り扱う問題だと、私は思っています。
 つまり中間領域のなかでも、ネットを道具として使っているだけで、ネット固有の問題をまったく考慮しなくてもいいものは、現実世界の法律によって対処すればいい。中間領域といっても、本当は現実世界の法律に含まれる問題だと思うのです。ただ、部分部分でネット固有の問題と現実世界だけの問題とが混同されるケースが起こり得る。そういう場合は両方を競合的に適用して考えるしかないと思います。
矢野 サイバー法は、法律のあらゆる分野にまたがらざるを得ないですね。
夏井 いま予想しているよりも多くの問題が、今後はサイバー法に含まれていかざるを得ないでしょう。ただこれまでよりももっとコンパクトでシンプルになる。現実世界で契約をする場合は、交渉の仕方や契約方法にいろいろなやり方がありますが、サイバー空間では最適化されたやり方だけが技術として生き残るのです。
 『ネットワーク社会と文化の法』という本で書きましたが、どんどん技術が単一化されていくのがサイバー空間の特徴です。現実世界には多種多様な契約方法がありますが、サイバー空間では契約に相当するような電子的なやりとりは、たぶん1種類の方法に集約されるでしょう。そうなれば、多様な法律は必要なくなる。だから、取り扱っている領域は非常に大きいが、契約に至るルートはコンパクトですむだろうと思います。

矢野 「物体を中心とする社会でうまく機能する法律が、物体のないデジタル情報の世界でも機能するとは限らない。法というルールと社会という環境とがマッチしていなければ、その法は、まったく機能しないか、あるいは、十分に機能しない」というのが、サイバー法の考え方のエッセンスですね。
夏井 サイバー立法の必要性をコンパクトに表現しました。
矢野 統一的に適用できる基本法も必要だし、既存の法律で対応せざるを得ない場合は、その法改正もしなくてはいけない。
夏井 その通りですが、立法の前提となるサイバー空間がいったいどういう空間で、どんな構造をもっているかを、まだだれも示していません。目の前に見えている現象がいったいどういう構造になっているか、その設計図を提示するのが学者の仕事の1つだと思っているのですが…。
 例えば既存の法律で対応すればいいと思われているが、実はそうでない例として、電子メールのやりとりの障害、迷惑メールの問題があります。これに対処するには、古い発想だと電気通信事業法を改正すればいいことになりますが、電子メールには郵便と大きく違う要素があります。サイバー空間の特徴としてあげられる「複製の容易性」もその1つです。もし、現実世界で1秒間に同時に1万通の郵便を出そうとしても、それだけのものを書けないし、郵便局としても受け付けないから実際には不可能です。しかし、サイバー空間ならできてしまう。つまり問題の広がりと深さが手書き郵便とはまったく違うし、電話とも違う。瞬時に問題が起きてしまうのです。
 昔から「分量があまりにも多くなると、質的な変化をとげる」と言われますが、まさに電子的ネットワークだからこそ起こる問題で、電気通信事業法が取り扱ってきた問題とは性質が違うのです。その点を認識していただくために、サイバー空間の構造がどうなっているかを示すのが私の仕事です。立法するにしても、これまでの現実世界での発想で考えていては非常に困るのです。
 これまでの環境は現実世界をベースにしていました。環境とは、現実世界で現実に生きている人間の活動の範囲であり、それは非常に狭いものだった。海外に行こうと思っても一生の間に100カ国まわれる人はまれです。しかしネットサーフィンなら、1時間で100カ国回れてしまう。人間の活動範囲や情報収集能力の広がりと深さが、飛躍的に高まっている。サイバー空間は人間の能力を非常に拡張する、その点がこれまでの環境とはまったく違っています。
 犯罪を例にとると、ネット犯罪はこれまでのどんな武器より威力があると言えるでしょう。理論上では、自分のサーバー以外の全サーバーをダウンさせるプログラムをつくることも可能ですから。現在では、ハッキングなどを含め「ネット犯罪はたいしたことがない」、「単なるいたずらじゃないか」と見る向きもありますが、犯罪の重大性、損害を発生させる潜在能力を考えれば、本当は,とんでもない時代に入ってしまっているのです。
 このように、いままでとはまったく構造の違う世界に私たちが生きていることを認識すべきだし、この環境に見合ったサイバー法をつくっていかなければいけない。法的な対処ですまない場合は、技術的な方法や自主管理によって対応すべきだと考えています。



      『電子署名法』を通してサイバー法を解説
      システマティックな「インターネット基本法」が必要

      「サイバー法研究会」と「法情報学研究会」
      おじいさんになっても「インターネット原住民」!
      サイバー空間は現実世界

      現実的になってきた「ネットワーク・サンクション」
      サイバー空間のデベロッパーをめざすパソコン企業

      「サイバーリテラシー」と弱者への配慮
      いま人類が立たされている岐路
      サイバー法は現代の法哲学
      ◆夏井高人さんおすすめの「情報ネットワーク時代の法と人間を知る」ブックガイド


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