矢野 サイバースペースを動かしているデジタル技術は、いままでと違う特殊な性格をもち、かつ影響は甚大である。従って、技術について知らずに法律的な問題を考えることは難しい。だからこそ、いよいよ学ぶべきことが多いですね。
 いままでの学問のあり方は、専門分野を掘り下げていくことで成り立っていました。しかし、それをいま一度総体として見直さなければならないように思います。そういう点でサイバー法は、非常に視野の広い学問ですね。明治大学の夏井さんのウェブ上には「サイバー法研究会」のホームページがありますが、これはどんな位置づけで、どんなことをやっているのですか。
夏井 サイバー法に興味のある人たちが集まって、メールで意見交換する場です。基本的にメーリングリストを使っているので、メンバー限定です。会員は名簿に公開していない人を含めて50人くらいです。論文や評論の原稿を見せ合ったり、考え違いや知識があやふやなところをお互いに指摘し合ったりして,助け合っています。研究会やシンポジウムなども開いて、研究成果を社会全体に還元しています。
矢野 この会に入りたい人は、だれでも入れるのですか。
夏井 入れないんです(笑)。以前は資格審査をして加入を認めていましたが、いまは私が個人的にメーリングリストを管理しているという物理的理由で、50人ぐらいが限界というのが本音です。
 メンバーは学者、弁護士、企業の法律専門家、役人などさまざまで、みんな営利的にやりたくない気持ちがあるので、ディスカッションして得た成果については、かなりオープンに発表しています。メンバーがそれぞれの著作や仕事に生かしたり、ネット系企業が経営方針の決定や種々の問題解決のために使ったり、自由に行っています。だから学術団体であると同時に実践的な団体で、教育団体とも言えます。ただし、専門家同士でないとうまくいかない問題については、クローズにしています。
矢野 3年程前、法律専門家のホームページをネットサーフィンしながら、その充実ぶりに驚いたことがありますが、その多くが「サイバー法研究会」に参加している方のものでした。みなさんが自由に意見を公開しておられるのに感心しました。
夏井 我々は「インターネット原住民」ですから(笑)、これまでの大学や学会のようなヒエラルキー(階級性)を嫌うんですね。若い人でも年をとった人でも、みんな平等。「今年はじめてサイバー法を研究し始めました」という人でも、正しい意見なら尊重します。
 これはネットだからできることなんですね。現実社会で同じことをやろうとすると、事務局もいるし、ファンド(基金)も必要になる。ヒエラルキーも出てきて、いろんな問題が発生するでしょう。そうなりたくないから、学会にしていません。しかし、学会をつくってほしいという需要もあり、取りかかってはみたのですが、なにせ私が忙し過ぎて(笑)。
矢野 一応「サイバー法学会」をつくろうという動きはあるんですか。
夏井 ええ。あったほうがいいのでしょうが、だれも私にファンドをくださらないから無理なんです(笑)。大学の研究費でやれないこともないのですが、研究費には文部科学省からの助成金が含まれるので情報公開が義務づけられ、これがやっかいでもあるんですね。
矢野 法学界は「サイバー法研究会」をどう見てますか。
夏井 知りません(笑)。私はあまり人の評価を気にしないし、メンバーも我が道を行く人が多いから、どうでもいい。
矢野 夏井さんとしてはどうでもいいかもわかりませんが(笑)、これからのサイバー法のあり方を考えると、注目されるようになれば、それは非常にいいことですね。もう1つ、「法情報学研究会」という活動もされておられますね。
夏井 情報学という大きなかたまりのなかの各論的な分野として、法律情報を扱う法情報学があります。いろいろな立場の研究者がおりますが、法律データベースをどうつくったらいいかという視点からはじめた人が多いですね。しかし、そこには難しい問題がたくさん含まれている。そもそも法律データベースって何でしょうか?
 単純に考えれば、条文や判例を集めればデータベースになる。いま製品として世の中に出ているのはそういうものです。しかし、普通の人が何十万円もする法律のデータベースを買っても、高価な品だからと神棚に飾って終わりでしょう(笑)。法律データベースをつくるには、法律情報を一般国民が使えるようにするにはどうしたらいいか、という根源的な問題に向き合わなければならない。これは法哲学で研究されてきた問題です。法哲学者は言語学や論理学からアプローチしてきましたが、私たちはあくまでも実利優先ですから、「実践的に情報が伝わる」というのはどういうことで、「情報を使う」というのはどういうことなのか、現実にそくして考えていく立場です。実際に理論通りに動くデータベースをつくっていかなくちゃいけない。その意味で、私たちはエンジニアでもあるわけです。
矢野 法情報学の専門家は、どうしてもサイバー法との関係が強くなるというわけですね。
夏井 そうです。データベースをつくること自体、法律問題もかなり関連するので、サイバー法のエキスパートでなければいけないと、私は思います。
矢野 法情報学研究会とサイバー法研究会は、かなりメンバーが重なっていますね。
夏井 将来的には2つの研究会を統合したいと思っています。

矢野 「インターネット原住民」という言葉を使われましたが…。
夏井 商業利用が認められていなかった1995年以前は、インターネットは基本的に非商業的な利用をするユーザーだけに限られたツールでした。しかも初期は技術的基盤が非常に弱かったので、自分自身でネットを直しながら使える人でないと、メンバーになれなかった。技術的に能力が高く、かつそれぞれの専門分野、例えば法律や社会学、文化人類学などの立場の人がメンバーとして入っていた世界でした。だからこそ、自分たちのルールは自分たちで守るという一種の特権意識というか、自分自身のなかに誇りとする部分があったのですが、それがどんどん拡張され、庶民化することで、それらが全部崩れてしまった。
 つまり私は、ある種のプライドをもって「インターネット原住民」という言葉を使っているのです。何でもやりたい放題できる世界ではないぞと。もともと「インターネットは自由である」と言っていた人たちは、自由を守るためのルールを自分たちで守れる能力をもった人たちだった。だからこそ、そう言ったわけです。現在のように何でもかんでも無制限に自由、という意味での自由ではない。しかし、いまやインターネットは、一般の人が使える道具になり、変質しましたよね。単なる道路になったのです。道路であれば、信号機も必要だし、交通整理も必要ですね。だから「サイバー法が必要」なんです。違反者は取り締まらなくてはならない。そうでなければ道路として機能しなくなります。
 昔は、自分たちで原野を切り開いて道路をつくったといえるでしょう。一生懸命やって、助け合いもしたし、「この道は彼がつくったんだね」と尊敬し、認め合うこともできたが、いまはあまりにも大きくなりすぎた。いまや「インターネット原住民」という人種が発生する余地はないでしょう。過去の遺物のような人々だけど、この精神は正しいと思っているので、私はおじいさんになっても、「私が若いころはインターネット原住民だったんだ」と、威張ろうと思っているんです(笑)。

矢野 朝日新聞が『CODE』の著者、スタンフォード大学のローレンス・レッシグ教授を招いて開いたフォーラム(『朝日総研リポートNo.153』所収)で、夏井さんは「インターネットはバーチャル空間ではなくなった」と言っておられました。その真意は?
夏井 だれでもアクセス可能であるということは、もはやバーチャル(仮想)ではないでしょう。バーチャルとは何か。例えば、日本にあるアメリカの軍事施設、沖縄の嘉手納基地は広大な敷地をフェンスで囲み、アメリカ兵が守っています。フェンス越しに中を見ることはできるが、普通の人はアクセスできない。現実に存在しているが、アクセスできない人にとってはバーチャルな世界です。一方、実際にアクセスできているアメリカの軍人にとっても、そこは現実には日本の領土なのですからアメリカではない。つまり、二重の意味でバーチャルな空間です。
 もっとわかりやすい例で、ゲームはどうでしょう。CD-ROMのゲームソフトは3次元映像が動き出し、ドラゴンが火を吐いたり、剣を突き刺すと血が吹き出したりする。しかし昔はドラゴンの代わりに「D」という文字が歩いてくるだけとか、骸骨がある場所に「@」が置いてあるとか、要するにキーボード上の26個のアルファベットや特殊記号を使い、頭のなかで想像しながらゲームを組み立てた。これはバーチャルですね。
 もう1つ、伝統的な意味で使われているバーチャルという概念。これは、「距離を超越している」とも捉えられていた。例えばネットミーティングは、実際にその場にいなくても一堂に会している状態になる。「あたかも現実にミーティングをしているようだけど、現実ではないからバーチャルだ」という言い方をしていました。ここで言う「バーチャル」は、「仮想的」と訳すべきではなくて、「事実上の」という意味です。「一応事実だけど事実上」なのです。あくまでも現実ではあるが、物体空間としての事実ではなくて、「事実上、物体空間における何かと同一視できるような」という意味で「事実上」となります。そういう意味でのバーチャル性というのは、たしかにいまでも維持されていますが、コンピュータゲームがすごくリアルになったのと同じように、インターネット上のやりとりがより高度でより高速にコンテンツを運搬できるようになったために、現実世界ではないことも現実的になっています。
 ネットバンキングはどうでしょうか。ネット上の自分の口座を管理するのはコンピュータでやっているから、その意味ではサイバー法の範疇です。しかし、これがバーチャルなのかというと、預金額が減ったり増えたりするのは現実そのものです。相手がプログラムだからサイバー法だと思っているけれど、もしも相手が銀行のオペレーターだとすれば、電話で自分の口座の操作をしてくれるのと全然変わらないという意味で、現実です。
 こうした意味で、私は「インターネットはバーチャル空間ではなくなった」と言っているのです。ネットミーティングの例であげた「事実上」というようにワンクッション置いた状況ではなく、まさにそれが現実なんだという意味。一般的な家財道具や電気製品と同じようなレベルにまで親しみやすいものにインターネットはなったという意味で、バーチャルではないと思っています。
矢野 普通はそういうふうに言わないですね。僕らは物理的な空間として肉体がここにある世界を「現実」と言い、ネットワークだけの社会を「バーチャル」と言う。しかし、実際に現実とバーチャルの境はどこかというと、極めてあいまいになっています。どんどん技術が便利になって、まさしく現実的な感覚をもってきています。
夏井 私が「サイバー」という言葉を使い続けているのは、「バーチャル」という表現より適当だからです。サイバー空間は現実世界なんです。現実に電子的なパケットは飛んでいる。もしそれが嘘であれば通信はできないでしょう。現実に物理現象は起きているのだから現実そのものです。だから、バーチャルという表現は誤解を招くので、「物体だけどサイバーな世界である」と言ったほうがいい。「リアルな世界:バーチャルな世界」の区分けではなく、「リアルな世界:サイバーな世界」という分け方のほうがいいだろうと。サイバーな世界にもバーチャルな部分があるが、リアルそのものの部分もあるわけです。先ほど、インターネット空間で起こることでも、現実世界の法律だけで対応できるものもたくさんあると言いましたが、それはまさに現実そのものの出来事だからです。



      『電子署名法』を通してサイバー法を解説
      システマティックな「インターネット基本法」が必要

      サイバー法はあらゆる法の分野に及ぶ
      サイバー空間の深さと広がりを理解する

      現実的になってきた「ネットワーク・サンクション」
      サイバー空間のデベロッパーをめざすパソコン企業

      「サイバーリテラシー」と弱者への配慮
      いま人類が立たされている岐路
      サイバー法は現代の法哲学
      ◆夏井高人さんおすすめの「情報ネットワーク時代の法と人間を知る」ブックガイド


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