矢野 夏井さんは『ネットワーク社会の文化と法』で、早くから「ネットワーク・サンクション」について警告しておられます。ネットワークから排除されることが、現代におけるサンクション(制裁)であると。
夏井 「ネットワーク・サンクション」はかなり現実的な問題になっています。それをサンクションと感じないだけだと思います。本来は汎用品として使えるはずのものが、ある1社の技術を使わないと使えない現状を問題にしているのが「ネットワーク・サンクション」です。
 ネットを使うにはいろいろなモジュールが含まれますが、その使い方を間違うと、実際に機能しなくなる。ある1社が勝手に決めた仕様に自動的に従わざるを得ない。使い方を間違えたことでサービスを受けられない状態が現実化しています。これも私の言う「ネットワーク・サンクション」に近い状況です。
 ただ、いまはまだ、拘束力は未完成です。私が想像し、危惧している「ネットワーク・サンクション」の完成状態は、約款のなかに損害賠償額まで決められることです。例えば違反したときには5000ドル、銀行口座から自動的に引き落とされるというのが、たぶん近未来の状況でしょう。私はそうなってはいけない、と言っているわけです。
 こうした近い将来の状況を想像している人がいないわけではないが、それをサンクションとは思っていない。「法律というのはこういうもの」という大昔の固定観念でしか法を捉えられないからです。
 私は法律というのは社会的なツールだとずっと言っています。ツールというのは、ある機能を実現するための方法に過ぎなくて、肝心なのはそれがどういう機能なのかということです。そういうふうに法律という名前のついたジャンルの出来事と、法律ではないが同じ機能をもったものとを分けないで考える発想を、法学者はもたなければいけない時代です。
 先ほど矢野さんが、サイバー法をやる人は技術を知らなくちゃいけないとおっしゃいましたが、まさにその通りです。理系と文系というジャンルの違いはもうない。文学者だってコンピュータを使えなければどうにもならないし、コンピュータ技術者だって法律を知らなければ誠実な仕事ができない時代になっている。その意味ではボーダーレスです。インターネットのもつボーダーレス性が現実世界にも波及していると、言うべきかもしれません。

矢野 マイクロソフトの新しい基本ソフト(OS)、ウィンドウズXPでは、「ウィンドウズ・メッセンジャー」によってマイクとデジタルカメラを備えればインターネット電話ができるようになり、「ドット・ネット・パスポート」で認証代行業務のようなことがはじまりました。こういった機能付加は、まったく新しいコンセプトのもとに推進されているのだと僕は思っています。
 OSとアプリケーション中心だったパソコンの世界を、インターネット上で動く各種サービスの世界へと大きく転換しようとする試みではないか。いままでのパソコン関連企業は、OSだとかアプリケーションソフトを充実させることに意を用いてきたが、これからのパソコンは、インターネットという大海に無数に浮かぶ島々を巡る足回り程度の意味しかなく、彼らの関心は、むしろパソコンの外側に向けられている。それは、大小とりまぜての島々で展開される多彩なコンテンツを楽しむ観光ガイドであり、島を訪れるための認証など社会的システムの整備です。さらには島々をより魅力的なものにするためのツールの提供、コンテンツの開発で、言ってみれば、彼らはサイバースペースのデベロッパーをめざしている。かつての鉄道会社が不動産業に転じ、団地や球場をつくったのと同じようにね。
夏井 まさに「ネットワーク・サンクション」の問題と同じですね。私は『ネットワーク社会の文化と法』のなかで次のような提案をしています。つまり、ある会社が企業活動の自由に基づいて市場を囲い込もうとするのは、ある意味では健全なことでしょう。しかし、ある単一の技術が非常に多くの人々をライセンスで縛ってしまうのは「ネットワーク・サンクション」そのものである。だから解決策として、あるアプリケーションや製品が全世界のシェアの半分以上を占めたら、それをパブリック・ドメインとしてしまうような国際条約を結ぶべきだ、と。
矢野 なるほど、そうですね。ところで、これからの社会を生きていくための最低限の権利として、夏井さんは2つあげておられます。1つは、だれもが普通に情報にアクセスできる「情報を享受する権利」。もう1つは、それと対立的ともいえる考え方で、「個人情報をデジタル化、データ化されない権利」。すなわち自分のデータがネットワーク上に集積されない権利、もっと平たく言えば「ネットワークと無縁に生きていける権利」です。この2つを基本的人権として位置づけなくてはいけないということですね。
夏井 たしかにこの2つは矛盾する要素を含んでいます。情報を得る権利だけを言うと、情報を取られたくない人の権利を侵害する。一方、自分についての情報を取り扱われたくない権利だけを尊重すると、だれも他人のことを知らず、真っ暗闇のなかで一人で生きていくような状態になってしまう。これでは社会が崩壊する。だから、どこかでバランスをとらなければいけない。純粋な形で両立させることはできないのです。
 しかし、権利というのはあくまでも理念だから、本来そういう権利をもっているということを宣言する必要があります。相矛盾する2つの権利であっても、まず、それがあるということを言わなければ次の段階に進めない。第2段階は両者をどう調整して折衷するかという作業です。相矛盾する権利とはいえ、両者がぶつかるからこそ意味があるのです。第2段階では、単に線を引くというだけじゃなく、どんなふうに調整するのが一番合理的か、そういうことも含めて考えることが大事でしょう。
 「権利があるから」と安住するのではなく、常に動的に作業していかなければならない。そうあるために、相矛盾する権利を私は提唱したいのです。



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