矢野 「グロースモデル」の先にある「ジェモーション(Gemotion)」とは?
河口 CGを始めたころから、モニターというサイバースペースの中に、「情報を生き物化したい」という思いをもっていました。自然のほんものの生命体と同じぐらい、あるいはそれ以上に生々しいものをつくれるかどうかを、僕の戦いにしようと思ってきたんです。
矢野 当時は、「人工生命」という言葉はまだなかったですね。クリス・ラングトンというアメリカの若い学者が「人工生命」と言い出したのは、80年代後半です。
河口 「人工生命」が日本で言われるようになったのは90年以降です。僕はそれ以前から生命体をつくりたいという願望をもっていました。だから人工生命の研究者たちは、「河口洋一郎は第0(ゼロ)世代の人工生命研究者」と言うんです。人工生命がポピュラーになった90年前後の研究者が「第1世代」。僕にとって流行はどうでもよくて、無味乾燥なコンピュータから、どうやって生々しい生き物をつくれるか。単純な形から、いかに複雑な生き物をつくり出すか。それがおもしろくてやっていただけなんですけれど。
矢野 そういう発想、おもしろがりかたが、やはり河口さんオリジナルですね。
河口 なぜそういうことをやり始めたかというと、僕がサイバースペースの中に飛び込んで遊びたいからなんです。僕にとってのCG作品というのは、生命化、生き物化したものであって、いつか僕がその作品と遊び戯れることができたらいいな、というのが究極の願いなんです。
矢野 素晴らしい。
河口 作品が自律的に進化し、賢くなっていけば、いつまでも飽きないですよね。放っておいてもどんどん進化して、作品自身が自分たちの未来をつくっていくなら、僕自身の未来も楽しいだろう。そういうことを作品にやらせたいから、自然の原理に学び、生き物を育てるのと同じ期待感を込めて、作品をつくるんです。
 こういう発想をするのは、やはり種子島で育った子ども時代、宇宙の果てまで行きたいと思っていたからでしょう。銀河系のどこかに芸術惑星があって、生き物がたくさんいるかもしれない。その芸術惑星が勝手にうごめいてくれれば遊べるんだけど、実際には行けないから、自分でつくってしまおうと考えた。人工生命という言葉は知らなくても、サイバースペース上に生命化された作品が生まれ、子ども同士のように反応しあえればいいなあと。あくまでも、僕が生きた作品と接したいと思ってきたんですね。
矢野 「ジェモーション」という言葉は河口さんの造語ですか。
河口 「Gene」(遺伝子)、「Growth」(成長)の「G」に「emotion」(感情)をたした僕の造語で、「発生、成長、進化する」という意味に使っています。3次元立体映像が映画館のスクリーンから本当に飛び出て来たらおもしろいだろうな、と思ったのがきっかけです。映像は常に平面スクリーンに映し出される、という前提を壊してみたかったんです。
 (DVDで作品を見せてくれながら)この『Paradise』は、映像が盛り上がる方向によって色が変わっていきます。
矢野 盛り上がるというのは、どういう仕掛けですか。
河口 複雑なメカが入っていて、映像が盛り上がる一番頂点の部分をリアルタイムで探すように設計している。本当に頂点が飛び出るんです。そこを押さえつけると、今度は作品が怒って、反動で盛り上がってくる。子どもが反発しているような感じですね。
矢野 現実世界とサイバースペースが相互交流する、非常にインタラクティブな関係もできそうですね。
河口 『Paradise』は美術館で発表したのですが、同じことを映画館でやってみたい。スクリーン内部にメカを仕掛けておき、画像がグニューっと飛び出す、観ている人はよけないとぶつかっちゃう、居眠りしている人をポンポンと叩いて起したり……(笑)。
矢野 遊び心ね。
河口 遊び心って、すごく重要ですよ。アートやデザインの場合、逸脱した世界を発見しないといけないんだけど、どんなに会議をやってもアイデアは出てきません。ピカソの「ゲルニカ」なんて、会議をしても描けないものです

河口 毎年、金沢市で開かれているイベントで来年、僕は「アートはサバイバルだ」という企画をやります、それに向けて、今年は藤間紫穂さんの日本舞踊に「ジェモ―ション」を組合せたパフォーマンスをやりました。踊り手の動きとCG映像がリアルタイムで連動し合う仕掛けをつくって、たとえば指を動かしたら、映像の中で何千枚もの花びらが舞い上がる。早く踊れば、映像も興奮して赤くなり、静かな踊りではブルー系やグリーン系に落ちついていく……。「ジェモーション」は、感情に感応する仕掛けですが、コンピュータの計算速度が進歩したから実現できたんですね。
 歌舞伎の市川猿之助さんと競演できたらおもしろいでしょうし、このまま放っておいたら消えてしまう各国各地の伝統文化にも応用して、自分なりに消化した作品をつくれば、必ず新しい価値が生まれ、世界に通用するものができるだろうと思っています。
 これからの戦いですね。アートは、戦いです。僕は、アートの世界で生きるということは、感動を獲得するための狩猟生活を送ることと同じだと思っているんです。だから、プールに行ってもつまらない……、僕は「海洋性狩猟民族」ですから、もりで魚を突いたりできないとおもしろくない(笑)。50万年前に戻っても、あちこち移動して狩猟しながら生き延びていけますよ、きっと(笑)。
 これからは、ネットやブロードバンドなどとは別の世界が、改めて重要になってきますね。アーティストは普通の人よりもおもしろい体験をしないと、表現が豊かにならない。僕はピカソが60歳ぐらいからタヒチやジャマイカへ行っていれば、もっとすごいのを描いたと思いますね。
矢野 ゴーギャンみたいに。
河口 もし今まで僕が日本を出たことがなければ、「グロースモデル」や「ジェモーション」の世界はもっと狭くなっていたかもしれない。ジャングルや砂漠へ行ったためにずいぶん変わりました。
 以前、1週間かけてグランドキャニオンを回ったことがあります。1000メートル級の岩山を見ながら歩くんです。赤茶けた岩がずっと続いているのは日本にはない光景で、あれには感動しました。屋久島には原生林があるが、それがグランドキャニオンに林立していたらどうなるだろうかと、対比しながら歩く。ここが海底だったらすごいだろう、魚が泳いでいたらどう見えるか、などと想像すると夢が膨らみますよ。高尾山でもいいんです。山頂から下を見て、これが海底だったらどうだろうと想像すれば、発想が鍛えられます。僕の場合、そこに獲物がいないとだめだけど(笑)。
 右手にやり、吹き矢、毒針、左手にハンディなコンピュータを持って、狩猟しながら自分の感動や興奮度を表現していくのが、僕の理想の姿かもしれません。僕の生きざまが東京のアトリエのコンピュータで計算され、ブロードバンドを通じて作品にフィードバックされるっていいですよね。生の体験や感動が、作品に表現されていく。僕にとって、狩猟と創造は紙一重なんです。
矢野 コンピュータの最大の長所は、複製できるところです。河口さんのプログラムをだれかがコピーして、それを使えばいろいろなことができてしまうでしょうね。プログラムを商品化したり、論文を発表したりすることは考えていないのですか。
河口 僕は、つくりっぱなしなんです。プログラムを商品化すれば儲かるかもしれないけど、そこまでいかない。82年に「グロースモデル」の論文を発表したときは、なるべくわからないように書いたんだけど、世界中の数学者やコンピュータ・サイエンティストが解析するもんだから、2、3年後に類似品がどんどん出てきた。
 アートは、料理と同じで隠し技が大切。どこまで公開するかは微妙だから、東大にいる間は論文発表はしないつもりです。理工系や工学系の研究者は、論文発表によって研究費がつくが、僕のようなアーティストの立場にはつかないんですよね。研究室の学生を外国に連れて行く渡航費など費用がかかるけれど、自腹でやるわけにいかないし、種子島の田んぼを売りたくはないし(笑)。
矢野 だからといって、隠し技を全部さらけ出すわけにもいかない。
河口 自分だけの秘技を見せるかどうか、迷いますよね。スポーツ選手にも「伝家の宝刀」というのがあって、これも個性が重要。逸脱した技術を身につけた人が成功する。王貞治の「一本足打法」、野茂英雄の「トルネード投法」、イチローの「振り子打法」、みんな特殊な技術です。それで成功すればダントツ。スポーツ選手でもアーティストでも、子どものころから「怪物」と言われないとだめでしょうね。
矢野 河口さんは、何て言われていたの。
河口 いや、別に(笑)。
矢野 子どものころ、絵は上手でしたか。
河口 好きでした。美術系の大学に入るのは、小中高校のころ絵の成績がトップクラスの人ですよね。でも、同じような人が集まったら、だめになる。同類は集まらないほうがいいと思います。僕はたまたま大学で、音響や建築、家具のデザインなどいろいろな人に出会えて、ものを見る目を鍛えられた。僕自身、よくぞここまで、社会生活を営んでこられたものだと思いますよ(笑)。
 東大に呼ばれたのも、たまたまです。50年、時代が早かったら僕は必要とされなかったでしょう。かつての東大では造船とか石炭、石油、エネルギーといった重厚長大産業が研究テーマの中心だった。ところが、いまは東大にもプラスアルファの研究分野が必要になってきた。
矢野 オリジナリティや野望をもっている人間にとっては、おもしろい時代ですね。
河口 ネット時代のアーティストは、自分の得意技を最大限に活かす方法を身につければ、かなり楽しく生きられる。そのうえで情報を発信すれば、ネットが幅広く宣伝してくれるわけですからね。
 僕の祖父は97歳まで生きたんですが、90歳まで種子島の海に飛び込んで魚を採っていました。僕の目標は、祖父の年齢に上乗せして100歳を目指し、2050年ごろまで作品をつくることです。種子島の海と山に囲まれ、水平線から出る太陽や夕焼けを見ながら暮らすのは、やっぱりすごいこと。焼酎の晩酌をしながら、新鮮な海の幸や野菜を食べれば、長生きの価値が全然違う。今は東京に住んでいるから、それだけでもう、長生きできないような気がしていますけれど(笑)。
矢野 息子のために田畑を売らずに済んだお父さんは、河口さんの今の活躍ぶりに何とおっしゃっていますか。
河口 よくわからないようですよ。僕が先の読めない行動をするから(笑)。去年、鹿児島県の文化賞の授賞式に親を連れて行ったら、びっくりしてました。
矢野 今日は、これまであまり知られていない「河口洋一郎の世界」をいろいろお聞きできてたいへん楽しいひとときでした。ありがとうございました。今後のさらなる活躍に期待しています。
 これからの10年はまさにメディア爆発の年で、僕も河口さんにあやかって、せいぜい元気に長生きして、この激動を見つづけたいと思っています。



      「時間を造形化する」という試み。
      「ザ・種子島」で行こう。

      79年のSIGGRAPHシカゴ大会で開眼!
      マンデルブロ教授は「フラクタル5人衆に入れ」と言った。

      アーティストよ、「強い遺伝子」を持て!
      ブロードバンド時代は得意技で勝つ!


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