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田澤由利さんプロフィールへ インターネット上に普通の会社をつくる「ネットオフィス」の試み:田澤由利さん 矢野直明プロフィールへ

働きたいと思いながら、夫の転勤や子育てによって退職を余儀なくされた田澤由利さんは、転勤先の北海道北見市でインターネット上の会社(ネットオフィス)、(有)ワイズスタッフを立ち上げた。逆境に負けることなく、自分なりのやり方で戦ってきた田澤さんは「在宅SOHOの星」「在宅ワークを目指す主婦のあこがれ」として注目を浴びるようになる。いまや90余名の契約スタッフを抱えて営業活動などのために全国を飛び回る田澤さんに、これまでの半生とSOHOについて聞いた。

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Part1 北海道・北見に咲いた「ネットオフィス」

東京転勤になった夫も会社をやめて戻ってきた

Part2 ネットメンバーを支えるローカルスタッフ

 「バーチャル・グループワーク・マネジメント」

Part3 メインはネット、リアルはサブ

子どもへのネット教育が緊急課題

Part1 北海道・北見に咲いた「ネットオフィス」

矢野

いまネットの世界で女性が元気です。6月末にさまざまな分野で活躍する7人の女性を紹介しながら、「インターネットには女性がよく似合う」という僕の直観を検証した『女性がひらくネット新時代』 (岩波書店)という本を出しましたが、そこで田澤さんにも登場していただいています。
 田澤さんのタイトルは「出産や夫の転勤を乗り越え、北見に咲いたネットオフィス」。就職、結婚から北見での起業に至るまでのドラマチックな展開は一編の家族ドラマのようですね。詳しくは拙著をご覧いただくとして、まずワイズスタッフ設立に至るまでの経緯を簡単にお話しいただけますか。

田澤

ドラマというほどのものではなく、状況に流されていたらこうなったという感じですね(笑)。大学3年の頃に叔父からマイコンをもらって、その面白さにとりつかれました。コンピュータ関係の仕事がしたいと思って、シャープに入社、私の地元でもある奈良工場で製品企画から生産、出荷まで経験させていただきました。
 3〜4年後、念願のパソコン商品企画部に配属されましたが、その矢先に生命保険会社に勤務する大学時代からの知り合いと結婚することになりました。仕事も会社も辞めるつもりはなかったのですが、なんと夫が仙台に転勤になりました。半年間、別居生活の後、会社の厚意で販売会社の仙台支店に配属していただき、そこで販売や営業の仕事を勉強しました。
 1年半ほど働いたとき、今度は出産という新たな壁にぶつかり、これ以上、会社に迷惑をかけられないと91年に後ろ髪を引かれながら退職しました。会社はあきらめたけれど、仕事はあきらめきれない。そこで、けっこう安易ですが、ライターになろうと思いまして、パソコンの本を買い込んで勉強し、記事の企画を立てては出版社に売り込みました。
 幸い、雑誌から連載の依頼が入るなど、順調に仕事が増えました。7年の間に大阪、岡山、名古屋と転勤を繰り返す夫についていきながら、3人の子どもを育て、単行本もかなり書くようになりました。このまま、ライターとしてやっていくつもりでいたら、97年、夫が今度は北海道北見市に転勤になりました。名古屋なら東京の出版社へ日帰りで打ち合わせに出かけられますが、北見市ではそうもいかない。いよいよ仕事もあきらめざるをえないかとがっかりしました。
 ところが、いざ北見に行くと、大自然は素晴らしく、食べ物もおいしく、仕事も逆に増えたんです。ちょうどインターネットの普及期で、在宅ワークとかSOHO(スモールオフィス・ホームオフィス)が話題になり、北の果てに、主婦をしながら仕事をしている女性がいると注目されるようになりました。テレビや新聞の取材も受け、気がついたらいつの間にか私は「SOHOの第一人者」「在宅ワークを目指す主婦のあこがれ」のような存在になっていたんです。
 そのうち、「在宅で仕事をしたい」、「子育てしながら仕事をしたい」という女性たちからの質問が相次ぎました。しかし、現実にはSOHOや在宅ワーカーに仕事を発注する企業はごくわずか。簡単には仕事は手に入りません。次々と来る質問に、まともな答えもできず、手助けもできない自分を情けなく感じるようになりました。このままでは、SOHOや在宅ワークは、安かろう悪かろうの電脳内職としてしか社会に認識されない。本当に仕事をしたい人のためにはどうしたらいいかと考えて、インターネット上に会社を作ろうと思いついたんです。これが「ネットオフィス」の考え方です。

矢野

逆境と言えるかどうかはわかりませんが、北の果てで起死回生の一打を放ったわけで、ここにネットワークの力というものを感じますね。

田澤

内職を超えた仕事の場を作りたかったんですね。普通の企業と同じような仕事を、ネット上のチームで責任を持ってやれば、メンバーはどこに住んでいてもいいわけです。そこで何人かの有志と一緒に98年に(有)ワイズスタッフを立ち上げました。
 ただし、また北見から転勤になる可能性もあると思って、本社は両親も住む奈良に置き、北見を支社にしました。

東京転勤になった夫も会社をやめて戻ってきた

矢野

その後、ご主人が東京勤務になるわけですね。

田澤

北見に来て2年目ぐらいに東京への転勤命令が出ました。じつはその3ヶ月前に北見に平屋の家を建てていたんです。もし、どこかに転勤になっても、この家は別荘として置いておいて、毎夏に戻ってこようと家族で決めていました。それほど北見が気に入ったんです。

矢野

東京には行かなかった。

田澤

東京以外だったら、またついていったかもしれませんね。東京に住むのはどうしても嫌だったんです。ここは子育てにもいいですからね。そこで、初めて夫が単身赴任で東京に出て、私たちは残りました。

矢野

そうしたら、ご主人も会社を辞めて戻ってきたと。

田澤

そうなんです。8ヶ月ほど経って、「おれもやっぱり北海道がいい」と会社を辞めてしまったんですよ。私は「あなたの会社の転勤についていくために、この人生を選んだのに」と、ちょっと思いましたけれど(笑)。家計の安定のことを考えると本当は続けてほしかったんですけど、北見で生きていくのも一つの選択かな、流れかなとも思いました。そのときは夫もこの会社で働くつもりじゃなかったんです。就職活動をしましたが、見合った仕事はなかなかなくて、ちょうど会社も成長し始めたので、経理の仕事を助けてもらおうと役員になってもらいました。いまは、経理だけでなく、ローカルスタッフの採用、物品管理など総務関連業務全般を担当してくれています。また、今は夫がそばにいてくれるので、私が出張するときも安心です。それまではベビーシッターと家政婦に交代で泊まってもらうなど、大変でしたから。

矢野

お子さんも北見を気に入っているようですね。

田澤

3人とも女で、いま中学1年、小学4年、1年ですが、子どもたちも北見での生活が大すきです。のびのびと育っていて、少なくとも下の子が大きくなるまではここを離れるつもりはないです。

矢野

ご両親は奈良におられるわけですね。一人娘が心配なのでは。

田澤

今年4月に関西方面の拠点として奈良オフィスをオープンしたので、両親は喜んでいます。北海道に移住して、二度と帰ってこないのではないかと思っていたようでしたから安心したんでしょう。でも、私としては、十数年後に自分がどこに住んでいたいかなどについては、あまり考えていません。

Part2 ネットメンバーを支えるローカルスタッフ
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