シルクロードのほぼ中央に位置し、世界有数の歴史を誇る古都ブハラ。かつて、チンギスハンも、ティムール帝国の英雄、アミール・ティムールも駆け回ったという夕景の古城を眺めれば、当時の情景が目に浮かぶ気がする。
ところが、そうやって夢想していると、突然アップテンポの曲が大音量で耳に飛び込んでくることが、しばしばある。きっと、どこかのレストランでダンス音楽を所望した客がいたのだろう。
そう、ウズベキスタンの人々は踊るのが大好き。何も、ミラーボールがくるくる回るディスコへ足を運ぶ必要はない。時にはレストランが、時には家の客間が、時には街の広場が、ダンスホールへと早変わりしてしまうのだ。
静かなレストランで食事していたはずなのに、突然、ノリの良い音楽が流れ出す。さぁ、踊りだせ。レストラン全体が、そんな空気に包まれる。すると、今まで険しい表情で、小難しい会話をしていたスーツ姿のビジネスマンも、ぽろぽろとご飯をこぼして母親に叱られていた幼稚園児も、一緒になって踊り始めるのだ。
ウズベキスタンでは、日常の至るところにダンスの文化がある。結婚式などの祝いの席では、後半にダンスタイムがあるのが普通で、その時間になると、老いも若きも入り乱れて体を揺らす。
踊るのは何も、「踊りの時間」だけではない。
例えば、パーティゲームの定番「椅子取りゲーム」。音楽が鳴っている間、円形に並べられた椅子の周りをまわり、音楽が止まったら椅子に座る、日本でもおなじみのゲームだ。ウズベキスタンでも、この椅子取りゲームのルールはほとんど同じ。でも、一つだけ大きく違うところがある。音楽が鳴っている間、音楽に合わせて踊らなければならないのだ。
あらゆる場面でダンスが登場し、人前で踊ることを要求される。リズム感のない僕にとって、これはなかなか厄介な風習だ。だが、このダンスが、重要なコミュニケーションのツールになることも、よくある。
結婚式やパーティはもちろん、学校の卒業式でも、ダンスは恒例のイベントだ。式次第が進み、卒業式の最後に音楽が鳴り出すと、生徒たちはお世話になった先生を誘って一緒に踊る。一緒に踊ることで、これまでの感謝を伝えるのだ。このダンスの時間に好きな異性に告白し、結婚に至ったという夫婦も多い。
そして、ウズベキスタンのダンスには、地域性がある。各地域に伝統的な振り付けやリズムがあるから、いろいろな地域の出身者が集まると、ダンス論議に花が咲く。いわく「ウチの地域のダンスが一番妖艶だ」。いわく「ウチの地域の踊りのしなやかな動きは、よそにはない」。
そんな談義に耳を傾けていると、話を振られる。「日本はどうなんだ?」と。日本舞踊の知識はまるでないが、いつか、どこかで見た舞の婉然(えんぜん)さを力説する。すると、やはりこう言われる。「踊って見せてくれ」。
踊りは、重要なコミュニケーション手段。そこから生まれる、縁も多い。
川口穣(かわぐち・みのり)
2010年から2012年夏まで、ウズベキスタン共和国ブハラ市在住。2011年初より、ほぼ唯一のウズベキスタン在住日本人ライターとして活動。ウズベキスタンを中心に、中央アジア・シルクロードの文化を発信中。