ナビゲーションを読み飛ばすにはここでエンターキーを押してください。
かしこい生き方を考える COMZINE BACK NUMBER
ホンダ スーパーカブ ニッポン・ロングセラー考 〜世界の人に愛されて3500万台

白いタンクに赤いエンジンの「カブF型」

「スーパーカブって知ってる?」「うん、お蕎麦屋さんのバイクでしょ!」
そう、新聞屋さんも郵便配達の人も乗ってる、あのバイクだ。
一見、ただの実用車、おじさんバイクと思われがちだが、
そんじょそこらの二輪車とはわけが違う。
1958年に誕生したスーパーカブは、2002年に生産累計台数3500万台という
未踏の数字を達成した、世界で一番売れているバイクなのだ。
そんなスーパーカブはどのように開発され、
なぜ今も世界の人々に愛されているのだろうか?

本題に入る前に、ホンダの二輪開発史を駆け足で振り返ってみよう。
ホンダの原点となったのは自転車に取り付ける補助エンジンで、
旧陸軍6号無線機発電用小型エンジンを改造したもの(46年)。
この製品は口コミで評判になり、噂を聞きつけたブローカーが
東京や大阪、名古屋から浜松まで買いに来たという。

翌47年、初のオリジナルエンジン「ホンダA型」を発売、その排気音から
通称バタバタ(浜松ではポンポン)と呼ばれた。
49年にエンジン・車体一体型の本格的二輪車「ドリームD型」を、
51年には4ストローク・OHVエンジン搭載の「ドリームE型」を発売する。

ホンダの二輪車史上に「カブ」という名前が初めて登場したのは、
52年の「カブF型」。“白いタンクに赤いエンジン”がお洒落で、
それまでの自転車用補助エンジンとは一線を画したスマートなデザインが特徴。
見るからにかわいらしく、親しみやすいカブF型は、
自転車店という新しい販売チャネルの開拓によって、爆発的に売れた。
ちなみに、カブとは熊、ライオンなど野獣の子供のこと。

本田&藤澤
スーパーカブは、この2人を抜きには語れない。ホンダの創業者・本田宗一郎(写真左)と藤澤武夫(当時常務/写真右)だ。2人はバイクの両輪のように、開発と営業それぞれの場で世界を目指した。
51-ドリームE型
天下の険・箱根はクルマの性能を測る天然のテストコースだった。トラックでさえ休み休み登る箱根峠を一気に駆け上がった「ドリームE型」。“4ストロークのホンダ”は、ここから始まる。

52-カブF型 軽量小型の2ストローク50ccエンジンの「カブF型」。藤澤発案のDM戦略によって約1500軒の自転車店をホンダの販売店として組織化し、日本全国で発売した。

想定した乗り手は蕎麦屋の小僧

58-SuperCub C100
オートバイでもスクーターでもない、全く新しい二輪車「スーパーカブC100」。発売価格は5万5000円。
鈴鹿製作所
60年4月に完成した鈴鹿製作所は、自動車業界初の空調完備の無窓工場。写真は67年当時のもので、2階から現場を見ているのは本田。

54年になると、あんなに売れたカブF型の売行きがパタリと止まる。
後発組に人気が移ったことに加え、自転車用補助エンジンそのものが
時代遅れになり始めていたのだ。

50ccクラスをどうするか、カブF型の後を何で埋めるかという課題を胸に、
56年、本田と藤澤はヨーロッパへと旅立つ。
2人は人気のモペット(※)を見て歩くが、欲しいと思えるようなものは1台もない。
なければ創るしかない、本田のチャレンジ魂に火が付いた。

帰国直後から極秘の「マルM作戦」が始まる。
毎朝毎朝、設計室に現れる本田は
「昨日の晩、こんなふうに考えた」と、床に座り込んでチョークで構想を描く。
手振り身振りを交えて説明する本田を中心に、車座になって話を聞く設計部員。
「蕎麦屋の小僧が乗るオートバイだ!」
「手の内に入るものを作れ!」と檄が飛ぶ。

58年8月、1年8カ月の開発期間を費やして 「スーパーカブC100」が誕生した。
スーパーカブは、50cc4ストロークエンジン、最高出力4.5馬力という高性能を実現。
当時は50ccなら2ストロークと決まっていたが、2ストロークは排気音が甲高くうるさい、
燃費も悪く白煙が出るなどの欠点があった。
本田は、最初から「エンジンは4ストローク」と決めていたと言う。
この選択こそ、今に続くカブの未来を決定する最大の鍵となる。

そして、「自動遠心クラッチ」の採用。
コツのいるクラッチ操作から左手を解放することによって、
まさに蕎麦屋のお兄ちゃんが片手運転できる使い勝手の良さを備えていたのだ。
このほかカブには、後ろに荷物を積んでもまたぎやすく、
スカートでもOKの「低床バックボーンフレーム」、
泥ハネや走行風を防ぐ「大型樹脂製レッグシールド」、
バイクより乗りやすくスクーターより乗り心地の良い
新サイズのタイヤ(17インチ)の採用など、さまざまな工夫が盛り込まれている。

価格も手頃とあって、「月産3万台はいける!」と豪語した藤澤の言葉通り、
発売直後から売れまくり、鈴鹿製作所完成後の60年末には
月産6万台が現実のものとなった。

※モペット:和製英語、ヨーロッパのペダル付きバイク「モペッド」に由来。


カブ広告01
カブ広告02
通学・通勤に、買い物に、そして商店の配達にも。庶民の“足”であることアピールしたカブの雑誌広告。

広告史に残る名キャンペーン「ナイセスト・ピープル」

ホンダの本格的な海外進出は、59年、ロサンゼルスに設立した
「アメリカン・ホンダ・モーター」に始まる。
しかし、このアメリカ進出には思いの外、厳しい現実が待ち受けていた。
というのは、アメリカにおける移動手段は自動車が一般的で、
二輪市場は年間わずか6万台にすぎないこと。
さらに、オートバイには“ブラックジャケット”と呼ばれる
アウトロー(無法者)の遊び道具という悪いイメージが付いていたからだ。

ホンダは主力商品として、ドリーム号とベンリイ号、スーパーカブを投入するが、
肝心のドリーム号とベンリイ号のエンジンにトラブル発生。
この2機種が戦線を離脱した後、アメリカン・ホンダを支えたのはカブだった。

オートバイらしからぬカブは大学生の通学用として注目され始め、
61年には当初目標の月間1000台を達成。
これまでにない明るいショールーム、真っ白な作業着のメカニック、
新しい販売店の開拓……、
ホンダは製品を売ると同時に、オートバイそのもののイメージも変えていった。

63年、アメリカン・ホンダは多額の費用を投じて、
一大キャンペーンを展開する。
今も世界の広告史に残る「ナイセスト・ピープル・キャンペーン」だ。
広告には「YOU MEET THE NICEST PEOPLE ON A HONDA
(素晴らしい人々、ホンダに乗る)」というキャッチとともに、
主婦や親子、カップルといった良識ある人(=ナイセスト・ピープル)が
カブに乗っている姿が描かれている。
このキャンペーンの結果、同年カブの年間販売台数は8万4000台に、
65年には26万8000台にまで伸びた。

「ママ、オートバイが欲しいんだ、買ってよ」
「オートバイはだめ。でも、ホンダだったらいいわよ」。
アメリカが恋したオートバイ――、その名はスーパーカブ。

スーパーカブC100の輸出用モデル
スーパーカブC100の輸出用モデル、HONDA50(CA100)。
63年よりアメリカで展開した“ナイセスト・ピープル・キャンペーン”の広告。
63年よりアメリカで展開した“ナイセスト・ピープル・キャンペーン”の広告。


スーパーカブが証明した「世界一であってこそ日本一」

その後のカブ(C50系)を追いかけてみよう。
66年にC100の後継車「C50」がOHCエンジンを搭載し、燈火類を一新して登場。
68年には副変速機付きのハンターカブ「CT50」を発売。
71年になると、流麗なスタイリングの「スーパーカブデラックスC50」が デビューするが、
この一体型デザインはその後30年以上に渡って継承されていく。

81年、リッター105kmの「スーパーカブC50デラックス」が
エコノパワーエンジン時代の到来を告げ、
リッター150kmの「スーパーカブ50スーパーデラックス」、
リッター180kmの「50スーパーカスタム」へと進化してゆく。
そして、97年には、小径14インチタイヤの「リトルカブ」がデビュー。
さらに扱いやすくなったことに加え、お洒落で都会的なバイクとして大人気に……。

他に類を見ない低燃費、運転のしやすさ、壊れにくく修理しやすいこと。
そんなカブは、東南アジア市場でも年を追うごとに人気が高まり、
現在はタイやフィリピンなど東南アジア5カ国で現地生産されている。
01年度の生産台数227万台のうち
海外分は95%に上り(※)、文字通り“国際商品”となった。

ちなみに、ベトナムではオートバイのことを「ホンダ」と呼ぶそうだ。
中国製のニセモノが流入し問題となっているが、
「オマエのホンダはどこのメーカー?」「オレのホンダはヤマハ製!」という
摩訶不思議な会話も交わされているとか。

最後に、本田宗一郎が52年10月のホンダ月報に寄せた文章を紹介したい。
「(前略)良品に国境はありません(中略)。
日本だけを相手にした日本一は真の日本一ではありません。(中略)
一度優秀な外国製品が輸入される時、
日本だけの日本一はたちまち崩れ去ってしまいます。
世界一であって初めて日本一となり得るのであります(後略)」
スーパーカブは、彼の夢をかなえる最初のクルマとなった。
今年8月、45回目の誕生日を迎えたカブは、
今も世界中の街で人々の足となって走り続けている。

※2002年12月18日の朝日新聞より。


取材協力:Honda(http://www.honda.co.jp/
参考文献:『ホンダ スーパーカブ』三樹書房刊
ハンターカブCT50 カブには絶えず新しい開発が加えられた。これは、レジャー用として68年に発売された副変速機付「ハンターカブCT50」。

 
 
97年から発売されている14インチホイールの「リトルカブ」。お洒落な街乗りバイクとして人気。写真は01年モデル。

01-1リトルカブ
 
waveH タイ、フィリピンなどで発売されている「Wave」シリーズ。現地の人々のニーズや好みに応じて、機能やデザインを変えたモデルが各国で生産されている。

 
 
02-2SuperCubSTD
カブは、58年の初代モデル以来45年間、その独自のスタイリングを守り続けている。写真は02年発売の「スーパーカブ50スタンダード」。カブの原点だ。

 



個性豊かなカブが大集合「カフェ・カブ・パーティ」

ライダー歴ン十年のバイク乗りが「行き着く所はスーパーカブ」と言うように、カブには熱烈なファンが多い。ボロボロになった中古をレストアしたり、パーツを自分好みにカスタマイズするなど、世界でたった一つ、自分だけのカブを楽しんでいる。
そんな個性豊かなカブをはじめ、カブ系エンジンのベンリイ、モンキー、シャリーなどの兄弟車が一堂に会するのが「カフェ・カブ・パーティ」。当日は、東京・青山の「ウェルカムプラザ青山」に、遠くは北海道、大阪から自慢の愛車を駆ってバイクオーナーが大集合。昨年は、250台がエントリーし、330人もの来場者が訪れたと言う。
「カフェ・カブ・パーティ」は、毎年、文化の日前後の休日に行われる。応募申し込みは不要で、当日駆けつければOK。
詳細はホームページ(http://www.honda.co.jp/meet/200311/)で。

昨年11月3日(日)に開催された「第6回カフェ・カブ・パーティ」の様子。スーパーカブにちなんだ○×クイズや来場者の投票による人気コンテストで盛り上がった。

撮影/海野惶世(メイン、プレゼント) Top of the page

月刊誌スタイルで楽しめる『COMZINE』は、暮らしを支える身近なITや、人生を豊かにするヒントが詰まっています。

Copyright © NTT COMWARE CORPORATION 2003-2015

[サイトご利用条件]  [NTTコムウェアのサイトへ]