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ニッポン・ロングセラー考 Vol.125 日東紅茶

1927年発売

三井農林株式会社

もっと気軽に、もっとおいしく!
日本初の国産ブランド紅茶

ウーロン茶から紅茶へ。世界市場を見据えた決断

画像 台湾工場

戦前の工場。

画像 三井紅茶

1927年に発売された日本初の国産ブランド紅茶「三井紅茶」。

画像 日東紅茶

改称後、現在まで続く「日東紅茶」。

画像 台湾工場の機械設備

1937年ごろの工場。生産体制の充実が見て取れる。

1887(明治20)年、日本に初めて輸入された紅茶は約80kgだったという。この紅茶を誰が飲んだのか定かではないが、これ以降、紅茶は「舶来の高級品」「ハイカラな飲み物」として珍重されるようになった。一般庶民にとって文字通り高嶺の花であった紅茶を、もっと多くの人に、より手頃な価格で届けたいと奮闘する人々がいた。

明治も押し詰まった1909(明治42)年、持株会社・三井合名会社が設立された。同社の一部門として誕生したのが、三井農林株式会社の前身となる農林課である。農林課は台湾に茶園と工場を開設、ここで製造したウーロン茶などを国内外に売り込もうと試行錯誤するが、なかなか軌道に乗らない。
そんな農林課に注目したのが、三井合名会社理事長にして戦前の日本経済の立役者として知られる團琢磨である。1926(大正15)年、團は自ら現地に赴いて茶園と工場を丹念に視察。その結果、團が下した決断とは...、ウーロン茶の製造を全て紅茶に切り替えること。さらに、万一失敗したら自分が全責任を負うと宣言したのである。ヨーロッパを中心に紅茶需要が伸長していた時代、團の世界を見据えた判断と強い覚悟を目の当たりにした社員たちは、意を決して紅茶の試験製造に取り組んだ。
ちなみに、緑茶、ウーロン茶、紅茶は同じ茶樹(カメリア・シネンシス)から作られるため、茶園はそのまま利用可能。ウーロン茶と紅茶の違いは製造法にあり、ウーロン茶は半発酵、紅茶は完全発酵である。

團の決断から1年後の1927(昭和2)年、初の試作品が完成した。これを紅茶の本場ロンドンに出品すると、「ダージリン産に似た優良品」という高い評価。お墨付きを得て同年、国内販売に踏み切る。日本初の国産ブランド紅茶「三井紅茶」の誕生である。「三井紅茶」はその後「日東紅茶」と改称、商工省より優良国産品に指定されるとともに、ロンドン、ニューヨーク、中近東など世界各地へも輸出され好評を博した。
この大躍進の背景にあったのが、製造体制の拡充である。茶樹の栽培から紅茶製造に至るまで研究と改良を重ね、近代的な機械設備と生産体制を確立。発売10年後には8茶園9工場を所有し、茶園面積は約24km²(東京ドーム約505個分)にまで拡大した。


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リーフティーからティーバッグへ、時代の要請に応える

画像 青缶と紫缶

セイロン産とインド産茶葉をブレンドした「青缶」112.5g・100円。世界三大紅茶の一つ、ウバを使った「紫缶」112.5g・150円。

画像 白缶/白丸缶

紫缶より高品質のウバを使った「白缶」112.5g・220円。ダージリン使用の「白丸缶」225g・1,000円。

画像 ティーバッグ製造機

1分間に150個のティーバッグを製造可能なティーバッグマシーン。フィルターをW型に折り込む構造は今も変わっていない。

画像 日東ティーバッグ/ボンカップ

日東ティーバッグ(ボンカップ入り)発売を契機に、ティーバッグ需要が加速。

紅茶の製造量は順調に増え、1931(昭和6)~40(昭和15)年の10年間で、総取扱量は409tから2,400tに増加。しかし、そんな好況も時代の大きなうねりの前に終わりを迎える。戦後、一からの再出発を余儀なくされた社員たちは都内の小さな工場に集まり、少ない原料をかき集めて細々と紅茶の製造を再開。紅茶の火を絶やすまいと奔走した。

復旧が進んだ1951(昭和26)年、静岡県藤枝市に藤枝工場を開設。ここで紅茶製造の基礎を固め、2年後、満を持して発売したのが日東紅茶「青缶」と「紫缶」。続いて「白缶」「白丸缶」を発売し、気軽に飲めるスタンダードな「青缶」からダージリンを使った高級茶「白丸缶」までをラインアップした。

高度経済成長の波に乗り、日本人の嗜好が高級化する一方、スピードと手軽さを求める動きも出てくる。簡便性という時代のニーズに応えるため、1961(昭和36)年、ドイツ製のティーバッグマシーン(自動包装機)を導入。同年11月、缶入りの「日東ティーバッグ」を発売する。
当初、湿気を嫌う紅茶の特性を踏まえ缶入りとしたが、「缶が余って仕方がない」という声が多く、1968(昭和43)年、現在主流となっているボンカップ(密封プラスチック容器)に変更。当時、リーフティーとティーバッグの割合は7対3だったが、簡易パッケージとなり価格が下がったことで、ティーバッグの需要は一気に増えていく。

読者の中には「ティーバッグはリーフティーよりランクが下」と思っている方がいるのではないだろうか。それは大いなる誤解だ。ティーバッグは早く抽出できるよう茶葉を細かくカットしているだけで、サイズ=品質ではない。サイズは用途や飲み方に合わせて決められるので、茶葉の大きなリーフティーは高級、細かいティーバッグは下級とは言えないのだ。
※ ティーバッグの製造工程は、日東紅茶のホームページ「ちゃたろうの森」の「工場見学」で閲覧可能。


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日本における紅茶文化の基礎を築いたPR活動

画像 日東コーナーハウス室内

買い物客の憩いの場となった「日東コーナーハウス」。戦後はGHQが図書館として使用。

画像 販促冊子

おいしい紅茶のいれ方などを解説した販促用の小冊子「ティータイム」。

画像 ロマンスカー

1950年から1993年まで43年間続いた、小田急ロマンスカーの「走る喫茶室」。

画像 キッチンカー

紅茶の普及・啓発のために全国を回った「日東紅茶キッチンカー」。

日東紅茶の歴史は、日本における紅茶普及の歴史であったと言っても過言ではない。ここで、戦前戦後に日東紅茶が取り組んだPR活動を振り返ってみよう。

昭和初期、日東紅茶は主に贈答品として用いられていた。手の出ない値段ではなかったのだが、紅茶を飲んだことのない人はまだ多く、「紅茶を飲むと顔が黒くなる」「体に悪い」といった風評が立つこともあった。そんな誤解を一掃し、紅茶のおいしさや楽しみ方を知ってもらおうと、日東紅茶は日本で初めて本格的なPR活動を開始した。

1938(昭和13)年、東京・日比谷にティールーム「日東コーナーハウス」を開業。現在の宝塚劇場の隣に位置する同店は、ガラス張りのオシャレな建物。周囲には映画館も多く、流行に敏感な人が立ち寄り、紅茶やサンドイッチなどの軽食を楽しんだ。
ここ以外にも全国各地にティールームをつくり、夏は海水浴場にサマーハウス、イベント会場には喫茶ブースを出すなど、人が集まるところに積極的に出店。さらに各家庭でも気軽に楽しめるよう、さまざまな場所で紅茶教室を開催し、普及・啓発に努めた。そのかいあって、第二次世界大戦前には、かなりの家庭の戸棚に日東紅茶の缶が置かれるようになったという。

戦後もPR活動は続いた。1950(昭和25)年には小田急のロマンスカーで乗車客に紅茶や軽食を提供するサービスをスタートし、「走る喫茶室」と評判になる。これも採算度外視のPRだった。
高度経済成長時代の幕が開くと、調理設備を備えた「日東紅茶キッチンカー」を投入。試飲サービスや紅茶教室を開催するキッチンカーは、料理学校や洋裁学校、各地の夏祭りなど、紅茶普及のために全国を駆け巡った。
日本に紅茶文化を根付かせたい、根付かせなければならない。そんな使命感にも似た熱い思いがあったに違いない。


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おいしさの秘密は、たゆまぬ品質の追求と紅茶への愛情

画像 発売当時のデイリークラブ広告

1991年、サブブランド名として「デイリークラブ」を採用。紅茶を毎日気軽に飲んでほしいという思いが込められている。

画像 ティーテイステター

茶葉を鑑定し、ブレンドを決めるティーテイスターの仕事風景。

画像 主要商品3点

ティーバッグの定番「デイリークラブ」の他、リーフティー「こく味のある紅茶」やインスタントティーの「ロイヤルミルクティー」も人気。

画像 CM「紅茶に1分ください」

「紅茶に1分ください」と、ティーバッグの蒸らし時間をアピールするテレビCM。

1971(昭和46)年は、日本の紅茶を語る上で歴史に残る年となった。というのも、この年に紅茶の輸入が自由化されたからだ。今となっては知る人も少ないが、かつて日本の紅茶市場には森永製菓株式会社や明治製菓株式会社など多数の国内メーカーが参入し、激しい競争を繰り広げていた。
ところが1971年の輸入自由化で、競合各社は紅茶事業から撤退するか、海外メーカーと業務提携し外国ブランドの紅茶を販売する道を選択していく。そんな中、三井農林だけが国産ブランドによる紅茶事業の存続と育成を訴え続けた。その結果、輸入自由化後、紅茶市場に残った国産ブランドは「日東紅茶」のみとなったのだ。

唯一の国産ブランドとなった日東紅茶は、外国の有名ブランドとの厳しい競争にさらされることとなった。これに対して三井農林は、ティーバッグ、リーフティー、インスタントティーと紅茶商品をフルラインアップで展開するとともに、品質にさらに磨きをかけていく。

同社担当者は、「品質を左右するのは、買い付け力とブレンド力。両方とも最終的には『人』ですね」と話す。買い付けには現地生産者との信頼関係が欠かせない。またブレンドは、産地で異なる茶葉の特徴や天候などに左右される品質を見極めるティーテイスター(紅茶鑑定士)の能力がものをいう。なるほど、紅茶は「人」あってこそなのだ。
三井農林には鑑定歴38年のベテランを筆頭に、数名のティーテイスターが在籍。彼らは買い付け前の茶葉の鑑定からブレンドの処方作りまで、品質を決定する全プロセスに関わる。一人前のティーテイスターになるまでには何十年とかかるが、人を育てることで80余年、日東紅茶というブランドを守り続けてきた。

紅茶の味わいや楽しみ方は、万国共通でないところが面白い。水の種類(硬水/軟水)や飲み方(ストレート/ミルクティー)など、紅茶はお国柄を反映する。だからこそ、日本の水を知り、日本人の好きな味を知っている日東紅茶の真価がここ日本で大いに発揮されるのだ。


取材協力:三井農林株式会社(http://www.nittoh-tea.com/
おいしいティーバッグのいれ方

「ティーバッグだから、この程度の味」と思っている人がいるのではないだろうか。本文でも触れたが、ティーバッグだから味がいまひとつなのではなく、多くの場合、いれ方を間違えている。おいしくいれるポイントは、熱湯を使うことと、受け皿などでフタをしてしっかり蒸らすこと。ティーバッグをお湯の中で勢いよく振り色が付いたらおしまいという光景をよく見るが、これはNG。色ばかり濃くなり、紅茶のおいしい成分はほとんど出ていない。フタをしてほんの少し待つだけで驚くほどおいしくなるので、ぜひお試しあれ!

画像 ティーカップに蓋

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タイトル部撮影/海野惶世 タイトル部撮影ディレクション/小湊好治
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