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ニッポン・ロングセラー考 Vol.129 ヤマハ音楽教室

1954年開設

一般財団法人ヤマハ音楽振興会

音楽を楽しむことのできる
人を育てて60年

「よむ」「ひく」から、「きく」「うたう」「ひく」「よむ」「つくる」へ

画像 川上源一元社長

「日本の家庭も音楽で満たしたい」と、新しい音楽教育の普及に挑んだ川上源一元社長

画像 オルガン教室

開設間もないころの「ヤマハオルガン教室」のレッスン風景

画像 グラフ

心身の成長に合わせて最も適切な音楽教育を実施する「適期教育」。聴く力は4、5歳、弾く力は7、8歳に最も発達する(出典:ヤマハ音楽教室ホームページ)

赤バイエルでピアノを習い始めたけれど、黄バイエルに進む前に挫折…、そんな経験をした方も多いのではないだろうか。
1950年代初頭、小学校での音楽教育は、戦前の唱歌中心の教育から笛やオルガンなどの器楽教育へ移行しつつあった。また、公教育以外の場では、ピアノの個人レッスンや音楽大学による演奏の専門家を養成する早期教育などが始まっていた。

1953(昭和28)年、日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)の川上源一社長(当時)は、約3カ月に及ぶ欧米視察に出掛けた。川上がそこで目の当たりにしたのは、音楽のある暮らし。訪問した家庭ではピアノやギターの演奏で歓待され、住宅街を歩けば至る所からピアノの音が漏れ聞こえてくる。当時、日本人は音楽を“鑑賞”するものの、自ら楽器を“演奏”して楽しむことは少なかった。欧米の人々が楽器を奏でて音楽を気軽に楽しんでいることに感銘を受けた川上は、新しい音楽教育を行うべく、音楽教室の開設を決意する。

1954(昭和29)年、ヤマハは銀座の東京支店の地下で「実験教室」をスタート。実験という名称からも「これまでにない音楽教育を」という意気込みが伝わってくるが、ヤマハの音楽教育はどこが違うのだろうか。冒頭でも述べたように、当時はピアノの個人レッスンで、バイエルという初心者向けの教則本を使って練習するのが一般的だった。しかし、楽器に初めて触れる幼い子どもが楽譜を読んで演奏するのは難しく、挫折してしまうことも多い。音楽の楽しさに目覚める前に音楽自体から遠ざかってしまうとすれば、本末転倒であろう。

ヤマハが開発したメソッドは、難しい楽譜の読み取りからスタートするのではなく、子どもがさまざまな面で音楽に触れ、その楽しさを実感する中で学習を進めるという手法。具体的には、まず曲を聴き、旋律を歌詞やドレミで歌い、次に歌ったように弾き、それを楽譜で確認する。そして、最終的には自ら曲を作ったり即興演奏などができるようになることを目指す。ヤマハの音楽教育は「きく」「うたう」「ひく」「よむ」「つくる」という5つの要素を組み込んだ総合音楽教育であり、単に間違えずに弾くテクニックを学ぶためのものではない。上手に弾ける人から、音楽を楽しむ人へ…、この発想の転換がヤマハ音楽教室の原点となった。


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150人から20万人へ。急成長を実現した3つの要因

画像 レッスン風景

1960年ころのレッスン風景。保護者同伴もヤマハ音楽教室の特長の一つ

画像 音楽教室

1970年ころのレッスン風景

画像 講師研修

資格取得試験や研修会を通じて、質の高い講師を養成(写真は現在の研修会の様子)

生徒数150人で始まった実験教室は、2年後に「ヤマハオルガン教室」に、さらに1959(昭和34)年には「ヤマハ音楽教室」に改称された。この頃になると生徒数は2万人に増え、さらに開設10年目の1963(昭和38)年には生徒数20万人へと急成長を遂げる。

この急成長にはいくつかの要因が考えられる。
第一に、ヤマハ音楽教室は当時としては珍しいグループレッスンという形式を採用したことである。グループレッスンは、アンサンブル(合奏)で音楽的な理解を深められるとともに、友達と一緒に学ぶことによって社会性や協調性も育まれる。
また、1人の講師が複数人を同時に指導できるので低価格でのサービスも可能となり、子どもに音楽を習わせたい親のニーズにも合致した。

グループレッスンには、ある程度の広さの会場が必要となる。当初、教室はヤマハの特約楽器店に設置していたが、1950年代末からは特約楽器店と取引のある幼稚園を会場とする方法が考案された。特約楽器店は幼稚園に楽器を販売でき、幼稚園は空き時間に教室を貸し出すことでレッスン料が入り、楽器代金の分割払いが可能になる。またヤマハも音楽教室を全国展開できる。まさに“三方よし”のシステムなのだ。この会場確保が、急成長を支えた第二の要因といえるだろう。

第三に、ヤマハが独自の教育理念の普及や教育手法の標準化に努めたことが挙げられる。ヤマハはまずテキストの改訂に着手。次いで、1966(昭和41)年に文部省(現文部科学省)の認可を受け財団法人ヤマハ音楽振興会が設立されると、独自のプログラムを用いて講師を育成することに乗り出した。翌年には「音楽能力検定制度(ヤマハグレード)」が導入され、学習者から指導者まで身に付けるべき音楽的能力の基準が明確になった。これらの取り組みによって、ヤマハの教育理念と指導方法を身に付けた講師を全国の音楽教室に派遣できるようになったのだ。


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世界共通の教材を用い、40以上の国と地域で19万人が学ぶ

画像 米国の教室

進出当初の米国でのレッスン風景

画像 各国の教材

教材は世界共通。各国語に翻訳されたテキスト

画像 インドネシア教室

現在のインドネシアの教室

画像 ドイツの教室

ドイツの教室。保護者同伴は世界各国共通

独自の音楽教育システムを確立し、国内で成功を収めたヤマハ音楽教室は海外展開も早かった。1964(昭和39)年の米国・ロサンゼルス郊外のポモナ市を皮切りに、毎年のように世界各国で新たな教室を開き、今やアジア、北米、南米、欧州など世界40以上の国と地域で教室を展開し、生徒数19万人、講師数6,400人、会場数1,200カ所の陣容を誇る。

ヤマハが確立した音楽教育メソッドは、1960年代から現在までほとんど変わっていないという。さらに驚くのは、そのメソッドや教材が世界共通ということだ。歌詞は各国の言語に翻訳されるが、ヤマハに集う子どもたちは日本の曲はもちろん、「きらきら星」や「ロンドン橋」など、皆同じメロディーを歌い、演奏する。

急ピッチで進んだ海外展開だが、問題がなかったわけではない。例えば、中東のドバイでは、当初、短期間で退会する子どもが多かった。理由は「他の教室の個人レッスンではピアノが短期間で弾けるようになるのに比べ、ヤマハは演奏の上達が遅い」というのだ。これは保護者に一番肝心なヤマハ音楽教室のコンセプトが伝わっていなかったことが原因で、「ヤマハは音楽を総合的に学ぶ場」であることをきちんと伝えると退会するケースが減ったという。

また、1971(昭和46)年に進出したインドネシアでは、1980年代半ばに8割あったシェアが、1990年代以降は3割に低下してしまった。現地の契約ディーラーが運営する教室の施設や備品が古くなり、生徒が離れても仕方のない状態に陥っていたのだ。ヤマハ音楽振興会は巻き返しを図るべく、備品や講師について新しい基準を設け、「3年以内に条件を満たさないディーラーは退場」という荒療治に出た。また直営店については、会場をジャカルタで一、二を争う高級ショッピングモールに移転し、イメージを一新。モール側にも、ヤマハ音楽教室がテナントとして入れば、中流以上の家族連れが毎週必ず来店するというメリットがある。
アジアの成長拠点として注目を集めるインドネシアだが、当地のヤマハ音楽教室は、現在、日本に次いで世界第2位の生徒数4万8千人を誇るまでにV字回復を果たした。


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卒業生は500万人以上。世界的な音楽家も輩出

画像 上原彩子

上原彩子は3歳児のコースからヤマハ音楽教室に通い、その後マスタークラスまで在籍

画像 「JOCハイライトコンサート」

毎年、全国主要7都市で開催されている「JOCハイライトコンサート」

画像 ヤマハ音楽教室

現在のヤマハ音楽教室の様子。父親同伴も珍しくなくなった

画像 ヤマハ音楽教室のロゴマーク

開設60周年を迎え、10月1日に一新されたヤマハ音楽教室のロゴマーク

ヤマハ音楽教室の卒業生は500万人以上となり、数多くの著名な音楽家を輩出。例えば、チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門で日本人初の1位となった上原彩子、グラミー賞を受賞したジャズピアニストの上原ひろみ、映画音楽、TV番組音楽を数多く手掛ける作・編曲家の大島ミチルなど、幅広いジャンルで才能が花開いている。

ヤマハ音楽振興会は、音楽教室で学んだ子どもたちが成果を発表する場として、1972(昭和47)年からジュニアオリジナルコンサート(JOC)を開催している。JOCは15歳以下の子どもたちが作ったオリジナル曲を演奏するコンサートで、前述した音楽家たちもJOCで活躍したメンバーだ。現在は毎年、国内はもとより世界各国で開催され、年間3万5千曲もの作品が発表されているという。

同振興会ではJOC以外にも、1988(昭和63)年からスタートした「音楽奨学金制度(現ヤマハ音楽支援制度)」や、より高度で専門的な教育を行う「ヤマハマスタークラス」を設けることで伸びる才能を応援してきた。だが、担当者は「著名な音楽家の存在はヤマハ音楽教室の成果であることは確かだが、私たちの目的はプロの演奏家を育てることではない」と断言する。

実験教室の開設から60周年を迎えたヤマハ音楽教室では、国内3,700会場、講師数1万3千人の下、43万人※がエリート教育ではない、“音楽を楽しむ”ための教育を受けている。
この間、少子化や共働き世帯の増加など、ヤマハ音楽教室を取り巻く環境も変化した。現在の教室展開は、郊外に新たな教室を建てたり、ショッピングモールに出店するなど、施設面でも充実が図られている。また、ヤマハ音楽教室の教育方針の一つ、保護者同伴についても、近年では父親や祖父母が付き添うケースが珍しくないという。共働き世帯が増えたため、土曜日の教室はほぼ満杯状態で、日曜日や夜間など保護者同伴で通いやすい環境づくりが課題となっている。

この60年で、自ら楽器を演奏したり、曲を作って音楽を楽しむ人は確実に増えた。音楽を一部のプロのものから、一般市民の手に橋渡しをしたヤマハ音楽教室の存在は、日本の音楽シーンを変えたといっても過言ではないだろう。

※「ヤマハ大人の音楽レッスン」の数を含む。


取材協力:一般財団法人ヤマハ音楽振興会(http://www.yamaha-mf.or.jp/
ヤマハ大人の音楽レッスン

楽器が弾けたら楽しいだろうな。カッコ良く楽器を弾いたら、モテるかも…。大人が音楽を習い始める理由はいろいろあるが、「ヤマハ大人の音楽レッスン」の受講生からは、「仕事では出会えない人と友達になれる」「レッスンに通うことで気分転換できる」「習う楽しさ、上達する喜びを実感!」といった声が寄せられている。1986(昭和61)年以来、28年の実績と約11万人の受講者数を誇る「ヤマハ大人の音楽レッスン」だが、入会者の約7割が初心者だという。楽器に触るのは初めてという人はもちろん、一層の上達を目指す中上級レベルの人までをも対象とし、無理なく、しかも楽しく演奏技術の習得・上達ができるレッスンを展開している。

画像 大人の音楽レッスン

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タイトル部撮影/海野惶世 タイトル部撮影ディレクション/小湊好治
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